第4話 若年エリート労働者の現実

 翌朝。俊矢は職場である修理工場で、メールチェックを行っていた。メールの内容は、修理を依頼してきた顧客からの、どこがどういう風に壊れているから、修理に一万円以上かかるようなら連絡を欲しい、などの文面が延々と続いている。俊矢が毎日残業したところで、顧客のニーズに応えきれないような量の仕事が、ダブついていた。

「おうい、窪田君。タバコ、いる?」

 前歯の無い男が、俊矢の側に、椅子に座ったまま滑り寄って来た。

「先輩、おはようございます」

 俊矢は、ディスプレイから視線を外すのに2秒ほどかけて、前歯の無い男「石田」を見た。石田は、セブンスターをひと箱差し出しながら言った。

「はい、千円」

 俊矢が作業着の胸ポケットから折りたたんだ千円札を取り出すのを、凝視する石田。

「千円で、こいつの頭の周りを一周したら、どうなるのかな」

 そんな不埒な考えが、俊矢の脳裏をよぎった。そして石田の手には千円札、俊矢の胸にはソフトケースの煙草が、捻じ込まれた。

「おい、トシ。アイツからまた、煙草買ってんのか?七百円が千円だぜ。カツアゲだよ、全く。お前も、禁煙しろよな」

 19歳の三田村が、すれ違いざまに警告を発した。俊矢は、1歳年上の三田村の言葉を聞いて、立ち上がった。

「目、休めてきます」

 そう言って、俊矢は持ち場を離れた。

 俊矢は工場脇の空き地の、狭い空に向かって煙を吹き出した。吐くのではなく、吹く事によって、笑っているような気分になる。そんな、呪いじみた行為も、何の足しにもならない絶望感。

「勉強ばっかりして、法的には大人になったさ。だけど、ただの18歳だ。ただの。これから先、何になるっていうんだ?20になったら、堂々と煙草を手に入れるか?それが何だって言うんだ?」

 子供は遊び、若者は楽しむ。それが奪われた社会には、絶望が漂う。


 ロボ先生の修理が着手されてから一週間後。連絡を受けた子供たちが、朝からキタカメの用務員室に集まっていた。そしてすぐに、兄弟だけになった。

「アニキ、酷いよ」

 ロボ先生「ノア」は、巨乳の美少女になっていた。

「まあ、ノアはオレの彼女だからな。先生やるために置いといたわけじゃ無いし」

「僕らはどうなるんだよ」

 俊矢は、汚いソファにタオルを敷いてから、そこに腰かけて煙草に火を点けた。狭い部屋に煙が充満して、佳樹は浅い呼吸をし始める。佳樹の頬は紅潮し、もみあげの青い部分には汗が滲んでいる。

「佳樹、ロボ法って、知ってるか」

「え、知らない」

「ノアは、一緒にいるだけで犯罪なんだよ」

「……」

「オレら、実はヤバい状況なんだよ。とりあえず、ノアは隠すから。明日の夜だ。他の奴らにそう言っとけ」

「僕、殺されるよ」

「何とかしろ。男だろ」

「子供だよ」

「じゃあ、今から大人になれ。オレはそうした」

「……分かったよ」

 佳樹は、泣きながら午前の授業に向かった。


「皆、聞いてくれ。ロボ先生は、もう来れないんだ。明日の夜7時、お別れ会をするから、キタカメの用務員室に、来れる人は来て」

 大汗をかきながら教卓に手を置いて語り始めた佳樹は、教室に二人しかいない事に気が付いた。

「あれ?皆は?」

 佳樹は、仁子に尋ねた。仁子は美愛とあやとりをしながら

「アベセンとドッジボールしてる」

 と答えた。美愛は、あやとりの「川」のまま手を止めている仁子を置いて、教室を飛び出した。

「おーい、待てよ」

 佳樹は美愛を追いかけた。

「いいなー。青春って感じ」

 仁子が、独りあやとりをしながら、ため息交じりで呟いた。

 

 美愛が、学校を取り囲むようにそびえ建つ、庭付きのマンションの敷地に駆けていく。それを追う佳樹。

「ぼうや、歩いてたんじゃ追い付かないよ~」

 おばあさんが、ヒマワリに水を与えながら佳樹を応援した。

 マンションの一棟を見上げ、その二階の通路に美愛を発見した佳樹は、階段を昇り後を追った。二階の、ドアが並ぶ通路は、佳樹がたどり着く頃には静まり返っていた。

 佳樹は、荷物がゴタゴタと置いてあるドアの前に立った。そして、ドアノブに手をかけた。ドアは、開いた。そして、美愛と佳樹は目が合った。

「何でうちが分かったの」

 美愛が、抑揚の無い声で尋ねた。

「美愛は、親から気にされてない感じがしたから」

「……」

「美愛、ロボ先生のお別れ会、来いよな」

「行くし」

「掃除、しないの?」

「掃除って、親がきちんとするもんでしょ」

 美愛は、佳樹を睨んだ。

「違うね。美愛は、大人のせいにして、逃げてるんだ。掃除なんか、出来る奴がしたらいい。オレは、そうしてる」

 そう言って、佳樹は少し泣いた。美愛は、佳樹をまじまじと見つめ

「あんた、そういえば4年だっけ」

 と、思い出したように両手を打った。


 その頃仁子は、大事な事を思い出しそうな気がして、そわそわしながら、南風に吹かれていた。

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