第210話 音の鳴る方

 降り止まぬ雨はぬかるみを深くし、足元をすくい不安定にさせた。

 一瞬のミスに命を落とす現状。神経をすり減らし、消耗は激しい。

 雨が体温を奪っていき、体力をすり減らしていった。

 ドルチェナも肩で息をし、体中から垂らす血を雨が滲ませていく。

 足元に沈む獣人には脇目も振らず、目の前の敵へと向かった。

 いつまで続くか分からぬ戦いと、いつまで降り続けるのか分からぬ雨が体に重くのしかかっていく。

 ロクも、シモーネも、雨に流れた血の跡が体中に散見した。

 またひとり獣人が倒れ、泥水が跳ねる。

 ドルチェナ達の低い呻きと荒い呼吸が、打ち付ける雨音に吸われていく。

 大きく息を吐き出し、また次へと飛び込んで行った。



 割れた右の脛。

 体重を掛ける事も出来ず、右脚はぬかるみに触れているだけだった。

 自慢の足を封じられ、鋭く睨む眼光が手斧ハンドアックスと共にカズナに迫る。

 両手から繰り出す、斧の重い斬撃。

 小さいゆえ、鋭く振るその太刀筋は鋭い。

 カズナは下がる事しか出来ず、手に付けた小さな刃で斧を受け流すだけだった。

 アッシモの瞳から油断は見て取れない、重い一撃がカズナを襲い続ける。

 右から左から、踏み込むその一撃をいなす。


「ゴフッ!」


 突然の腹部への一撃。

 カズナが胃からせり上がる吐瀉物をぬかるみへとぶちまける。

 アッシモの前蹴りが全く見えていなかった。

 胃が捻じれ顔を歪まし、口の中のものを全て吐き出す。

 荒い呼吸のまま、アッシモへ構え直した。

 斧が頭を掠め、左の肩口を擦る。

 肉が少しばかり削がれ、血が滲む。

 破れた衣服が肩口からみすぼらしく垂れ、抉れた皮膚が露わになった。

 カズナは口を開けたまま、荒い呼吸を繰り返し構え直す。

 呼吸を整える隙さえ与えて貰えない。

 この防戦一方の状況を打破する一手を模索する。

 脚が壊れるのを覚悟で突っ込むしかないのか。

 キルロがいれば躊躇なく行くのだが、この状況ではただの愚行になる恐れもある。

 ぬかるむ左の足元に力を込める、覚悟を決めた。

 アッシモが突っ込んできたら躊躇するな、振り抜け。

 手斧ハンドアックスを交差させ突っ込むアッシモの姿を睨む。

 アッシモの頭が沈む。

 予想の軌道と違う動きに一瞬の戸惑いがカズナに生まれた。

 アッシモの斧はカズナの左足を狙い、深く潜行する。

 左足を狙う斧が振られていく。

 目を剥くカズナが、左足一本で前方へと咄嗟に跳ねた。

 アッシモは頭上を越えていくカズナを追うように、斧の軌道を強引に上へとかち上げる。

 アッシモの斬撃がカズナの右腕を捉えた。


「クッ⋯⋯」


 カズナの体はアッシモの頭を飛び越え、前方へと転がって行く。

 勢い良く泥を跳ねながら転がると、カズナの右腕から血が噴き出していた。

 ズキズキと熱を帯びる傷口を、雨粒が冷やしていく。

 不思議とそこまでの痛みは感じ無い。

 だが、思うように右腕が動かず、カズナの顔から余裕が消えていく。

 

 一撃必殺を狙う大味な攻撃を、してこないのが厄介ダ。

 力で押す斧使いのクセに、攻撃は確実性を持って理詰めで攻めて来る。

 隙が見えない、じわじわと追い詰められていく。

 クソ。

 空気が変わる。

 こちらが動けない事がバレたか? いよいよ仕留めに入るつもりか?

 カズナは上がらない腕で構え直す、受け止められるのか?

 疑問形にするな、弱気を見せるな。

 自身を鼓舞し対峙する。

 横からの一振り、体を反らし避ける。

 アッシモの口元が綻んだのが一瞬見えた。

 誘われた。

 アッシモはすぐさま二の太刀を振り下ろす。

 カズナは反ったまま強引に後ろへ跳ねる、斧の軌跡が軽装備アーマーの胸を擦り、剝き出しとなった腹部を切り裂いていく。

 

「チッ」


 アッシモが仕留め損なった悔しさを隠さない。

 後ろに跳ねた分だけ浅くなったが、状況はまずくなる一方。

 

 カズナが腹部を押さえ、ゆらりと立ち上がる。

 体中から出血が止まらない、それでもボロボロの兎は立ちはだかった。

 何かが出来るとは思えない、大人しく寝ていればいいのにと、弱気の自分が顔をもたげる。

 それでも左手一本で辛うじて構える、たぎらせろと自身を鼓舞した。

 斧が迫る、気を抜けばそれはすぐに届く。

 折れるなと鼓舞しても、すでに体は言う事を聞いてはくれない。

 緩慢な動きで、斧を弾く。

 すかさず振り下ろす斧を睨む、カズナは動かない体にイラつき舌打ちをした。

 

 



 グリっと曲がった鼻を真っ直ぐに戻す。

 ダラダラと流れ落ちる血は止まらない。

 一筋縄で行く相手とは思ってはいなかったが、こうも厄介とは。

 マッシュは溜め息まじりに息を吐きだし、クックを睨み直した。

 再び、ふたりの刃が切り結ぶ。

 両手で振り下ろすクックの一撃にマッシュが押されていく。

 マッシュは横にクルっと回転し、クックの剣をいなした。

 そのまま長ナイフを横一閃、クックの頬を切裂く。

 縦に横にマッシュは振り続けた。

 形勢はめまぐるしく入れ替わっていく。

 切り裂かれたクックの衣服が所々口を開き、マッシュも鼻から口にかけて雨粒が流しても、流しても、とめどなく血が流れ落ちていた。

 

 猫にやられた傷もうずく、こちらがやや不利ってところか。

 ま、それがどうしたって話だよな。

 マッシュは微笑し、三度突っ込む。

 振り下ろされるクックの狙いすました剣。

 チッ! 躱せるか?!

 狙いすます軌道から身体を捻る。

 致命的な一撃は逃れた。だが、肩を掠めたクックの刃、付いた血の跡は雨に流れていく。

 また傷口を増やしたな。

 ま、どうって事ない。

 自身に言い聞かせ、さらに一歩踏み込んだ。

 微笑を浮かべるマッシュに目を剥くクック。

 その焦る顔が見たかったんだよ。

 マッシュが長ナイフを斬り上げる。


 !!


 マッシュの刃がクックの胸を切り裂き、苦し紛れに振り下ろしたクックの剣はマッシュの肩口に食い込む。

 また、浅いか。

 クックの胸元がじわじわと赤く染まり、雨がそれを滲ませていった。

 致命傷にはまたしても遠い、しぶとい。

 肩で息するふたりがまた睨み合い、互いの隙を伺っていく。

 




 体中がいてえ、団長がいねえのは、こういう時つれえなぁ。

 ユラは脇腹を押さえ、ゆっくりと下がっていった。

 マッシュすまんのう。

 深呼吸してみる、脇腹に激痛が走り大きく息を吸えなかった。

 一歩引いて見る戦況は芳しいとは言えない。

 ドルチェナ達も善戦しているが、いかんせん数のゴリ押しに苦戦している。

 お、そうだった。

 ハルヲから貰った回復薬の存在を思い出し、腰のポーチからアンプルを取り出すと急いで口を折った。

 

「うわぁっ、まっずぅうう」


 毒々しい色合いを一気に飲み干す。

 顔をしかめつつも、痛みが和らぐのを感じた。


「よし、治った」


 少しだけ改善した痛みに、周りを見渡す。

 あれはヤバイな。

 ユラが駆け出す。

 やっぱりいてえな、けどまずい薬飲んだから、もう大丈夫。

 ⋯⋯なはず。

 自分に言い聞かせ、急ぐ。

 間に合え。





 斧の軌道は、カズナの脳天を捉えていく。

 緩慢な動きで斧に抗する、振り上げる左腕はまるでスローモーションのようだった。

 

 小さな影がカズナの前へ滑り込む。

 大きな盾が小さな斧を、激しい金属音と共に受け止めた。


「ボーっとするな! ほれ」


 後ろ手に回復薬をカズナに投げた。

 アッシモと対峙するユラの後ろで、一気に飲み干す。


「助かっタ」

「まだだぞ」


 和らぐ痛みにカズナの目に力が戻る。

 ユラが盾で重い斧の斬撃を受け止める。

 その影から、カズナが腕を伸ばし、刃を向けた。

 カズナの刃が少しずつ届き始める。

 ユラの守りを信頼し、刃を届かす事だけを考えた。

 カズナの刃を信じて、斧を受け止める事だけを考えた。

 じりじりとユラが前への圧を上げていくと、アッシモの勢いが少し、また少しと削れていく。

 あと一押しが届かない。

 掠るカズナの刃がアッシモの皮膚に口を開けていくが、最後のところで躱されてしまう。

 こちらが負傷しているとはいえ、ふたり掛かりで互角に近いとは。

 ようやくアッシモが肩で息をし始めた。

 そうか、こっちも苦しいが、そっちも苦しいよな。

 

「こっちだ!」


 ピッポの声が響いた。

 降りしきる雨の中、数十人の影が見える。

 【猫の尻尾亭】店長の猫人キャットピープルクロルを筆頭に、【ブラウブラッタレギオ(青い蛾)】の団員でもある従業員達が次々に顔を出す。

 戦場の様子を見るなり一斉に突っ込んだ。その姿を冷静にアッシモは見つめていた。


「クック!!」


 アッシモが叫ぶとクックはすぐに後ろに跳ねる。

 させまいとマッシュが突っ込み、ユラとカズナもアッシモに迫った。

 アッシモとクックが、ほぼ同時に玉に火を点け地面に投げつける。

 激しい光が周辺を包む。

 またか。

 目を開けると、目の前すらままならない程の白い煙に覆われていた。


「逃がすなよ!」


 マッシュが叫ぶ。

 すぐ近くで、馬の蹄の音が聞こえる。


「馬の方だ! 急げ!」


 蹄の鳴る方へと、音を頼りに動けるもの達が一斉に駆け出した。

 ぬかるむ地面に足を取られながら、必死に地面を蹴る。

 煙が晴れて行くと、視界が開けて来た。

 馬の方を一同が睨んだ。

 一頭の裸馬が、雨の森を軽快に駆けまわっている。

 遅れて追いかけたユラとカズナが立ちすくむマッシュの姿に、また出し抜かれた事を悟った。

 

「また、やられちまったか」

「こいつは、相当に悔しいな」


 マッシュが珍しくイラ立ちを露わにした。

 土砂降りの雨が打ち付ける。

 体は冷えていくが、心の中は煮えたぎっていた。

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