第36話 俯瞰

 小さな先導者に引き連れられ、深い茂みを進む。

 草葉の擦れる微かな音に神経をすり減らし、神経質なパーティーの足取りは重くなっていった。

 フェインを背負うキルロを守るように、バックパックを背負ったハルヲが後ろを歩く。

 急ぎたいが焦るワケには行かない。

 背中越しにフェインの辛そうな吐息が首筋を掠めた。


「もう少し辛抱してくれ、直ぐに楽にしてやるから」

「すいませんです⋯⋯」


 キルロはフェインを背負い直し、声を掛ける。

 最大限の注意を払い集中を上げていく、フェインを背負うキルロにとって裸で敵陣を突っ切るくらい無防備だ。

 ハルヲはバックパックを背負っている分咄嗟の動きにかなり制限を受けるはず。そうなると実質的な戦力はキノだけだ。キノの負担が大きい、早くしなければ。

 たった20数Mi。

 あっという間なはずだ、なのに目の前に見える大岩が遠い。

 気が付くと気持ちが先走っている、その度に焦らぬよう自身に言い聞かせた。

 

 草葉が揺れた。

 キノが二本のナイフを逆手持ち飛び込んで行き、また直ぐに先頭に戻る。

 白銀のナイフから血が滴り落ちていく。

 草葉の揺れが円を描いている?

 まるでこちらの様子を見るかのように取り囲んでいるように感じる。

 マズイな。

 明らかにその円は小さくなって来ていた。

 キノが孤軍奮闘。草葉が揺れるたび茂みに勢い良く飛び込んでは屠り、また飛び込む。それを何度となく繰り返す。

 草葉の揺れは確実に減ってはいるが、ジリジリと囲む円周は小さくなっている。


 もう後、数Mi。

 大岩まであと少しで手の届く範囲だ。


「突っ切るか?」

「そうね、キノ行って」


 岩に向かい駆け出した。

 呼吸を荒くしながら、全速力で駆け抜けて行く。

 待っていたかのように茂みから牙が襲いかかる。

 引きずり込んで喰わんとするが為。己の欲を満たす為。

 顎を大きく開け、狡猾に足元を狙ってくる。

 キノが先頭で道を作ろうと、飛び込んでくる牙の数々をくるくると踊るように屠る。

 白銀のナイフが飛び込む狡猾な顎を、柔らかな肉でも斬るかのように斬り裂いて行く。白銀の刃は見る見る赤く染まり血を垂らしていった。

 キルロは飛び込んでくる牙を必死に避ける。フェインに近づけまいと必死に逃げ惑う。

 感情のない縦長の瞳孔が一瞬視界に入ると、すぐに茂みの奥へと消えて行く。

 エサを物色する冷たい瞳孔が、常にキルロ達を捉えていた。

 小さなパーティーはもがき、足掻く。


 もう少し。

 届く。

 手の届く範囲だ。

 

フェインが必死に手を伸ばすと、大岩のてっぺんを掴んだ。キルロのフォローで岩の上へと上る。

 ハルヲはバックパックを下ろし、岩を背に臨戦態勢で迎え撃つ。今までの鬱憤を晴らすとばかり、鋭い刃を振り下ろしていった。

 キノが次々と森鰐ヴァルトウィルムの眉間へナイフを突き刺していく、流れるような動きはまるで白い光が茂みを舞っているようだ。

 ハルヲとキノが積み上げる魂の抜けた鰐の塊。

 フェインの後を追いキルロも岩に手を掛ける。


「つっ!」


 足首に鋭い痛みを感じた。

 ハルヲとキノの刃をかいくぐった森鰐ヴァルトウィルムが、無防備になったキルロの足へ歯牙を向けた。

 意思のない瞳孔がキルロを見据え、強靭な顎がふくらはぎを捉える。

 キルロの呻きにキノが低く飛び込み、勢いのままナイフで顎を切り裂く。

 ふたつに割れた顎がふくらはぎから離れていくと食い込んだ歯牙がキルロのふくらはぎを食いちぎっていた。

 抉れた肉が剝き出しとなり、血が止めどとなく流れ落ちていく。


「頼むぞ!」


 キルロはふたりにそれだけ告げると、足をひきずり岩の上へと上る。

 急げ。

 呻きを必死に押さえるフェインに気がはやる。

 流石にここにはヤツらも来られない。

 クソ鰐が。

 ダラダラと足元を濡らす出血など気にしていられない。


《レフェクト・サナティオ・トゥルボ》


 フェインの足へ向けてヒールを囁いた。

 キルロの両の手の平から、淡い黄色がかった人の頭ほどの大きな白光球が、フェインの抉れた足首の傷へと吸い込まれていく。

 ゆっくりジワジワと傷が修復していき、フェインの表情からも苦痛が消えていった。



 ハルヲはキノのフォローに回っていた。

 気配をいち早く感じるキノについて行けば先手を取れる。

 ハルヲはキノと行動を共にすることで屠るスピードを一段階上げた。

 眉間を切り裂き、脳天へと刃を次々に突き立てる。

周辺は血を吹き出しながら絶命していく森鰐ヴァルトウィルムに、生臭さと鉄の匂いが混じったすえた臭いに覆われていく。

 ハルヲは目の前の敵を屠る事だけに集中し、キノと共に剣を振る。



「よし、もう大丈夫だろ」


 キルロはフェインの傷をチェックし、頷いて見せた。

 フェインがゆっくりと足を動かし感触を確かめる。


「おおー! す、すごいですよ! 大丈夫です、ありがとうございます!」

「大袈裟だ」


 フェインの感謝に照れたようにキルロは答える。


「キ、キルロさん! そ、その足!」

「ちょっと齧られた。けど、大丈夫だ。大したことはない」

「ダ、ダメです! ダメです」


 フェインが起きあがると出血の止まらないキルロの足が目に入った。

 一瞬、逡巡し、下の様子を伺う。


「ハルさん! 代わって下さい! キルロさんの治療をお願いします! 足の出血が……」

「大丈夫だ! そっちを頼む」


 フェインの言葉を遮るようにキルロが言葉を放つ、動きを止めたハルヲが岩の上を睨む。ハルヲは悩む事なくバックパックを背負い、岩の上へ上る。

 入れ替わるようにフェインが下へ飛び込んでいった。


「フェイン無茶するなよ! まだ8割だ!」

「充分です!」


 キルロの忠告に答えるとキノの方へと向かって行った。


「大丈夫だって言っているのに」


 キルロの言葉に一瞥し、すぐにバックパックから皮の小箱を取り出した。


「いいから見せろ」


 諦め顔でキルロは傷を見せると“はぁ~”と小さく嘆息し、手際良く消毒液と針と糸の準備を進めた。


《トストィ》


 ハルヲは詠い、キルロの傷を指でなぞると治療を始めた。





「おまえさん、なかなかやるな」


 マッシュはアントンを撫でながら褒めた。

 アントンが気持ち良さそうに顔を向ける。

 言葉通りアントンやスピラはマッシュの目の代わりを担い、随分と効率良く屠れた。

 見えないから厄介なだけで、先手さえ打てればどうにでもなる。

 休みなく動き回っているアントンとスピラの体力だけが心配だ。

 特にスピラは序盤から動きまわっている、疲労が出てきてもおかしくはない。

 調教師テイマーでないので塩梅が分からんな、分からないなりに気を配るしかないのか。

 後方を見やると岩の上に人影が見えた。上手くいったみたいだ、少しばかり逡巡し、みんなとの合流を選択する。


「スピラ! アントン! 下がるぞ!」

 

 来るかな? 少し心配しながら二頭の様子を伺うとマッシュの方へと向かってきた。

 良し。

 警戒しながら岩場へと急いだ。





「キノ大丈夫?」


 ハルヲが上から声を掛けた、流石に序盤から飛ばしている、いつ電池切れ起こしてもおかしくない。

 肩で息をしているが、ナイフを掲げ返事した。


「アンタはここにいなさい、いい! わかった」


 ハルヲはそれだけ言い残し、下へと飛び降りた。

 出血は止まったが痛みというより、膝から下に力が入らない。

 ゆっくりと歩くのがやっとだ。

 上から下の様子を伺うとマッシュ達がこちらに向かってくるのが見えた。マッシュ達の真後ろの草葉が揺れている。


「マッシュ! 6時にいるぞ!」


 これって⋯⋯。

 上からだと敵と味方の位置関係が俯瞰で把握出来るんじゃないのか。

 ヤツらを丸裸に出来るな。


「フェイン! 3時!」

「ハルヲ! 11時だ!」


 キルロがパーティーの目となり敵の位置を伝えて行く。

 先手を打てるようになると優位性が一気に逆転する。

 見えてしまえば、たいしたことのないただの鰐だ。

 目を得たパーティーが森鰐ヴァルトウィルムを蹂躙していく。

 揺れる草葉もなくなると、辺り一帯が静けさを取り戻した。


「すまんな」

「気にするな、やることはやったさ。帰ろう」


 キルロの負傷の為、進む事をあきらめパーティーは撤退を余儀なくされた。

 キルロが詫びるとマッシュが笑顔で返す。


「もう無理する事はないわよ」

「ですです」


 クエストは一応クリアーしている。無理する必要はどこにもなかった。

 あとは無事に撤退すればいい。


「レストポイントの辺りから上行けないかな?」

「あそこか⋯⋯、行けそうね。レストポイントに戻りましょう」


 マッシュの提案にハルヲもすぐに同意した。

 レストポイントから地上への帰還を目指し歩き始めた。キルロはハルヲの肩を借りて力の入らない足を引きずり、歩を進めていった。



「お帰りなさいませ」


 馬車で待つ、ネスタと合流する。

 あとは帰るだけだ、緊張がゆるりとほどけて行き頭も体も弛緩していった。



 村(ブレイヴコタン)を経由してイスタバールまで戻る。

 コテージに到着すると備品の整理や、早々に帰り支度を始めた。

 しかし緊張が緩むと疲れが一気に押し寄せる。


「よお、お疲れ様!」


 良く通る声に顔を上げる。

 髭を蓄えた大男然としたこの男……。


「あれ? アルフェンのとこの前衛ヴァンガードさん」


 キルロが顔を向けるとにこやかに向かってくる逞しい男の姿が目に入った。

 クラカン・ロンドバルフ。アルフェンパーティーの前衛ヴァンガードがなぜここに?


「アハハハハ」

「痛い! 痛い!」


 笑いながらキルロの肩をバンバン叩く。

 こんなキャラの人だっけ?


「お疲れ、お疲れ、皆もお疲れ様だったな」


 キルロの肩に手をやりながら皆を労った。

 結局何がしたいんだ? 

 労を労いに来てくれたのか?

 やたら元気なクラカンに、キルロは困惑の表情を浮かべた。

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