見えない敵、というのは相手にしたことがない。

 そもそもそんなもん聞いたことすらなかった。今日が初対面だ。

 だが、集中すれば『何処にいるのか』ぐらいはなんとか分かるな、と感じた。

「……む、今何か当たったな」

 だから、ヤキトがそう言ったとき、絶好のチャンスだと確信した。

 俺達の位置関係、鎧が発した金属音、そして俺の勘。

 全部合わせれば、例え姿が見えなかろうと。


「───はっ、あめぇよ!」


 攻撃の隙を突いて殴り返すことぐらい、朝飯前って訳だ。

『───!?』

 俺が拳を放った先から、確かな手応えと唸り声。まさか当てられるとは思ってなかったみたいだな。

 そして、俺が殴った空間に向かってイッサがすかさず追撃。

 どうやら奴は殴りよりも投げが得意らしい。見えない魔神の体をがっちり掴んで、勢い良く床に叩きつけた。

 投げられた魔神が立ち上がる気配は……ない。打ちどころが悪かったのか、今のでダウンしたらしい。

「やるじゃん、イッサ君?」

「腕……いや、脚は鈍っていないようだな」

 俺に負けず劣らずの技を披露してくれたイッサへ、素直に賞賛の言葉を送る。

 ヤキトも楽しそうに、上手いことを言っていた。

 それを聞いたイッサはニッと爽やかな笑みを浮かべ、こう返してきた。

「あんな技を見せられてやる気にならねぇ奴は、拳闘士じゃないさ」

「はははっ!そりゃそうだ!」

 うむ、やはりこいつとは仲良くなれそうだ。ヤキトと言いユカリと言い、頭の固い奴ばかりだったから助かるぜ。

「……後ろで見ているだけ、というのもなんだな」

 早くも秘策を破られた大将さんが、焦りからかそんなことを言ったのが聞こえた。

 ようやく参戦するのかと思ったが、しかし奴は後ろに下がっていく。なんだ、まだ何か隠し持ってるのか───

 そう思った次の瞬間、男三人とユカリの呼んだ妖精の体が宙に浮き上がっていた。

 なるほど、いつぞやのあの技は攻撃にも使えますってか。器用な奴だ。

 ……言ってる場合かこれ。このままだと多分床に思いっきり───

「ガッ……!」

 予想通り、三人と一匹で仲良く顔面から落とされた。どうにか受け身は取れたが、全身が死ぬほど痛い。

 更にそこへ、向こうの犬っころが追撃のブレスを放つ。

 この間のエンストークのもの程ではないが、氷の息吹が痛んだ体によく染みる。

 不味いな、ヤキトに庇ってもらうことも、殴り返せも回避も出来ない攻撃が多すぎる。

「大丈夫……じゃなさそうですね」

 ボロボロになった俺達をユカリと妖精がすぐさま魔法で癒やしてくれるが。

 アン・リブレ本人との殴り合いを考えると、のんびりやってる余裕はないだろうな。

「いつもより急ぎで、かなっ……!」

 続くアデリーが使ってくれたのは、操霊魔法の……【ファナティシズム】だっけか。

 殺られる前に殺れということらしい。人使いの荒い女達だなまったく。

「ええ。信じてますからね、男三人」

 魔法の詠唱を終えて、ユカリがそう言う。アデリーもうんうん頷いている。

 ……こんだけ頼られちゃ、まぁ仕方ねぇな。

「は、任せろよ」

 体勢を立て直してもらった俺達は、よろよろと立ち上がって三本の首と向かい合う。

 早くこいつをぶっ飛ばして大将首を取りに行かないとな。




「おらっ、死ねや犬っころ!」

 イッサの蹴りに続いて、エリアスの三連撃が魔犬の胴体に突き刺さる。

 早くも限界を迎えたらしく、その攻撃によって奴はその場にへたり込んでしまった。

 思っていたよりか弱い生き物のようだ。魔神を生き物に数えていいのかは微妙なところだが。

「……ふむ」

 手下が一人やられ、もう一人が倒れるのも時間の問題。

 そんな状況の中でアン・リブレは、わざとらしい思案顔を浮かべていた。

 そしてしばらく何かを考えた後、後方へと歩きながらこう口にする。

「もう少し遊んでいきたいところだが。ガルシア様への報告があるのでな」

 そう言うと、床を軽く蹴りつけた。すると蹴られた部分が開き、人一人が通れるだけの穴が開く。隠し通路か。

 奴はそのままそこへ体を落とし、視界から失せてしまった。

 どうやら今回も逃げるつもりでいるようだ。

「ちっ、逃げやがった!」

「そうまでする何かがある、のか……!?」

「あの魔法を見る限りだと、あっちの方が有利に見えるけどね……」

 舌を打つエリアスに、逃げた理由を考えるイッサとアデリー。

 確かに逃げた理由は気になるし、今すぐ後を追いたいところではあるが。

「なんにせよ、目の前の奴を片付けるぞ!」

 残念ながら、手負いではあるものの行く手を阻む者がいる。

 まさか一人二人だけで奴を追う訳にもいかないし、もちろん全員で強引に突破するのも危険だ。

 悔しいが、時間を稼がれているのを承知でこいつを倒しきらないといけない。

「了解っ、縛っとくからさくっとよろしく!」

 アデリーの真語魔法、【パラライズ】によってまずはケルベロスの動きを鈍らせる。

 単純ながら強力な魔法だ。

 そこへすかさず、エリアスとイッサが続く。

 三連と二連、計五発が頭の一つに叩き込まれるが、しかしそれだけでは倒れない。

 胴体と違い頭部は頑丈なのか、それとも当たりが微妙だっただろうか。

「クソッタレ……決まらねぇなぁ」

「任せろ、そのための俺だ」

 愚痴をこぼすエリアスにそう告げて、俺も攻めに転じることにする。

 行使するのは回復魔法や加護の魔法ではなく、神の拳を顕現させる神聖魔法、【ゴッド・フィスト】。

 騎士らしからぬ攻撃手法だが仕方あるまい。現に奴の頭蓋を一つ砕いてくれた。

 残った二つの頭は窮地に追い込まれた、と気づいてか、焦るように噛み付いてくる。

「やるねェ、っと!とろいぜおい!」

 しかし残念ながら、それは悪手だ。一つは俺がいなし、一つはエリアスが殴り返す。

 唯一の脅威であるブレスも、頭が三つ揃っていないと大した威力にならない、とユカリから伝えられている。

 ここからは、焦って不用意な行動を取らなければ問題ない。急がば回れという奴だ。

 あの男を追わねばという気持ちを押さえ込みながら、二つ首になった魔犬との睨み合いを続行することにした。




「……ふむ、やっぱり私には妖精魔法の方が合ってますね」

 結論から言うと、ケルベロス一匹程度に苦戦させられるような事はなかった。

 ヤキトが庇い、エリアスとイッサが殴り、私とアデリーが最低限の補助を行う。

 私達の基本戦術を崩す術がない以上、あのような中堅止まりの魔神程度では相手は務まらないのだ。

 そういう訳で、前衛三人の総攻撃の後、私が放った【ウィンドカッター】で以って前哨戦は終わったのだった。

 ちなみに何故先の発言をしたのかと言うと、最近正式にキルヒア神官になって神聖魔法を使えるようになったからだ。

 妖精を呼び出している間、私は妖精魔法を使うことが出来ない。

 その制約の関係で手持ち無沙汰になることが度々あったので、他に何か出来るようになっておこう、という考えだ。

 単純にもともとキルヒア様を信仰していた、というのもあるが。

「はー、クソッタレ……また逃げられちまったぜ」

 倒れたケルベロスには目もくれず、エリアスが苛立ちを隠さずにそう言う。

 苛立っているだけで怒っている様には見えないのは、単純に奴と戦いたいだけだからだろうか。

 彼らしくて逆に安心するけども。フェンさんからすると複雑な心境だろう。

 そんないつも通りなエリアスに対して、冷静にイッサがこう意見を述べる。

「だが、まだ奴が逃げてからそこまで経っていない。それに奴は【テレポート】ではなく、普通に逃げていった」

【テレポート】。確か真語でもかなり高位の、長距離への瞬間移動を行える魔法だ。

 それを使えるのであれば、わざわざあんな逃げ道を用意する必要はない。

 ということは、逃げるだけの理由があるということであり、同時に【テレポート】をする気は無いのだとも受け取れる。

「逆に今が好機、ってことか」

「なるほど。んじゃ行くか!」

 彼の発言の意図を察して、アデリーとエリアスが足早に開かれた床に向かう。

 戦いはまだ終わっていない。遅れぬように私も皆に続いていくことにした。

 待っていてください、フェンさん。これが終わったら出してあげますからね。

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