私達を背に乗せた二匹の龍が、王城を飛び去ってから数十分後。

 道中で襲い掛かってきた下っ端の魔神を適当に蹴散らしていると、ラ・ルメイア王城の城門が視認できるくらいにまで近づいてきた。

「……んだぁ?おい。敵さんが見えねえじゃあねぇかよ」

 しかし、問題があった。エリアスの言うとおり、城を守る者の姿が全く見えないのだ。

 まさか、道中で大量に撃ち落としてきたあの魔神達ですべて、とは考えにくい。すると、残りは城の中にいるのだろうか。

「静かだ……静か過ぎる」

「逆に不気味で、ちょっと嫌だね」

 ヤキトとアデリーも、これを訝しんでいた。こんなあからさまに怪しい光景、斥候や野伏の知識が無くても、何か罠でも仕掛けられているのではないか、と警戒してしまうものだろう。

「本拠地なんだろう。本当に強い、信頼できる奴しかおいてないんじゃないか」

「まぁ、いずれにしても、行けば分かるんじゃない?」

「……お前は軽すぎないか」

 一方で、プロトーンはお気楽そうだった。エンストークが呆れたような目をしたのが、背中からでも確認できた。

 ……まぁ、実際問題、ここで考えた所でわからないのは確かか。

 それに、これが罠であったとしても、乗り込まないという選択肢は最初から存在していないのだ。覚悟を決めて城内に踏み入る他ない。

「じゃあ、近く飛んでるから。終わったら呼んでね」

「あぁ。行ってくる」

「おう。ここまでお疲れさん」

 無事に着地し、私達を降ろしたプロトーンを見送る。身体の大きさの都合、彼らが着いてこられるのはここまでだ。

 声が届かないくらいに離れたところで、振り返る。外観こそ変わらないが、魔神に占拠されてしまった荘厳な王城が、目の前に鎮座している。

 これで戦争が終結する、とまでは行かないだろうけれど……少なくとも、戦況は優勢に傾く。万が一にでも、負けるわけにはいかない。

「さて、何が待ち受けているやら……はっ。楽しくなってきやがった」

「……私は、踊ったり歌ったりしてる方が楽しいんですけど」

 相変わらず血気盛んな山羊に滅入りつつ、私は城の門へと歩を進めるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 お城の通路の中を進んでいると、私の前を歩いていたユカお姉ちゃんが、ふと足を止めて、不思議そうに辺りをきょろきょろと見回し始めました。

「……?誰か、鈴って持ってましたっけ」

「鈴?そんな覚えはねぇな」

「俺も持っていないな」

 そのままみんなに尋ねてみるけど、思い当たる節は無かったようで。全員、首を横に振っていました。

「鈴がどうかしましたか?」

「えっ。いや、鈴の音が聞こえて……ますよね?」

 フェンさんに聞き返されると、お姉ちゃんは困惑の表情。

 すごい小さな音なのかな、と思って耳を澄ませてみるけれど……何も聞こえてはきませんでした。

「んー……いや。聞こえないかなぁ」

「俺もわからんな……まさか幻聴か?勘弁してくれよ」

 私よりもずっと耳のいいエリアスもこう言っているので、普通の音ではなさそうです。するとやはり、幻聴とか魔法とかの類、なのかな。

 それならそれで、正体とか、ユカお姉ちゃんにだけ聞こえる理由とかが気になるところなんだけど───

「───あっ。もしかして、妖精さんの導き!?」

 考えを巡らせていると、ユカお姉ちゃんが声を上げました。同時に、明後日の方向へと身体の方向を変えます。

 なるほど、妖精の仕業か。確かにそれなら、ユカお姉ちゃん以外の誰にも聞き取れないのにも納得がいきます。

 ときに妖精のというのは、妖精同士や妖精使いにしか聞こえない、不思議な発し方をできるものなのです。

「念の為だ、聞こえてきた方向を教えろ。俺が先行しよう」

「ありがとうございます。あっちの方からです」

 お姉ちゃんが指差した方向へ、ヤキトを先頭に進んでいくと、やがて一つの部屋の前に辿り着きました。

 中には、武器や鎧が詰め込まれています。魔神が持ち出したりしているためか、数が少なめだったり、ぼろぼろになってたりするけど。

「ここは……武具庫か?」

「おそらく。さて、この中のどこかに妖精さんが……」

 物陰から襲いかかられないように、と警戒しながら室内を見て回っていると、ユカお姉ちゃんが一枚の盾を手に取りました。

 ぱっと見、ただの小さな円盾みたいだけど……あいにく武具には詳しくないので、詳細はわからないや。

「この盾に呼ばれてたのか?」

「多分?……ふむ。良さそうな盾ですし、折角だから使わせて頂きましょう」

 そう言って、お姉ちゃんはいそいそと盾を付け替えます。

 見た目的には、もともと使っていた盾と大差は無さそうだけど。何の特徴も無い盾と、妖精さんが教えてくれたこの盾とで、付加価値の違いというものがあります。

 それなら、妖精さんの力を借りられる(かもしれない)この盾の方が、役に立つ可能性は高いことでしょう。

「用も済みましたし、戻りましょうか。玉座の間は……おそらく、あっちの方に」

 妖精さん一推しの盾を手に、城内探索に戻ります。目指すは、打倒ガルシア。


 ……あくまで、は。私だけは、ちょっと違う。


「……この戦いが終わったら、きちんと話さなくちゃ」

 誰に向けてでも無く、ぽつりと呟いてから、私も武具庫を後にしました。


 ◇ ◇ ◇


 無人の王城を歩きまわること小一時間。遂に、玉座の間と思わしき部屋の扉の前に辿り着いた。

「……どう行きます?」

「うーん、抜け道とかはなさそうだし……正面から行くしかない、かな」

 エリアスとユカリが扉に罠が仕掛けられていないか調べている間に、フェンとアデリーが扉の周りや壁面を観察してみるが、目ぼしいものは見つからなかったようだ。どうやら、入り口はこれ以外に存在しないらしい。

「勝つのは私達です。堂々と行きましょう」

 扉を調べ終えたのか、ユカリがそう言いながら、俺の方を見ていた。

 鍵もなく、罠も仕掛けられていないのであれば、何も気にすることはないか。

「……そうだな。行くか」

 ユカリに頷き返し、入れ替わる形で扉の前に立って、両手で扉を押す。


 低い音を鳴らしながら開かれたその先には、フェンディルのものとはまた違った趣の内装の玉座の間があった。

 部屋の中央、突き当りには、荘厳さを感じる大きな椅子。そして───そこに座っていたのは、この国の王ではなく、椅子と同じくらいに大きな身体をした、紫紺の瘴気を身に纏った男。

「来たか」

 そいつは、俺達の事をつまらなさそうに眺めた後、ゆっくりと立ち上がる。

 左手には、巨大な斧槍。右手には、意匠の凝らされた首飾り───アパスタークが握られている。

 見間違えるはずもない。奴こそ、魔神将・ガルシアだ。

「魔神将……ようやく追い詰めましたよ」

 ユカリがガルシアを睨みつけながら、ケースから宝石を取り出す。

 普段は冷静で頭脳明晰なユカリも、今日ばかりは頭に血が登っているのだろうか。既に戦う準備は万全、といった様子だ。

 しかし、向こうはそれと真逆に、冷めた目で俺達を見下ろしている。

「追い詰めた、か。……その様子だと、やはり疑問には思わなかったのか。何故、フェンディルが未だに落ちていないのか、と」

「あぁん?いやまぁ、俺ぁ他人ほど頭が出来ちゃねぇからアレだがよ……一応聞いてやるぜ。どういうこった?」

 ユカリと同じく、今にも飛びかかりそうな様子で構えを取っていたエリアスが、意味深な発言を聞いて首を傾げた。

 奴の言う『フェンディルが未だに落ちていない理由』というのは、俺も分からない。だが、冥土の土産のつもりで喋ってくれているのだろうから、大人しく拝聴してやることにする。

「その魔剣の力を引き出せていないだけでは?」

「あぁ、その通り。契約に基づき、本来の持ち主にこれを渡す……それができなければ、何の意味もないからな」

「本来の……ノーブルエルフですか」

 ユカリがアパスタークを指差しながら指摘すると、奴は頷いた。

 ノーブルエルフ……彼らは、とうの昔に絶滅してしまった種族のはず。

 その彼らにアパスタークを返す、となると、それは実現不可能なことのように思えるが……

「あやつら、よほど地上での栄光が惜しかったと見える。これを手にして、地上で返り咲きたいのだ、と。今ものうのうと、神へのきざはしの上で生きておるわ」

 しかし奴は、皮肉な笑みを浮かべてそう言った。……なるほど、アパスタークを要求した理由、というのは、とりあえず理解できた。

 これの持ち主であり、力を引き出すことができるノーブルエルフはもういない、と俺達にとっては、あれはただの首飾りに他ならないし、だからこそ姫様達もプロトーン達も、これを手放す判断をしたのだろう。

 まだノーブルエルフが生きている、という情報を密かに掴んでいた奴からすれば、またとない機会であった訳だ。

 ……問題は、奴がどうやってノーブルエルフと接触したのか、何故ノーブルエルフが魔神と契約など結んでいるのか。その考察、及び話の真偽を判断するための材料が、こちらに一切無いことだ。

「おいおい……さっぱり分からねぇよ。古代に滅んだ種族がまだ生きてるだぁ?冗談は良してくれよ」

「ふん。まぁどう思おうが勝手だが、これは歴とした事実よ」

 見れば、俺以外の四人も動揺を隠せていなかった。

 エリアスは、珍しく本気で話を理解できていない、といった顔だ。自分で言っている通り、確かにあまり頭は良くない奴だが、決して人の話を理解できないほどの馬鹿ではない。

 ユカリとフェンは絶句している。教養のある二人のことだ、尚更この話を信じることが出来ないのだろう。自分の……否。世界の常識を覆す情報なんて、そう簡単に受け入れられるものではない。

「い、きて……?そんな……」

 アデリーは……顔が青ざめている?そこまでなるほどの話では無いと思う、が……

 ……いや。あのなにかに怯えるような表情を、俺は先日も見た。そうだ、あれはプロトーン達に呼び出され、そして帰ってきたときの顔に近い。

 一体、彼女がどんな話を聞かされたのか、と気になるところだが……それを聞いている時間は、今は無い。

「しかし……アンも役に立たなかったものだ。王女を確保しておきながら、気付かず遠回りするとは」

 アデリーの様子に困惑していると、ガルシアはまたも気になる内容の言葉を発した。

 その視線は───フェンに向けられている。それは決して、偶然や気まぐれによるものでは無いだろう。

「……フェンを見て、王女、と言ったか?」

「気づいてなかったのか。そこの娘は、フェンディルの王女だろう」

「……事実、です。公には、そうではないことにしていますが」

 俺の問いに、ガルシアと、フェン本人がそう返した。どうやらこれもまた、事実であるようだ。

 確かに、姫様達のフェンに対する接し方は、商家の娘に対するそれでは無いな、と思うことが多々あったが。なるほど、王女であったとなれば納得がいく。

 ……これに関しても、帰ったら詳しく聞かせてもらうか。そのためには、まずは奴を斬り伏せねば。

「まぁ、良い。契約は果たされた。後はこの大陸を喰らい尽くすのみ」

 狼狽えている俺達を一瞥した後、ガルシアはガラスの砕け散った大窓に視線を移すと、右手を振りかぶり……そして、手にしていたアパスタークを、外へと放り投げた。

 飛んでいったそれを慌てて目で追いかけると、窓の外で待機していたのであろう、翼の生えた魔神が受け取って、そのまま飛び去っていった。

 俺達との戦いが終わった後で、アパスタークの力を解放し、ゆっくりと世界を終わらせるつもり、といったところか。

「そうはさせん」

 だが、その目論見どおりには行かせない。それを阻止する為に、俺達はここへやって来たのだから。

 引き抜いた剣先を奴の顔に向けると、「ほぅ」と一言、感嘆の声を漏らした。表情からも余裕を感じられるあたり、まるで本気を出すつもりはなさそうだ。

 ……実際のところ、アルフォート城でもそうだったが、圧倒的な力量差というものを対峙しているだけで感じられてしまうくらいに、奴は強い。本気を出すまでもない、という思考を改めさせるのは、正直かなり厳しいだろう。

「んー、俺はてめぇの言ってることがイマイチ理解出来ねぇからよ。……とりあえず、てめぇをぶちのめしてから考えるぜ」

「もとより、あなたを……魔神を淘汰するつもりなので。いまさら退いたりなんてしませんよ」

「……活きのいいことだ」

 それでも、俺達は諦めるわけにはいかない。エリアスとユカリも、俺に続いて啖呵を切った。苦しい戦いにはなるだろうが、ここで必ず奴を仕留めなければ。

 ……そう思った時だった。突然、背後からガルシアへ向かって、透明な帯のようなものが飛びかかり、そして奴を拘束した。

「……っ、何事かっ」

 狼狽えながらもがいている奴を尻目に、背後の様子を確認する。

 そこにあったのは、ガルシアと同じく狼狽しているユカリとフェン。そしてガルシアに向けて、杖を持っていない方の───を着けている方の手を真っ直ぐに伸ばしている、アデリーの姿だった。

「あ、アデリー?ええと……これは、【バインド・オペレーション】ですか?」

 ユカリが訊ねると、アデリーは苦しそうな表情を浮かべて、首を横に振る。

「ごめん。その……後で、話すから……いまは、あいつをっ」

「……分かりました。今は、あれを倒すことだけを考えましょう」

 一番信頼されているユカリですら説明してもらえない、となると、余程言いたくない理由があるのか、それとも簡単には説明できない事情があるのか。

 いずれにしても、今は彼女を問い詰めている場合ではない。どうやってこの現象を引き起こしているのかは分からないが、好機であることは確かなのだ。

「あーくそ、そろそろ頭パンクしそうだぜ……とりあえず殴ればいいんだな?」

「そういうことだ。行くぞ、エリアス」

 改めて、剣を構え直し、エリアスの横に立つ。それに合わせて、エリアスも手の関節をぱきぱきと鳴らす。……決戦の時だ。

 窓の外には、漆黒の夜空の中に、綺麗に満ちた月が浮かんでいるのが見えた。

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