第95話 day 2 橙色

 何も考えず、何も思わず、それは反射的に飛び込んだ。

 ハルヲへ振られる巨大な頭が、素早い振り子の動きで、ハルヲを崖の向こうへと突き飛ばそうとしていた。

 ハルヲへ向けて飛び込む、体をひねりハルヲを抱え込む。

 強烈な衝撃が脇腹から背中に掛けて襲う。

 体が砕けるんじゃないかと思えるほどの衝撃に耐えると、フワっと重力がなくなった。

 空中で一瞬静止し、次の瞬間にはイヤな浮遊感が襲ってくる。

 ハルヲをギュッと抱きしめ、自分の体で包み込んだ。

 全身の血が体から置いてきぼりをくらうような落下の感覚を覚える。

 岩壁から生える木に足を、体を、当てて落下から逃れる為もがいた。

 激しく岩壁に当たり、軽装備アーマーは外れかけ、足には激しい痛みが走る。

 壁が垂直から緩やかにスロープを描き始める。前と一緒だ。

 また落ちるハメになるとは。

 体が激しく打ちつけられ、ハルヲを離さないように体を丸めた。

 天と地が激しく入れ替わり、どちらが上でどちらが下か分からなくなると地面を転げ落ちている事を知る。

 軽装備アーマーが弾け飛ぶ。

 やがて転がる体は停止し、ゆっくりと目を開けていく。

 ほの暗い底に辿り着いていた。

 後ろは岩壁、前は鬱蒼とした森が広がっている。

 ぐっ!

 口の中が鉄の味で溢れ、吐き出す。

 狭い視界で当たりを見回すと、岩壁に小さな洞窟が目に入った。

 ハルヲを連れて、なんとかそこまでと立ち上がろうとすると全く足が動かない。

 自分の足に視線を落とすとあらぬ方向に曲がった自分の足が目に入った、その途端激しい痛みが頭の先まで貫く。

 見なければ良かった。

 全身を痛みが襲う。

 ハルヲと自分自身を引きずり、洞窟へやっとの思いをして辿り着く。

 白精石アルバナオスラピス? 小さく光る無数の石が洞窟の中に見て取れた。

 大人二人だと厳しいが、ハルヲのサイズならなんとか……仰向けに寝転がり自分の横に気を失っているハルヲを横たえる。


 《レフェクト・サナティオ・トゥルボ》


 ハルヲに黄色味を帯びた白い光りの玉がゆっくりと吸い込まれていく。

 これが終わるまでは。

 飛びそうになる意識を繋ぎ止める。

 もう少し。

 ハルヲの吐息が穏やかなものになった。

 よし。

 安堵と共に淡い光りを発していた光景が、真っ黒に塗りつぶされた。

 今は何も考えず、何も感じない。





 夜の訪れにランプに火を灯す。仄かな光が真っ黒な中いくつも浮かび上がるっていく。

 キノとクエイサーがマッシュ達に駆け寄る。


「待たせたな。行こう」


 マッシュがキノの頭に手を置いた。


「シル助かったよ、ありがとう」

「ちょっと待って、マーラ!」

「はいはい」


 立ち去ろうとするマッシュをシルは呼び止め、マーラが返事をすると駆け寄って来る。


「私とこの子も一緒に行くわ。ヒーラーはいたほうがいいでしょう」

「シル様がいなくなられては……」

「カイナあとユト! あなた達に現場はまかすから、あとはよろしくね」


 ユトと呼ばれた童顔の男は“はーい”と軽い返事を向け、カイナは激しい落ち込みを見せる。

 ユトはカイナの襟首を掴むと引きずるように連れて行った。


「すまんな」

「さあ、王子とハルを助けに行きましょう」


 暗い道無き道を進む、マッシュとフェインを先頭にまずは下に降りる為のルートを求め歩き始めた。

 底の底までどのくらいあるのだろう?

 そんなに深くなければ助かっている可能性は高い、歩きながらその可能性を祈る。

 

「あのエルフ、ヤルバだっけ? アイツを追っていたのか?」

 

 後ろを歩くシルにマッシュが声を掛けた。


「そうよ。元々はセルバっていう副団長のパーティーに居たのだけど、なんか陰湿なヤツでね。なんでこんなヤツ入れたのだろうって、ずっと思っていたのよ。で、気が付いたら消えて消息不明。セルバに聞いても突然居なくなったって困惑しているだけで、何もしないから追ってみたんだけど、中々尻尾を見せない。さすがにここまで見せないとなるとね、アナタも分かるでしょう」

「なるほどな。ある程度の情報を持って消えたら、そらあ、怪しいって言っているようなもんだ」


 マッシュは前を向きながら大きく頷く。

 緩やかだが下っているように感じる、気のせい?


「フェイン、これ下ってないか?」

「下っています。ただ緩やか過ぎるので、どこかもっと一気に下れるところを探したいです」


 ゆっくりだが近づいてはいる。

 ユラとネインは辛そうだ。ユラは動きっぱなしで、ネインは傷が癒えたばかりだもんな。


「少しだけ休もう。フェインどれくらい下がった?」

「まだ5Miくらいだと思いますです」


 思ったよりは下がっている。ただ底の底まで数百Miとかあったら……。

 考えるのは止めよう、大丈夫。


「マッシュ」

「わかった、行こう」


 キノに急かされ、再出発した。

 焦る気持ちは分かる。

 疲労から足取りは重い、でもまだ皆の目は死んでいない。

 大丈夫、進もう。

 重い足をまた一歩前に進める。





 目蓋の外が薄明るい、乾いてくっついてしまっている目蓋をゆっくりと剥がすように開ける。

 上に白く光る点が見えた。

 星?

 ハルヲは上半身をゆっくりと起こす。

 ぼんやりとする頭と視界に、徐々に全容が浮かび上がってくる。

 ⋯⋯落ちた。

 頭が一気に覚醒する、自分の体に痛みが無い。

 横を見るとキルロが横たわっていた。

 ヒールか。

 ハルヲはキルロの姿に目を見開いた。

 心拍が高鳴り、体中から汗が噴き出す。

 キルロの足があらぬ方向へと曲がり、口元は乾いた血の跡で汚れていた。

 この足でここまで運んでくれたのか。

 呼吸を無理矢理に整える。何をすべきか考えよう。

 ヒールをかけられないもどかしさに、イライラを募らせた。

 だが、やれる事はある。

 まずは足だ。

 装備品は飛んでしまっていた。

 自分もキルロも刃を持っていない、枝を切り添え木を作りたいのだが。

 あ!

 コイツいつもピッケル持っていたはず。

 腰の辺りをまさぐると革紐の感触、辿っていくと携えているピッケルにあたった。

 借りるよ。

 適当な枝を4本、両足分調達する。


《トストィ》


 麻酔を掛けると力を込め、曲がった足を元の形に戻し固定する。

 自身の服から作った紐で、しっかりと固定していった。

 かなりの力のいる施術に、この時ばかりはドワーフの血に感謝する。

 お腹を触ると少し柔らかい内臓からの出血かも?

 大した事なければいいのだけど。

 助けを求め、上を目指すか。それとも待つか、考えがまとまらない。

 背負って運ぶ? 上に上がるルートはあるのか?

 一人で上がって、助けを呼ぶ?

 モンスターに襲われないという保障がない。

 待っていたら来てくれるのかしら………。

 淡い期待を心の拠り所として耐えられる……?

 答えの出ない自問自答を繰り返す。

 よし!

 まずは洞窟が見える範囲で何かないか見てまわろう。じっとしているより大分マシだ。

 すぐ側の森へ入る。洞窟を気にしながら奥に行き過ぎないように注意を払う。

 慎重に歩を進めて行くと、木に生る実が目に入った。あれは?

 たわわに実るオレンベリーの実。食べ応えはないが、水分も取れて栄養も取れる。

 三つ程もいで洞窟に戻る。

 これ食べても大丈夫かしら? オレンベリーを目の前にして悩む。

 皮を剥くと橙色の水分をたっぷりと含んだ実が現れる、一口齧ると鉄の味がしている口内に甘酸っぱい味と香りが上書きされてゆく。

 今まで気にもならなかったが、体が水分を欲していたようだ。

 ひりつく喉を潤し、空っぽの胃に果実が落ちていく。

 美味しい。

 一口食べると膝を抱え、しばらくジッと待つ。

 体に変調が起きないかしばらく待った。

 うん、大丈夫。

 残りを頬張り胃に落とし込む。

 新しいのを剥き果実を口へ放り込み良く噛んでいく。

 キルロの口へ自分の口を添えると、噛み砕いた果実を口の中へ流し込んだ。

 果汁がキルロの口元から溢れ血の跡をなぞっていく。

 飲み込んで⋯⋯。

 祈る気持ちでキルロの喉を見守ると喉が動いた。

 よし。

 ハルヲはキルロへ果実を何度となく流し込んだ。

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