第169話 鍛冶師と治療師ときどき調教師

 たちの悪い二日酔いみたいだ。

 キルロは薄く目を開けると暗がりが包んでいるのがわかった。

 気持ち悪い。

 激しい頭痛と吐き気、寝転がって見上げる真っ暗な天井がグルグルと回っている。

 もう夜か、暗闇に目が慣れてくると左腕から点滴が打たれていた。

 固い床と暖かな毛布に挟まれ、頭痛に慣れてくると徐々に意識がクリアーになっていく。

 半日近くぶっ倒れていたのか。


「気持ち悪い⋯⋯⋯⋯」


 思わず口にする。

 ゆっくりと上半身を起こし長く息を吐いた。

 床に座っているのにクラクラとめまいがする。

 そういえばヒールはうまくいったのかな?


「はぁー」


 気持ち悪さから何度となく溜め息を吐く、せめてこの気持ち悪さだけでも無くなれば大分マシなのだけど。

 廊下から人の気配がする、扉が開くとキノとリンがランプを片手に現れた。

 

「おお! 起きましたね。大丈夫ですか? 気分はいかがですか?」

「気持ち悪くて、寝起きは最悪だ」

 

 首を軽く横に振って見せると、ランプ照がらすリンの表情が曇った。

 燭台に火を灯すと部屋に明るさが戻る。

 キルロの顔を覗き込んだリンの顔はさらに曇った。


「顔色が悪いですね。エーシャさんを呼んでくるので、ベッドに移れますか?」


 リンの肩を借りゴロンとベッドに横たわる。なんとも情けない姿だ。

 しばらくもせずに、カツカツとエーシャの杖の音が響く。

 意識はすっかり覚醒したが体調は戻らない。


「おはようございます。気分が悪いのですね、吐き気もありますか?」


 黙ってうなずくと、リンが点滴に薬剤を足していった。

 吐き気がスーっと治まっていき、楽になっていく。


「ありがとう。楽になってきた。半日もぶっ倒れていたんだな」


 リンとエーシャが顔を見合わせると困った顔でキルロに向いた。


「一日半です」


 苦笑いのエーシャが答える。

 一日半!


「それは申し訳ない」


 バツ悪く眦を掻いて見せると、覗き込む二人が微笑みを向けてくれた。


「いえいえ、こちらは大丈夫ですよ。キルロさんこそ大丈夫ですか? このまま目が覚めなかったらどうしようかと思いましたよ」


 吐き気が治まり、だいぶ楽になった。

 体にだるさは残っているものの寝起きに比べたら随分とマシだ。


「一日半か。点滴がなかったら、どれくらい寝ていたのかな?」

「どうでしょうね。想像がつきませんね」


 エーシャが肩をすくめた。

 これじゃあ、こっちが病人だ。ベッドの上で点滴を打っている自分の姿に嘆息する。


「私、パン粥でも作ってきますね! いったぁーい」


 リンが勢い良く病室を飛び出すと扉に思い切り体当たりをかました。

 腕を痛そうにさすりながら部屋をあとにして行く。大丈夫なのかな?


「脚の具合はどう? つか、ヒール効果あった?」


 キルロの言葉にエーシャがニヤリと笑う。


「あのヒールはなんですか!? 聞いた事すらないですよ!」

 

 興奮を抑えられないエーシャが一気にまくしたて、キルロへと詰め寄った。

 余りの勢いにキルロは困惑することしか出来ない。


「まぁまぁ、落ち着けて。使う度にぶっ倒れるヒールなんて使い勝手悪すぎる。魔力もすっからかんで一日半経ってもまだ空っぽのままだ」

「それで、あれはなんですか??」


 また頭を掻きながらバツ悪そうに答える。


「あれは命の灯が消えかかるときに使う一か八かのヒールだ。魔力がフルじゃないとダメだし、終わるとぶっ倒れる。エーシャの脚は辛うじて、ついているって言っていたろう? なら瀕死に近い状況かもしれないと思って試してみたんだ。幸い急ぎの予定もないしダメ元でやってみた」


 言い終わるとエーシャへ笑顔を見せた。

 エーシャはその表情に諦めにも似た溜め息を漏らす。


「それってもしかして、詠唱者が危険だった可能性もあったのではないですか?」

「お!? なんでわかったの?」

「それはわかりますよ。真っ青な顔してピクリとも動かず眠り続けている姿を見たら、誰でもわかりますよ。掛けてもらっておいて何ですが、危険過ぎるのでもう使わないでくださいね」


 エーシャにお小言を頂き、苦笑いを浮かべた。

 失敗したときのリスクがデカくて、実用的じゃないってことはわかった。


「でも⋯⋯⋯⋯」


 苦笑いを浮かべているキルロへ言葉を続けた。


「私の脚が生き返りました。温もりが戻りました。血が通う自分の脚になりました。本当にありがとうございます」


 エーシャが深々と頭を下げた。

 ゆっくりと長い時間を掛けて、ありったけの感謝をそこに詰め込んだ。


「おう!」


 とひとこと軽く返事を返すと互いに笑顔を見せあった。





「ハルヲー! ハルヲー! ハルヲー!」


 ハルヲンテイムの大きくない裏口を開き、仁王立ちのキルロが声を掛ける。


「チッー!」


 そっぽを向いたハルヲが長い舌打ちで出迎えた。

 ちょうど通りかかっていた。

 ナイスなタイミング。


「よお!」

「よお! じゃない! 何この久々の感じ、アンタまたなんか面倒くさいこと持ってきたのでしょう」


 心底イヤそうに吐き捨てた。

 その言葉にキルロの後ろに隠れていた女性がおずおずと姿を見せる。

 杖をついたその姿にハルヲが驚きを隠せなかった。


「エーシャ!? 久しぶりって、え?! なんで?? コイツといるの??」

「ど、どうもお久しぶりでございますね。お元気そうで何よりでございます」


 エーシャは弱冠のよそよそしさを醸し出しつつ、ハルヲへ頭を下げる。

 面食らったままのハルヲも“あ、どうも”なんて言って頭を下げた。

 ふたりとも何やってんだか、やれやれと嘆息するとふたり揃ってキっと睨んでくる。

 え?! なんで睨むの??


「ちょっとどうしてこうなっているのか、ちゃんと説明をしなさい!」

「私もハルさんのところなんて聞いてないですよ」


 あ! そうか、自分の中ですっかり完結して、説明するのを忘れていた。


「いやぁー、ごめん、ごめん。エーシャのリハビリをここでお願い出来ないかな? と思ってね。脚のリハビリなんだけどさ、どうかな?」

「へ? リハビリ? ここテイム店よ?!!」

「テイムモンスター達のリハビリしているんだろう? 人も変わらないって良く言っているじゃん」

「言っているけどさ⋯⋯⋯⋯。ええー、そういうことじゃなくない?」


 エーシャがバツ悪そうに縮こまってやり取りを伺っていた。


「そもそもエーシャがイヤじゃないの? ちゃんと人用の所が⋯⋯⋯⋯ってその前に、言いづらいけどその脚ってリハビリでどうにかなるレベルじゃない気がするのだけど⋯⋯⋯⋯」


 ハルヲは言いづらさから尻すぼみになっていく。

 その姿にエーシャが法衣をまくり右足をハルヲに見せた。

 ハルヲは直ぐにまくる手を止めようと手を差し伸べるが、目に飛び込んできたエーシャの脚が以前と違うのは一目瞭然だった。

 

「どうなっているのよ⋯⋯⋯⋯」


 ハルヲは絶句した。

 体の作りに詳しいからこそこのデタラメな状況が飲み込めずにいる。

 

「ふぅー」


 ハルヲは深呼吸するとすぐにエーシャの脚を触診した。

 血が通っている。

 神経がどこまで戻っているか次第ね。

 

「エーシャ、ベッドでちゃんと見せて貰っていい?」

「は、はい。もちろん」


 スイッチの入ったハルヲに気圧され、診察室へ向かう。

 困惑するエーシャがキルロに視線を向けると、いい笑顔を返すだけだった。


「ちょっと、ここに寝ていて。アウロー! フィリシアー! ちょっと来て!!」


 アウロとフィリシアがすぐにやってくると、挨拶もそこそこに横たわっているエーシャを見やった。


「ハルさん、こちらは?」

「彼女はエーシャ、彼女の右脚が動かせるようになるかまずは診て貰っていい。ある程度、機能の回復が見込めるなら、フィリシア、リハビリをお願い」

「承知です」


 フィリシアは少しオーバーに敬礼して見せた。

 アウロは直ぐにベッドサイドで準備を始める。


「それじゃあ、エーシャさん。神経の具合をテストさせてくださいね。痛いことはないけどちょっとチクってするかもしれないので、痛すぎたら言ってください、じゃあいきます、これは?」

「アハハハハ」

『?????』


 いきなりエーシャが笑い出し、その場にいた人間が困惑する。

 なんかヤバかったりするのか?

 エーシャは頭だけ上げ自分の足元を睨む。


「キノーーー!」


 エーシャが叫ぶと閃光のごとき速さで診察室を飛び出した。


「どういうこと??」

「キノが足の裏をくすぐっていたのよ」


 その場の空気が弛緩した。

 あの、いたずら娘!

 ふと、エーシャに視線を戻すとニコニコと微笑みながら目からは涙をこぼしていた。


「くすぐったかった。くすぐられているのがわかった。私の脚⋯⋯⋯⋯」


 それだけ言うと頭を枕に投げ、両の腕で顔を隠していった。

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