第170話 調教師と治療師

 むせぶような香のかおり。

 赤や桃色のランプがユラユラと妖しく店内を彩る。

 くだんの酒場にしてはやたらと高い敷居と、カーテンで各テーブルが囲まれており、喧騒とは無縁の世界。

 ボソボソと聞こえる男女の声が辺りから漏れ聞こえると、フェインの体と表情は硬直していく。

 注文を運ぶ給仕が邪魔にならぬよう、目立たず静かにテーブルを回っていた。


「あ、あ、赤い蜜の部屋を、よ、予約した昼顔のものです」

「何時のご予約ですか?」


 フェインがドギマギと挙動不審者となっていた。

 まわりに気取られぬように静かに囁く。

 暖色で彩る店内が、目の前の給仕をさらに妖しく魅せていく。

 スラっと背の高いスマートな猫人キャットピープルに近寄られ、その切れ長の目で見つめられるとさらにドギマギとしていった。


「4時44分で、です」


 給仕は少し表情を硬くした。

 目の前の挙動不審者がなぜ?


「こちらへ」


 給仕は一礼すると同時に懐のナイフに手を掛けた。

 スキだらけに見えるこの女の処遇について思案する。

 とりあえずは廊下の一番奥にあるひとつの個室へと向かう。

 他の部屋とは違う、少し離れたその部屋の扉をくぐる。

 真っ暗な部屋へ通されるとフェインはいきなり首元に冷たいものを感じ、反射的に後ろへ跳ねた。

 暗闇の中、フェインは構える。

 その様子に給仕の猫人キャットピープルはナイフをしまった。


「悪かったな。試すマネして」


 燭台に火を灯すとさらに奥へと繋がる扉があった。

 その扉を開くと広い部屋が現れ、只者ならぬ雰囲気の人々が、ソファや椅子にけだるそうにもたれていた。

 部屋に突然現れた異物に拒否反応を示し、一斉に睨みを利かす。

 店の妖しい雰囲気に比べればよっぽどこっちの方が分かりやすい。

 落ち着きを取り戻しているフェインに、猫人キャットピープルが思わず吹き出した。


「おまえ、変なヤツだな。普通こっちの方が緊張するぜ」

「こういうのは慣れてますです」


 ソファに思い切りもたれて寝ていた、狼人ウエアウルフがむくりと起きた。

 眠そうに目をこすり、フェインを見やると嬉しそうな笑顔を見せた。


「お! 【スミテマアルバレギオ】の嬢ちゃん。フェインだっけ」


 名前を唐突に呼ばれ振り向くと、見知った顔がそこにあってフェインは分かりやすく安堵する。


「キシャさん!」


 キシャの一言で部屋に漂っていた殺気が治まっていく。

 しかし、久々の再会に喜んでいる時間はなかった。


「あ、あの⋯⋯」

「ああ、オットだろ? 相変わらず糸の切れた凧だよな」


 肩をすくめるキシャにオットからの書状を手渡した。

 目を通しながらキシャはぶつぶつと続ける。


「マッシュの書状を見てすぐに飛んで行ったらしいな⋯⋯⋯⋯、なるほど⋯⋯⋯⋯そうか⋯⋯⋯。フェイン、助かったよ。オレたちがすぐに動く。ひと段落ついたら状況を教える。おい! フェインを見送ってやれ」


 先ほどの猫人キャットピープルが見送ってくれる。

 店内に戻るとまたドギマギとフェインの体が硬直していく。


「変なやつだな」


 猫人キャットピープルが笑顔で送り出してくれた。

 まだ陽の明るい店の外に出ると“ぶはぁー”と空気と一緒に緊張を一気に吐き出し、固まった体をほぐす。


「緊張したですね」


 一息ついて落ち着くと、自然に言葉がこぼれた。





 ググっと脚を曲げていく。


「いたたたたたっ!」


 硬直している筋肉をフィリシアが容赦なく曲げていった。

 大粒の汗を額に浮かべ、エーシャは悶絶しながらも必死に脚を曲げていく。

 そう広くもない簡素な部屋の簡素なベッドの上、殺風景ともいえる部屋で必死にもがいていた。


「がんばって! いい感じよ!」


 フィリシアの元気な掛け声がハルヲンテイムの療法室リハビリルームに響いた。

 フィリシアがエーシャの脚をさらにググっと折る。


「いったぁ⋯⋯⋯⋯」


 エーシャはあまりの痛さに声にならず、必死に歯を食いしばる。

 フィリシアが手を放すと、荒い呼吸を落ち着けようと深呼吸をした。


「今日はここまでにしましょう。どう? 少しは自分で曲がる?」


 ベッドの上でエーシャは膝を折ってみせる、ほんの数Mcだが膝が動いた。

 その様子にフィリシアが笑顔とともに親指を立てて見せる。


「すごい、すごい! たった数日で動かせるなんてホントすごいよ! 明日も頑張ろうね」

「宜しくお願いします」

「よお!」

 

 ベッドから降りようとすると療法室リハビリルームにキルロが顔を出した。

 療法室リハビリルームには寝たきりで体を起こせない仔や、足や腕を失った仔たちが檻の中で自分の順番を待っている。

 その中のいる、一頭の小さな犬が目に入った。

 後ろ脚を失ったその仔の脚には、逆“く”の字に湾曲している細い板が義足として付いている。


「フィリシア、この仔のこれはなんだ?」

「ああ、それね。アウロさんが思考錯誤して作ったの。体が小さいからそのくらいの板で重さに耐えられるし、しなるから歩けるんですよ」

「なるほど⋯⋯⋯⋯」


 フィリシアが義足の犬を床に放すと少しおぼつかない足取りながらも床を歩いた。

 体重に耐えられ、しなる素材があるとこんな事出来るのか。すげえ。うん?⋯⋯⋯⋯耐えられる素材⋯⋯しなる素材⋯⋯。


「エーシャ、ごめん。イヤだと思うが義足のほう見せて貰えるか」

「はい? 構いませんよ」


 エーシャはベッドに横たわりながら法衣をまくり義足を見せた。

 膝のちょい上か、木製の義足を外すと腰のポーチからメジャーを取り出し長さを測る。

 

「アウロいるかな?」

「いますよ。この時間だとクエイサーたちの所じゃないかな?」

「サンキュー! 行ってみる」

「はぁ」


 バタバタと出て行くキルロにフィリシアとエーシャが顔を見合わせ、小首を傾げあった。


「何しに来たのですかね?」

「さぁ?」


 ふたりはキルロが飛び出して行った扉を見つめた。


「あいつは何しに来たの?」


 キルロと入れ替わりにハルヲが様子見に現れた。


「さぁ? なんかあの仔を見るなりアウロさんの所へ飛んで行きました。すれ違いましたか?」

「うん、すれ違った。あの仔って⋯⋯ああ、義足の仔? まぁいいわ、ほっときましょう。エーシャどう?」

「おかげ様で涙を流しながら、フィリシアさんにお世話になっています。良くなって来ていると信じて励んでいますよ」


 エーシャは脚をさすりながら笑顔で答えた。


「今が一番キツイけど一生懸命に取り組んでいるから、この調子なら早いですよ!」

 

 フィリシアは力こぶを作ってみせた。

 固まった筋肉を無理やり動かしている、今が一番キツイのは分かる。


「それじゃ、フィリシアあとの仔たちもお願いね。エーシャ、ちょっとお茶しない?」

「喜んで」


 ハルヲは部屋へと案内する。

 広い執務室、元々院長室だった所をそのまま使っていた、過度な調度品は売ってしまい、今は椅子やテーブル、動物や体についての書物がずらりと並びそれはそれで壮観だが、嫌味な感じは全くないシンプルな部屋だった。


「いい部屋ですね。本がいっぱい。全部読んだのですか?」

「うーん、大体は。でも、なんかあった時に引っ張りだして見る感じ。全部は頭に入らない」


 ハルヲはお茶を勧めながら答えた。

 エーシャは書棚に見入る。いったい何冊あるのだろう。


「それで、エーシャ。その脚はどうしたの? あの脚が復活する術があるなら教えて欲しいのよ。ウチの仔たちにも同じような仔がいるんでね」

「ああ⋯⋯、ですよね⋯⋯。術はあるけど無い? そんな感じです」

「どういう事??」


 エーシャはバツの悪さを、お茶をすすってごまかす。

 キルロに内緒と言われた手前言いづらいけどハルさんになら⋯⋯と悩む。

 困った。

 お世話になっておいて内緒ってわけにはいかないかな。

 意を決し、エーシャは口を開く。


「えーと、これはキルロさんのヒールなのですが、その、ただのヒールじゃなくて術者への負担が大変大きいというか危険というか、そんな聞いた事もない術で治して貰いました。この事は内緒にしておいて下さい。他言無用で。あの術は使わないほうがいいです」

「そんなに?」

「はい、点滴を打ちっぱなしで一日半倒れていました。起きてからもしばらくはフラフラで、とても辛そうでしたね」


 ハルヲは宙を仰ぐ。それはおいそれと使えないわ。


「わかった。教えてくれてありがとう、動くようになるといいわね。こんな体にした犯人もわかったし、サッサと捕まえてくるよ」


 ハルヲが笑顔を向けるとエーシャは複雑な表情を見せた。

 なんかまずい事言っちゃったかな?


「ここに来る道中、キルロさんに聞きました。【アウルカウケウスレギオ(金の靴)】ですよね。勘の域を出ないので聞き流して貰ってもいいのですが、【アウルカウケウスレギオ(金の靴)】が犯人というのはしっくり来ないというのが正直な所なのです」


 エーシャはそう言うとハルヲに苦笑いを浮かべた。

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