第209話 雨の戦い

 アッシモは顎を軽く撫でて見せた。

怪訝な目つきでこちらを睨んでは、視線を泳がし辺りの気配を探る。

 眼光は増々強さを帯びて行き、おしゃべりなはずの口は固く結ばれていた。

 冷酷な眼差しは、マッシュに固定される。


「ォォオオオオー!」


 冷酷な眼差しのまま吠える。

 両手に手斧ハンドアックスを握り締め、姿勢低くマッシュに飛び込む。

 囲まれているのに、気がついていない分けじゃあるまいし、ヤケを起こすタイプでもない。

 向かってくるアッシモに警戒を強め、長ナイフを構えた。

 脇を囲んでいたドルチェナ達もアッシモに向かって飛び込んで行く。

 その刹那、地面に埋まる入口が勢い良く開くと、黒ずくめの猫人キャットピープル達が飛び出して来た。

 絶妙、このタイミングを伺ってやがったのか。

 アッシモの一撃がマッシュを襲う、重い斬撃が腕を伝って響いて来る。

 この馬鹿力が!

 マッシュは後ろに転がりながら勢いを殺すと、見覚えのある猫人キャットピープルが追撃の手を緩めない。顔に火傷の跡を残す猫が切っ先を転がるマッシュに向けていく。

 馬車の時のヤツ。

 足があらぬ方向へと曲がり、吠えていたあの猫人キャットピープル

 雪辱を誓う猫の顔は再会の歓喜に醜く歪み、マッシュだけを見据えていた。

 一撃必殺を狙う猫の刃が、マッシュの顔面を捉える。

 バランスを崩すマッシュの腕の上がりが一瞬遅れた。

 マズイ。

 頭を振って歓喜の切っ先を外す。切っ先はマッシュの頬を掠り皮膚をパクリと開いていく。

 起きる間もなく、アッシモが迫る。

 猫の刃は雨で柔らくなった地面へ深く突き刺し過ぎしもがいていた。

 猫がもたつく間に後ろ転がっていく。

 


「クッ!」


 起き上がる瞬間を狙うアッシモの手斧。

 泥だらけのマッシュを狙い打つ、狙いすました速振の斧が振り下ろされた。

 ガキッ。

 覚悟を決めたマッシュの耳に届く、鈍い金属同士の炸裂音。

 カズナの長い足が斧を弾いた。

 カズナは間髪入れずにリーチの長い蹴りを繰り出す。

 態勢を整える隙を与えない、アシッモに対してスピード勝負を挑む。

 休むことのない瞬速の鉄足。

 アッシモはカズナのスピードに舌打ちが聞こえた。

 面倒な相手だと認識している証拠だ。体へ頭へとカズナの蹴りが飛んでいく。

 顔をしかめ、斧を振り、蹴りを躱していくとアッシモは防戦一方となっていった。

 カズナはここが勝負と見て、スピードのゴリ押し、アッシモの空気が変わっていく。

 振られるはずの斧が、突然前への突きを見せた。


「クッ!」


 突然の動きの変化に対応が遅れ、反射的に突き出したカズナの脛が激しく斧とぶつかり合った。

 脛からイヤな音が鳴ると激しい痛みがカズナを襲う。

 後ろに跳ねて、一旦距離を取る。

 アッシモが瞳をギラつかせ、ゆらりとカズナに近づいて行った。

 


 乱戦。

 ドルチェナ達も黒ずくめの猫に苦戦を強いられていた。

 沸いてくる敵の数が多すぎる。

 雇われた輩も散見する、獣人ばかりが都合20名ってところか。

 最後にゆっくりと現れた犬人シアンスロープのふたり。

 わざわざお出迎えとはな、クック(摂政ロブ)。

 そんなにそこの客人アッシモが大事か。

 その側にいる犬人シアンスロープが片腕のセロ、まさしくヤツのイヌだな。

 マッシュを睨む火傷の猫の手は緩まない。

 させないよ。

 ドルチェナの刃が、マッシュから遠ざけて行く。火傷の猫は苛立ちを隠そうともせずドルチェナを睨んだ。

 素早い刃と長ナイフが何度となく切り結ぶ。

 


真ん中で悠々と戦況を見守るふたりの犬。

 高みの見物とはな、気に入らんね。

 その余裕も今のうちだけだ。


「ユラ! 頼む!」


 ユラが待っていましたとばかり詠唱を始める。

 少し離れたところでジリジリする思いで戦況を見守っていた。

 手の平を赤く光らせ、無人となった入口へ疾走する。

 ドルチェナが、ロクが、疾走するユラの道を作っていく。

 ユラが入口へ火山石ウルカニスラピスを放り入れ、間髪入れずに炎を射出。

 後ろへ跳ね、大楯を構えた。


「【炎柱イグニス】」

 

 ドォォォォオオオオオオオオ


 入口から激しい炎の柱が噴き出し、その振動で周辺の地面が揺れる。

 その振動に雑な作りの穴が耐えられるはずがない。

 避難経路を潰した。さあ、どうする?



クックとセロが目を剥き、ユラを睨んだ。

 ユラがそのままの勢いでクックに迫る。

 セロの横一閃。

 細身の少し湾曲をおびる風変わりな剣が、ユラの目前を通り抜けた。

 クックの前に立ちはだかるセロをユラが睨む。

 大楯を構え直し、杖を構え直すと眼前のセロを邪魔だとばかりに睨む。

 大楯が細身の剣を受け止めると、ユラは杖を思いっきり振った。

 犬には似つかわしくない俊敏な動きで、ユラの重い斬撃を躱す。

 盾の隙間を狙い、細身の剣を滑り込ませ、ユラの眼前に何度となく迫った。

 こいつ、ただの裏方じゃあねえぞ。

 ユラの頭の中で対峙するイヌの認識が塗り変わる。

 的確な太刀筋になす術が見つからない。盾で受け止める事も出来ず、ひたすらに眼前に迫る切っ先から逃げるだけだった。

 クソ。

 セロの斬撃がユラの肩口を捉える。

 破れた法衣の下から軽装備アーマーが剝き出しになった。

 その姿にセロは顔をしかめる、肩を抉ったと感じた一撃を軽装備アーマーに阻まれた。

 ハズレでも引いた気分に、セロのイラ立ちが増していく。

 涼し気な目元に怒気を露わにすると、切っ先の勢いが増していった。

 こいつ、つえー!

 ユラの表情に焦りが生まれたのを、セロは俯き口端を上げる。

 

大楯をギリリと握り直し、セロの斬撃へ盾ごと飛び込んだ。

 盾で、パワーで、その斬撃を止める。

 その姿にセロの口元が妖しい笑みを浮かべた。

 闘牛のマタドールのごとく、ユラの突進をヒラリと躱す。

 しまった!


「ウッ!」


 ガラ空きの脇腹へ重い蹴りが飛んだ。

 あまりの勢いにユラの体がくの字に曲がり吹き飛んでいく。

 あばら骨の壊れた音が響く、脳天まで痛撃が走った。

 濡れた地面へ転がって行き、体中が泥にまみれる。

 脇腹を押さえ立ち上がると、せせら笑うセロの切っ先が肩を襲った。

 肩を貫いた剣先がズブと抜かれ、刃から血が滴り落ちる。


「野郎⋯⋯」


 ユラの睨む先にセロがいない。

 

 見失った。

 瞬間の凡ミス。

 

 死角に潜ったセロの剣が、ユラの心臓を貫かんと迫る。

 

 ユラの口元が笑う。


「そうくると思ったんじゃあ!」


 割れたあばら骨が軋む。


「いてえー! けどぉっ!」


 ユラはお構いなしに体を捻り、セロの刃をスレスレで躱した。

 歯止めの利かないセロの体ががら空きとなって、ユラへと突っ込んでくる。

 捻った動きのまま杖をかちあげた。ノーガードの強撃。

 突っ込むセロへ、特大のカウンターを下顎に打ちあてる。


 ゴンッツッ!


 顎の割れる音を聞いた。

 セロはそのまま白目を剥いて、地面へ体を投げ打つ。

 その姿を目の当たりしたクックが冷たい視線をユラに向け、剣を抜く。

 凛と立ちはだかると、倒れるようにユラへと突っ込んで来た。

 脇腹を押さえ、なんとか盾を構えるがクックの蹴りが盾を蹴り飛ばし、そのまま流れるように剣を振り下ろしていく。


 影が飛び込む。


 クックの剣を、金属音を鳴らし弾いた。

 顔や体から血を滲ませている、ボロボロな姿のマッシュがユラの前に立ちすくむ。

 後方には濡れた地面に沈む、火傷の猫人キャットピープルの姿が見えた。


「ユラ、悪いな。てこずった」

「あっちこっち、痛えんだ。まかすぞ」

「盾構えて、下がっていろ」


 クックは両手で剣を握り直し、対峙するマッシュを冷ややかに見つめた。

 そこに油断は感じない、堂々と構える姿に隙がない。

 内勤専門なわけないわな。

 マッシュも構え直し、クックと視線を交える。

 柔らかくなった土をしっかりと踏みしめ、その時を待った。

 雨が打ち付ける。

 顔から流れる血を洗っていった。

 マッシュが仕掛けた。雨に濡れる切っ先を心臓目掛け突いていく。

 キンと軽い音は鳴らしクックが弾き、そのままマッシュへ振り下ろす。

 体を斜めにしてクックのしなやかな剣先から逃れると、引いた足を軸に回し蹴りを脇腹へ蹴り込んだ。

 クックが小さく呻き、一歩下がって様子を見る。

 浅かったか。

 クックが態勢を整えると間髪入れずに、切っ先を向ける。

 速度の上がる太刀筋に気が抜けない。

 クックの突きがマッシュの顔面を狙う。

 目の前に飛び込む刃先を頭だけで避けた。

 クックはそのままの勢いでマッシュの懐まで飛び込むと鼻先に肘打ちをかました。

 潰れたマッシュの鼻から、血がボトボトと垂れ落ち。

 その衝撃に視界から火花が飛び、頭が一瞬クラっと揺れた。

 マッシュは頭を振りながら下がり、態勢を立て直そうとするもクックがそれを許さない。

 二の矢、三の矢と容赦のない刃がマッシュを襲った。

 ギリギリの所で受け止めてはいるが、呼吸は苦しく、ぼんやりとする頭はうまく回っていかない。

 無駄に体力だけが削られて行く。

 打開する術が、吐き出す荒い呼吸と、打ち付ける雨に流れ落ちて行く。

 全く持って本当に鬱陶しい雨だ。

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