エリアスが落ち着いたところで、改めてこの部屋の確認をすることにした。

 執務室……と呼ぶには少々手狭で散らかっているが、しかし城の最深部であり、奴が逃げ込むのに選んだ場所だ。

 更に上位の魔神や、各地で指揮を執っている者とのやり取りが記録された文書なども見つかる可能性が零ではない。

 そういう訳で、ヤキトに件の黒水晶の解呪を任せつつ、私とエリアスで部屋の探索を行うことにした。

 机の上から部屋の隅まで見て回った結果、大量の宝石と書類───そして、あの黒水晶がもう一つ見つかった。

「こいつぁ……なんだ?もう一人やられたってことか?」

「誰かが閉じ込められているかもしれないので、丁重に扱ってくださいね」

「おう。……で、誰が閉じ込められてるか、が問題だよなぁ。もしかして魔神だったりしてな」

 それが分かれば苦労しないのだが、残念ながら知る術を私達は持っていない。

 あるとすれば……この書類の海のどこかに詳細が書かれているのを見つけ出す、くらいなのだが。

「……読めないんですよねぇ、ザルツ語」

 悲しいことに、これらの書類は全てザルツの地方語で書かれているようだ。

 地方語というのは正直あまり使われる機会が多くなく、それこそこの様な文書で見かける程度だ。普通は交易共通語が用いられる。

 更に言うと、その名の通り地方の数だけ種類があるので……

 学んだところで役に立つ機会がない、というのが冒険者間での一般的な認識だ。

 故にどうしても、種族ごとの言語や古代の言語を覚えることを優先してしまいがちであり、私とアデリーもその例に漏れず、と。

「私もザルツ語は……えーと、他に誰かいける人って……」

 アデリーが困ったように周囲を見回す(かわいい)。だが私の記憶が確かなら、エリアスもヤキトも駄目だったはずだ。

 どうしたものか、そう思った時。

「……一応ザルツネイティブだけど、内容が理解できるか、は別だぜ?」

 言いながら、イッサがこちらに手を差し出した。

 どうやら彼はザルツの生まれだったようだ。大変有り難い。

 最悪この山を全て持ち帰り、読める者を探さなければならないところだった。

 自分も機会があったら学んでおこうと思いつつ、この場は彼に任せることにして書類を一束渡す。

 あまり自信が無い様な口ぶりだったが、特に詰まったりることもなく、彼はすらすらと読み進めていった。

「魔神の配置に、こっちは食事周りかな……おっ、これは愚痴ノートか?」

 一束、また一束と手にしていき、三束目を取ったところで、内容を読み上げる声が楽しそうなトーンに変わった。

 愚痴ノート……と言うと、奴が個人的に書いていた物だろうか。

 正式な文書より、こういった物の方に重要な事柄が記されていることは少なくない。

 期待の眼差しを向けて、彼に解読を続けるよう促す。

 するとしばらく文面を見つめた後、怪訝そうな顔をしながらエリアスの方を向いた。

「どれどれ…………エリアス、お前当初は女の子見捨てる予定だったのか?」

「あーいや、見捨てるって言うか……別に負けたんならしゃーねぇなーって感じよ。

 リーダーが助けてぇって言うもんだから、俺も今はその気だけどよ」

 この話題は……あれか、フェンさんの身柄についての交渉をしたところか。

 エリアスの流儀も分からないではないのだが……

 ここは苦笑いでもしておこう。正直あまり話題にしない方がいい案件だ。

 隣を見れば、アデリーも同じようにしていた。ヤキトは少し複雑そうな顔。

 仲間の意見を曲げてしまったことを、割と気にしているのだろうか。

 律儀な彼らしいと言うか、何というか。

「まぁいいや……後は、雇い主が何考えてるんだか全然わからねぇってさ。待遇が良かったから気にしてなかったらしいが」

 閑話休題、解読を再開。

 そして今度こそ重要な情報を見つけたのか、紙をめくる手がぴたりと止まった。

「ラ・ルメイア、って分かるか?そこにいるらしい」

「ダグニアの大国、だったかな。前に『セフィリア方面に行く楽な手段が欲しい』って言ってたのはそういうことか」

 挙げられた地名に対し、アデリーが反応を示す。

 なるほど、そこに黒幕が待ち構えていると。

 次の行き先はそちらになるだろうか……と、ダグニアと言いましたか、今。

「ダグニアってぇと……俺らバルバロスへの当たりが強くなかったか?」

 エリアスも気づいていた様で、その懸念を口にした。

 いくら人族と蛮族が協力する時代、と言えど、全ての者がそれを受け入れている訳ではない。今でも人族と蛮族が対立している地域はある。

 ダグニアもそういった国の一つであり、蛮族に対する世間の目は厳しい。

 流石に昔の様な扱い……問答無用で殺されたり、人権を与えられなかったりするようなことはないだろうが。

「あぁ、その心配はないだろ。残念ながら割と早い段階で落とされちまってるし」

「それはそれで、魔神が跋扈していると言うことですから……いずれにしろですね」

 イッサの言うとおり、そもそも人族の姿が見られない、という可能性もあるのだが。

 何にせよ、現地ではあまり良い待遇を受けられるとは考えない方が良さそうだ。

聖戦士パラディンつったか、精強な神官戦士の部隊がいたって聞いたが……落ちるのは早かったなぁ」

「だな……さて、ノート一冊読み終えたけど。水晶の話は出なかったな」

 新たな目的地に対して不安を抱きつつ、本題に戻る。

 結局正体は不明のままだが……かくなる上は。

「……とりあえずで解呪してみるか?最悪魔神かなんかが出てきても殺れるだろ」

 私が提案するよりも先に、エリアスがそう言った。

 本当はもっと精査すべきなのだろうが……まぁ、少なくともアン・リブレ本人より強力な存在は封じ込められていないだろう。

 そう信じながら、一人解呪中のヤキトの方に皆で寄って行くのであった。




 黒水晶を手に持って、静かに我が神への祈りを捧げる。

 すると水晶がゆっくりと姿を変え、やがて人の子供くらいの大きさと形になった。

 ……少なくとも、これがフェンだとは思えない訳だが、さて───

「───!」

 では一体何だろうか、と思った瞬間。

 それは突然俺に向かって飛びかかり、爪を振り下ろしてきた。

 流石にこれは避けられない……ないが、相手の攻撃も大したことは無かったようで、鎧が軽く音を鳴らしたのみ。

「………」

「………」

 訪れる、しばしの無言。

 その間に姿をよく見ると、以前コ・クーレ邸で見かけたインプのそれであった。

 なるほど、つまり偽物を渡されたと言うことか。最後まで姑息な真似をする男だ。

「………ふんっ」

 とても逃げ出したそうな顔をしていたそいつを軽く斬り捨てる。

 それだけでは足りていなかったので、【フォース】での追い打ちをかけた。

 すると悲鳴にもなっていない声を上げて、小さな魔神はあっけなく息絶えた。

 こんな下級の魔神を仕向けたという事は、完全にただの嫌がらせか。

 人を馬鹿にするのも大概にして欲しいものだ。

「な、何かすごい音がしましたが……どうしました?」

「ん、あぁ。渡された水晶は偽物だったようだ」

 衝撃波の音に驚いたのか、ユカリが心配そうな声で尋ねてくる。

 返事をしつつ振り返ると、どうやら探索は終わったらしく、ユカリ以外の三人も俺の方へと寄って来ていた。

「ほーん……ま、ここに二つ目あるし。そういうことだろ」

 言いながら、エリアスが黒水晶を俺に見せる。

 そちらにフェンが閉じ込められているのであればいいが、さて。

「とりあえず、そっちの話を聞かせてくれ」

「あいよ」

 水晶を受け取りつつ、一先ずは探索の結果を聞くことにする。

 ……なるほど、ラ・ルメイアか。

「あの辺りは蛮族と手を組まないまま落ちていった、と聞いているが」

 奴が遺した手記の内容に対して、俺はそう言葉を漏らした。

 ……自身と同じ立場である神官戦士達が、為す術無く壊滅してしまった、という事実はあまり認めたくないものだ。

 だがしかし、あの辺りが魔神の手に渡ったことで、他国に蛮族と手を組む考えが広まった、とも言えなくはない。必要犠牲、と言う奴か。

「今は大方魔神の巣窟だろうな……んで、こっちの黒水晶も解呪するか?」

「あぁ。試してみよう」

 思う所は色々あるが、それより今はフェンの安否確認だ。

 話を切り上げ、再び解呪の為に集中し、祈りを捧げる。……こちらまで偽物、などということが無ければいいが。

 そこまで意地の悪い男ではありませんように、ともついでに祈りながら、黒水晶を握りしめる俺だった。




「───でこの───でしょう」

「知らね───じゃね?」

 浮遊感と虚無だけが存在していた世界に、聞き覚えのある声が微かに響く。

 何処から聞こえてきたのだろうか。そして、これは誰の声だっただろうか。

 疑問に思いつつ周囲を見回すも、やはりあるのは暗闇だけ。

 ……いや、どうせ何も見えないからと、目を瞑ったままだったのを忘れていた。

 そのまま、ほとんど眠っているような状態で過ごすことにして……あれからどれほど経っただろうか。

「───起きてっかい?───」

 再び声が聞こえる。同時に、頬に何かが触れた感触。

 これは……人の手?という事は、誰かがこの世界に訪れた?

「ん……んん……」

 何はともあれ、まずは状況を確認すべきか。重い瞼をゆっくりと持ち上げてみる。

 久方ぶりの、光というものが瞳に取り込まれる感覚。透き通るようなコバルトブルーが私の視界に映る。

「……無事なようだな。よく寝たか?」

 三度目の声。これははっきりと聞こえた。ヤキトさんのもので間違いない。

 …………それはつまり、どういうことだろう。無事?寝ていた?

 なんとか機能を取り戻した視覚と、何故か動かしにくい首でもって、改めて周囲を見回してみる。右側を向くと、五人ほど壁面に直立しているのが見えた。

 一人、下半身が蛇の様になっているのは……あぁ、ユカリさんか。

 彼女はラミアだった筈。今は人への変貌を行っていないのだろう。

 だとしても、何故壁に立っているのかはよくわからない。

 気になるところではあるが、今度は左を───向こうとした途中で、甲冑の中の瞳と目が合った。

 少し驚いたが、あぁこれはヤキトさんか、と納得してすぐに安心した。

 顔を覗き込まれている、にしては違和感のある角度だが。まぁきのせ、い……

 ……あれ、彼らは元々四人で組んでいた気が。となると増えたもう一人は?

 と言うかやはり、壁に立っている、というのは何かがおかしいのでは?

 ついでに、あの暗闇の牢獄から出してもらえた筈なのに、未だに浮遊感が抜けないのは一体何故───


 そこまで考えたところで、私はようやく今の状況を理解した。

 あぁ、今私、ヤキトさんに抱きかかえられているのか。

 皆が壁に立っているように見えるのは、そもそも私の体が天井を向いているからだ。

 あ、しかも私、随分可愛らしいミニドレスを着せられているではないか。

 やけに風通しがいいなと思ったが、なるほど。肩も脚も出していれば当たり前だ。

 捕らえられた時のぼろぼろで見窄らしかったあの装備から、きっとあの男が着替えさせてくれたのだろう。気が利いているのかいないのか。

 さて。


「───!??!?!」


 状況を理解した次の瞬間、とんでもない顔と声で動揺する私がそこにいた。

 出来ることなら、もう一度暗闇の中に放り込んで欲しいくらいには恥ずかしかった。


 で、それからしばらくして、なんとか平静を取り戻し。

 この城に用事はもう無いとのことなので、報告の為に一度ディザとディルクールへ向かおう、という話になった。

 ……ところで私、この服装のまま帰らなくてはいけないのか。

 ヤキトさんから羽織るための毛布を貸してもらったが、それでも少し恥ずかしい。どうしても脚を隠しきれない……

「……待ってください、気配が無さすぎます。あんなに魔神がいたのに」

 なんて馬鹿なことを考えながら歩いていると、ダンスホールらしき部屋の中心で、ユカリさんが突然足を止めてそう言った。

 てっきり彼らが全員倒してしまったものかと思っていたが、そうではないらしい。

 という事は、倒さなかった魔神達は既に撤退してしまった、のだろうか?

 ……はて、撤退する理由が思いつかないし、するにしたって余りにも手際が良さ過ぎる気がするが───

「犬めが、あそこまでくれてやってこのザマか」

 そう思ったのとほぼ同時、突然聞き覚えのない声がホールにこだました。

 先程の様に私の意識がぼやけている訳では決してない。つまり、本当にどこからともなく声がして来ている。

「……構えろ」

 ヤキトさんが静かに剣を抜き、盾を構える。

 私がいない間に出来た知り合い、という訳でもなさそうだ。つまり招かれざる客か。

 そうと分かれば私も構え……あ、武器も防具もない。あったとしても、この格好ではちょっとその、色々問題が……

「何もんよ?あんた。イケてる声だけじゃなく姿も見せてくれよ」

「おっと、これは失礼」

 再び馬鹿なことを考えている間に、エリアスさんが余裕の挑発。

 それを受けた声の主が軽く詫びると───私達の前に、黒い霧のような物が突然湧き出してきた。

 それは少しずつ形を整えていき、ホールの天井まで届きそうな程になり。

 最終的に巨人の……いや、巨大な魔神の姿となった。

 今まで見てきたどの魔神よりも巨大で、禍々しいシルエット。

 だが、圧や魔力といったものは感じられない。あくまで"姿"を見せているだけ、か。

 ……直接この場にやって来られていたら、それはそれで困るところだが。

 とりあえず、特に出来ることのない私は、目の前の魔神を凝視し続けることにした。

「もしかして、魔神将ガルシア?アン・リブレが言っていた」

「いかにも。思いの外立て込んでいてな、今日は遠くから失礼させてもらっている」

 アデリーさんの問いに対して、彼はそう答える。

 魔神将ガルシア。アン・リブレの上司であろう者。

 力の程は分からないが、間違いなく魔神軍で最上位の存在だろう。

 いずれは……否、次はこいつを倒すことを目指さなければいけないが。

「ほー、親玉ってことかい……んで?その親玉が何の用で?」

「ああ。アン・リブレを倒した貴殿らを引き抜きしようかと思うてな。

 どうだ、奴の代わりに余の下で働かぬか」

 そして、エリアスさんの続く問いに対してはこう。なるほど、理に適った提案だ。

 私達を味方に付けることが出来たならば、人族の戦力を奪うことが出来る上、こちら側の事情も知ることが出来る。

 こういった戦争において、敵の将をただ殺すだけとするのは、逆に大きな損失となり得るものだ。

 手慣れた様子で話を進めている辺り、アン・リブレを始めとする裏切り者達の中にも、この様にして引き抜かれた者がいたのかもしれない。


 もっとも、私はもちろん他の皆の返事は───


「だってよ。どうする?」

「断る」

「俺も」

「はぁ。魔神将の頭には虫でも湧いているんでしょうか……」

「即答だね皆。私も断るけどさ」


 ───想像していたより早いし辛辣であったが、まぁ概ね予想通り。

 不埒者であればまだしも、魔神を倒すために集まった者達が、そう簡単に寝返る訳はないだろうという話だ。

「くく……まぁ良い。さておき、先程受け取ったこれを少々試してみるとするか」

 満場一致で拒否を示した私達を見て、ガルシアは不敵な笑みを浮かべる。

 そのまま懐に手を伸ばすと……我が国の秘宝の一つを、こちらに見せつけるように持ち上げた。

 ……えっ、どうしてあれがそこに?あれは確か、神へのきざはしの麓の村で厳重に保管されていたはずでは?

 私が捕まっていた間に一体何が??


「先の問いに肯かなかったことを、精々あの世で後悔するのだな……」


 そんな私の疑問など露知らず、魔神将を形どる霧は静かに散っていく。

 困惑する私だけを残して、ダンスホールに静寂が訪れたのだった。

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