最終話 Decide




 それから数日後、俺たち三人は呼び出された。電話を取る母親の顔が神妙だったことから、何か良くないことでもあるのかと身構えた。


「石見くんのお母さんから」


「え……」


「夕食をごちそうさせてくれるって。ちゃんとお話してきなさいね」


 そういわれて、俺はゆっくりと頷いた。


 達也と朱音も一緒だというので、三人で近くの公園に集まってから向かった。

「どんなうまいもん出るんだろうな」と達也はいい、「そこは期待しちゃダメでしょ」と朱音がたしなめた。俺は黙ったまま、足を動かすだけだった。


 やがて、晴人の家が見えてきた。静かな住宅街の中にある、クリーム色の一軒家である。周りに並んでいる家々よりもひと回り小さいが、その分オシャレな雰囲気がある。この近くに小さな自然があり、その裏が例の廃工場があるところだ。まだ野次馬はいるだろうか。黄色い規制テープは張られたままだろう。中の壊れた機械は、警察に押収されたのだろうか。あのとき書いた落書きは、まだ残っているのだろうか――。


「まあ、いらっしゃい。よく来たわね」


 何年ぶりか会う晴人のお母さんは、当たり前ながら年を重ねていた。そのやつれた表情をごまかすかのごとく、明るく歓迎してくれた。まるで息子なんか、いなかったのごとく。俺たちは、その対応にただ困惑するだけだった。


「あなた、みんな来てくれたわよ」


 リビングでは、晴人のお父さんが新聞を読んでいるところであった。考えれば、これがお父さんとの最初の対面であった。老眼鏡の裏にある顔は晴人とよく似ていて、さすが親子といえなくもなかった。


「ほらあなた、みんなすごい大きくなって、もう立派な大人ね」


 けなげに褒めたたえるお母さん対し、お父さんは「ああ」と小さく答えただけで、すぐに新聞のスポーツ欄に目を落とした。

 やがて、全員分の食事が大きなテーブルに並べられた。数えると、六人分あった。そういえば、晴人には妹がいたんだっけ。たしか、まだ中学生の。さすがに、兄貴の知り合いと飯を共にする勇気はないだろう。

 献立はハンバーグ定食だった。デミグラスのような味のソースをかけた肉は、とってもおいしかった。その最中は、お母さんと達也が会話をし続けていた。学校のこと。部活のこと。勉強のこと。俺はたまに口を開く程度で、もくもくとごはんを口に運んでいた。

 俺の中には違和感が生まれていた。お母さんから、「晴人」の言葉が一度も出なかったことに。

 死人なら、冗談めかしに思い出を語れるだろう。でも、晴人は死んだわけじゃない。一生お別れしたわけでもない。ただ、犯罪を犯して、ナイフを振るって、牢屋に入れられている。それだけだ。

 ある程度の時間になり、おいとましようとしたそのとき、「佐藤くん」と呼び止められた。お父さんの声だった。


「はい」


「あのな――」


 すると突然、お父さんが床に突っ伏した。俺は呆気に取られて、口がうまく開かなかった。


「頼む」肩を震えさせながら、お父さんがいった。「あいつを、晴人を待ってやってください」


 隣で、お母さんの小さな悲鳴が聞こえた。俺はまず、「顔を上げてください」といった。心が乱れたままで、それくらいしかできなかった。


「この度は、本当に佐藤くんに迷惑をかけた。それもすべて、育てた私に責任がある。そんな身で頼みごとをするなんて、傲慢であることは重々承知している。でも。でも……私は、君たちだけは晴人の友達でいてやってほしいんだ。頼む」


 悲痛な声で、再び床に額を押し付けながら懇願するお父さんに、俺はいった。


「安心してください。俺たちは、晴人の友達ですから」





 ひどい疲労感が溜まっていた。食事に行っただけなのにこのザマとは。俺は力なく、笑みを浮かべた。

 家のドアを開けて、無言で靴を脱ぐ。物音で気づいたのか、「ちょっと、ただいまぐらい言いなさい」と母親の小言が耳に入った。だらっとしたまま、自室に入っていっく。

 晴人がちゃんと生活を送れるようになるのは二、三年かかるらしい。「待ってくれ」というのは、それまでということなのだろう。


 勉強机に、俺は手を伸ばした。教科書や参考書で埋め尽くされる挟間に、パンフレットが挟んであった。

 大学案内である。それも、関西方面の――。

 引っ越すとなると、親を説得しなきゃならない。でも、最終的には分かってくれるんじゃないのか。


 俺は膝から崩れ落ちた。涙がじんわりとあふれ出てきた。


「ごめんな、晴人……」


 パンフレットを抱きしめたまま、俺は嗚咽をもらしていた。





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生贄セルフィッシュ 蓮見 悠都 @mizaeru243

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