第208話 雨音

 雨が打ち付ける中、街道から少しばかり入った新しい避難経路の入口。離れた場所からジッと睨む。

 迷彩色に近い雨避けの布を木々の間に張り、ふたりはその下に潜り込み息を潜めた。

 入口を見つめる四つの獣人の瞳。

 不穏な動きを見過ごすまいと前を睨む。

 布を叩く雨粒の音がうるさい、張り込みをするには最悪のシチュエーションだった。


「これ食う?」

「何それ?」

「牛」

「貰う」


 ピッポは齧っていたジャーキーを半分に切ると、シモーネに渡した。

 口に咥え、ガジガジと旨味を噛んでいく。

 いつまで経っても噛み切れないジャーキーを、気が付くとずっと口に咥えていた。


「どうダ?」


 カズナが後ろから声を掛けた。ふたりは黙って首を横に振る。


「代わろウ」

「じゃあ、オレ一回抜けるわ」

「じゃあね~」


 ピッポが腰を上げる。

 大きくない洞窟を見つけ、そこに拠点を作った。

 休憩が出来て、すぐに飛び出せる場所。

 ランプが揺らめき、ぼんやりと照らす。

 うす暗い洞内、その時が来るのをひたすらに待つ。

 押し黙り、各々が休息を今は取っていた。

 マッシュが洞口から外の様子を伺う。

 鬱陶しい雨だ。

 叩きつける雨粒を睨み、軽く舌打ちをしていた。





 濡れた雨具を畳みながら、キルロとリブロが【ハルヲンテイム】の廊下を進む。

 扉を開けてくれたアウロからシル達が治療を受けている事を聞き、足早にシルの元へと向かっていた。

 

「はーい、どうぞ」


 扉をノックするといつもの声が病室の中から届く。

 中へ進むと上半身を起こし、外を見つめる美しいエルフがいる。


「あら、イヤだ。王子じゃない、こんな姿見て欲しくなかったわ」


 口元に笑みを湛え、いつもの弓なりの双眸を見せる。

 表情に暗さはないが、やはりどことなくやつれた感じがして、ヤルバの話をする気にはなれなかった。


「大怪我して、運び込まれたって聞いたからすっ飛んできたけど、思ったより元気そうで良かったよ」

「あら、飛んで来ちゃった? もしかしてそれって愛の力? フフフ、いつでも良くてよ」

「どこをどう切り取ったら、そうなるんだよ」


 両手を広げて待ち構えるシルにキルロは嘆息する。

 後ろで見ていたリブロがシルのその姿に懐疑的な眼差しを向けていた。


「おい、これ本当にシルヴァニーフ・リドラミフか? 偽物じゃねえのか? 本物はもっと怖えぞ」

「うわぁ⋯⋯リブロ。なんでアンタがここにいるの? なんか臭うと思ったら、邪魔だからあっち行って。ほらほら」

「なんだ、ふたりは顔見知りか。仲良いんだな」

「止めて。こんなゲスい男知らないわ」

「そらぁ、こっちのセリフだ。こんなおっかねえ女近寄りたくもねえ」

「はいはい、わかった、わかった。シル、ゆっくり療養してしっかり治せよ。【癒光レフェクト】」


 退室する前にヒールを落しておく。

 シルが安堵の表情を浮かべ、ベッドへ横たわる。

 思っていたより回復していて良かった。シルの姿にキルロも安堵した。


「ハルヲー!」


 廊下に出るとハルヲの姿が見えた。キルロの声に振り向くと顎で一室を指した。

 ハルヲに言われるがまま部屋の中へと入る。

 テーブルと椅子しかない部屋で、キルロとリブロが腰を下ろした。

 シルと違いハルヲの表情は優れない、険しい表情でふたりを見つめる。

 その姿に何か良くない事があったのは、容易に想像がついた。


「シル達が嵌められた。嵌めたのはカイナ」

「はぁ? カイナ?」


 キルロの頭は一瞬混乱したが、黒幕のひとりは【ノクスニンファレギオ】の副団長。

 そう考えるとカイナの名が出てもそこまでおかしくはない。

 リブロも険しい表情を見せるが、キルロと同じ事を考えていた。

 ただ、ハルヲから聞く事の経緯に、ふたりの顔はみるみる険しくなっていく。

 話を聞けば聞くほど、先ほどのシルの顔を思い出し胸が苦しくなった。

 やつれた顔で外を見つめていたシルの姿、きっとまだ自戒の念に苛まれている。

 それでも前を向く、シルの姿勢。その姿勢には尊敬の念すら覚える。


「その狼兄妹が見たエルフはセルバで間違いないな。ヤルバの話と照らし合わせても合点がいく。しかし厄介だし、シル達は辛いな」

「そうね。セルバもだけど、カイナの裏切りはちょっとねぇ⋯⋯」

「だよなぁ」


 しかし、勇者に抗ってどうするんだ?

 学者とエルフ、巨大ソシエタスの団長と副団長。

 繋がりがありそうで、それ以上の繋がりが見えてこない。

 同じ何かを目指す? 学者とエルフが互いに目指すもの⋯⋯?


「そういえば、ヤルバが気になる言葉を言っていた。『アッシモとセルバの後ろには⋯⋯』って。これってまだ誰か隠れているって事だよな」


 キルロの言葉にハルヲは厳しい顔で逡巡する。

 青い瞳をキルロに向けると、思考を続けながら口を開く。


「誰か隠れているわね。間違いない。それと同時にふたりが繋がっているって事も分かったわ。⋯⋯マッシュが追っていた反勇者ドゥアルーカはアッシモ、シルが追っていた反勇者ドゥアルーカはセルバ⋯⋯⋯きっとそう。それを動かしている者がいる? アッシモとセルバが同じ目標を掲げる⋯⋯? 学者とエルフが⋯⋯?」


 ひとり言のように呟くハルヲの姿にリブロが嘆息して見せた。


「まあまあ、ハルちゃん。そんな難しい顔するなって。綺麗な顔が台無しだ。こういう時こそシンプルに考えよう。アッシモはオットやマッシュ達が追っている、だったらこっちはエルフを追い込めばいい。関係性なんざぁ、とっ捕まえてから聞き出せばいいじゃねえか」

「確かに。リブロ、たまにはいい事言うな」

「オレはいい事しか言わんぞ」


 リブロはニヤリと口角を上げた。

 ハルヲもひと睨みし、納得する様を見せる。

 廊下が騒がしい事に気が付き三人は扉の方へ向いた。

 バタバタと大きな足音を鳴らしノックもなく扉が開く。

 雨具もそのまま、ずぶ濡れのエーシャが部屋に飛び込んできた。

 呆気に取られている三人に、慌てた様子を隠さず告げる。


「【ノクスニンファレギオ】の団長が殺された。ひと足遅かった」

「うそ⋯⋯」


 エーシャの言葉に次が出てこない。

 ハルヲはシルの事を想い早々に頭を抱え、キルロは茫然とするだけだった。

 リブロは厳しい顔を見せ、打つ手の早さに厄介だと悟る。

 静まり返る室内に打ち付ける雨音だけが響く。





「ねぇねぇ、なんで【スミテマアルバレギオ】に入ったの?」


 シモーネは味のしないジャーキーを口で弄びながらカズナに突然聞いてきた。

 余りの唐突さに呆気に取られていると、カズナの反応など気にする事なく続ける。


「私はね、面白そうだったから。オットの所はいろいろ起きて面白いけど、これはこれで大変よね。うんうん。で、君は?」


 人懐こいというか、我が道を行くというか変なヤツだ。

 カズナは諦めぎみに口を開く。


「キルロに一族を救って貰っタ。その恩返しダ。やつの力になって礼をすル」

「へえー、まじめー」


 聞いておきながら、さして興味は薄い。

 カズナは苦笑いを浮かべて、前方へ集中し直す。


「君のところの団長さんって変だよね。なんかこう頼りなさげなのに変に引っ張って行く力あるんだよね」


 カズナが少し驚いた、ボーっとしている様で見る所はしっかり見ている。

 でも、そうじゃなかったら一筋縄ではいかぬパーティーメンバーなんか務まらないか。


「変なやつだって事には、異論はなイ」

「アハハハハ、やっぱりー。⋯⋯うん?」


 シモーネの空気が変わった、押し黙り前方を睨む。

 カズナに目で合図するとカズナは洞窟へと駆け出した。

 洞口に飛び込んできたカズナの姿を見やり、マッシュ達が一斉に飛び出していく。

 静かにシモーネの元へ駆け寄り、その時を待った。

 近づく人影、こんな時間に男がひとり。

 マッシュが睨む、眼鏡を掛けたヒューマン、間違いようがない。


「アッシモだ」


 マッシュが呟き、サインを送るとドルチェナ達が左右に展開していく。

 雨音を味方にして、静かに闇に溶けていった。

 アッシモはゆっくりと経路の入口へと向かっている。マッシュはタイミングを見計らっていた。

 鬱陶しい雨が視界を狭くし、こちらの姿を隠す。

 時間だな。

 マッシュは立ち上がり、堂々と対峙した。


「よお、アッシモ。こんな雨の中を散歩か?」


 アッシモの眼鏡の奥で瞳がギラついていく、辺りの気配を探るように視線を泳がした。

 その姿にマッシュは口角を上げて見せる。


「雨宿りでもしながらお話でもしようじゃないか。おまえさんに聞きたい話は山ほどある。話題には事欠かないさ」


 アシッモと視線が交わっていく。

 互いの動きを探る、大人しくついて来ない事は分かっている。

 マッシュは鬱陶しかった雨の存在を忘れるほど、目の前にいる男に対して集中を上げていった。

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