第6話 鍛冶師と猫ときどき調教師 

 作業の合間の中休み。キルロは額から滴り落ちる汗を拭いながら、小さな中庭で日中ぼっこしているキノを、開け放した窓から眺めていた。

 中心街からは外れているとはいえ雑多な生活音が混じり合い、静かに耳を掠める。窓から感じる風は、拭いきれなかった額の汗を撫でて行き、体に溜まった熱を冷ましてくれた。


 平和だな。


 キノと出会った当初はバタついていたが、この生活にも慣れ、今やすっかり落ち着いた。

 キノ習性は、相変わらず不明なところも多いのだが、そんな事些細な事だ、多分と思い込もう。

 窓辺に腰掛けて、自分で淹れたお茶をすする。


『おじさーん』


 外から、少女の声が聞こえてきた。

 声の方に目をやると、猫人キャットピープルの、目鼻立ちがはっきりした将来美人になりそうな女の子が、こちらに手を振っていた。

 肩まである銀髪は、汚れなのか少しくすんで見える。耳がピコピコと動き、何かに興味津々なのが隠し切れていない。

 中庭の柵越しに佇んでいる少女から、キルロは何故か視線を外してしまう。

 

 ここにおじさんはいない。


「ゴーグルのおじさーん」


 むぅ。ちっがーう!


「お兄さん!」


 キルロは窓辺から、ちょっと不機嫌に返事を返した。


 おじさんではない。

 ここは、しっかり否定しておかなくては。何といってもこちらは、うら若き19歳だ。


「お、お兄さん、この子と遊んでもいい?」


 と、少女は柵の中にいるキノを指差す。キノも鎌首をもたげ、少女に向けて興味津々とばかり首を振っていた。


「叩いたり、いじめたりするなよ」

「しないよー」


 キルロが、笑顔で答えると、少女は中庭にいそいそと入り、キノを優しく撫ではじめた。


「蛇は怖くないのか?」

「怖くないよ。この子は大人しくて、いい子だもん」


 その様子を眺めながら、キルロは思考を巡らす。

 

 猫か……でも、この感じは、ハーフっぽいな。ヒューマン街にいるし、ハーフか。


「この子、名前はなんていうの?」

「キノだ」

「キノ~、いい子だね~」


 少女の呼びかけに、キノは嬉しそうに首を振って見せる。


「嬢ちゃん名前は?」

「エレナ⋯⋯エレナ・イルヴァン」


 いくつくらいかな? 10才くらいか?

 その割りにはしっかりしてるよな。だけど、着てるものは、ちょっとボロいのは何でだ?


「エレナ、今日学校は?」

「行ってない」

「んじゃあ、友達は?」

 

 エレナは、首を何度か横に振るだけだった。 

 キルロは、“そっか”と、軽く相づちだけ打つ。そうこいしていると、エレナとキノで今度は追いかけっこが始まり、キャッキャッと中庭を走り回った。

 

 楽しそうなので、しばらくは放っておくか。

 

 キルロは、背もたれに体を預け、人心地つける。

 だが、笑顔で走り回っていたのもつかの間、エレナがへたり込んでしまった。窓辺から見ても、エレナの顔色は、芳しくない。


「どうした? 大丈夫か? 顔色も良くないぞ」


 キルロは、近くまで行ってエレナに声を掛ける。

 近くで見ると顔は少し煤けていて、正直少し臭った。


「大丈夫、ちょっと疲れちゃった」

「少し休むか。キノおいで、エレナも中に入んな」


 テーブルに腰掛けさせ、キルロは、カップに入れたミルクをエレナに手渡す。

 

「これ、飲んでもいいの……かな?」

「ミルクくらいで遠慮なんかすんな飲め」


 キルロは、ニッと笑みを見せる。エレナはカップに入ったミルクをしばらく眺め躊躇していたが、口をつけると一気に飲み欲した。


「美味しい……」


 と、エレナは空になったカップを握りしめつぶやいた。

 

「もしかして腹が減っているのか? なんか食うか? 簡単なものならあるぞ」


 エレナは、ブンブンと激しく首を横に振る。


「お父さんが“ほどこし”は受けるなって」


 施し?

 ヒューマン街にいるって事は父親がヒューマンで、母親が猫人キャットピープルかな?。

 

「その親父さんは、どうしているんだ?」

「うーん、月の日から仕事でクエスト? に行ってる」

「月の日って昨日か?」

 

 エレナは、また首をブンブンと横に振った。

 

 え? それじゃあ、一週間以上前って事か。


「じゃあ、お袋さんが⋯⋯」


 また、首をブンブンと横に振る。


「お母さんは知らない……」


 握りしめたコップを見つめながら、エレナは呟いた。

 

 え? という事は、一週間以上こんな小さい子供が、一人で暮らしているのか。


「生活費はどうしてる?」

「お父さんが置いていってくれる。50ミルドあったけど今はこれだけ……」


 ポケットからジャラっと出した。

 テーブルの上に置かれた残金は、2ミルドしかなかった。

 

 一週間で50ミルドって?! 二日ももたねえぞ。


「で、親父さんは、いつ帰ってくるんだ?」

「うーん、わかんない」


 エレナは、ちょっと不格好な笑顔で、返した。

 

 この生活がエレナの中での普通なのか。

 しかし、残り、2ミルドじゃ何も買えねえぞ。


 キルロはちょっと気まずそうに俯く、エレナを眺めていると、キノも何故か心配そうに、エレナを見つめていた。

 キルロは、ポンと、ワザとらしく手を打ち、満面の笑みを見せる。


「エレナは、キノともう友達だよな」


 とエレナに問い掛けた。

 エレナの表情は、一気に明るくなり“うん”と力強く頷く。


「じゃあ、友達のエレナにお願いがあるんだ。聞いてくれるか?」

「なぁに? 聞くよー」

「いい子だ」


 キルロは、エレナの頭をグシャと撫でた。エレナのボサボサの頭はクシャクシャとなったまま。


「キノはさ、人が食べるのを見せないと、食べないんだよ。キノに、これは食べられるんだよって、教えてやってくれないか?」


 エレナは、状況がイマイチ飲み込めていない様子だったが、キルロは、お構いなしに続けた。


「キノおいで、エレナが見本見せてくれるってよ」


 キルロはニヤリとエレナに視線を送ると、キノもそれを見てエレナを見つめた。

 キルロはエレナの眼前に、パンとフルーツ、そして干し肉と簡単なスープを並べた。


「エレナ、キノに見本を見せてやってくれ」


 エレナは戸惑いを隠せず、キョトンとしながらテーブルの上やキルロの顔、キノをせわしなく見回す。


「エレナ、友達の為だぞ」


 キルロは、あらためて優しく説いた。

 

「い、いただきます」


 エレナは、一心不乱に食べていく。だが、キノに気がつき、食べるスピードを落とすと、フルーツやら干し肉を自分が食べるのをしっかりと見せて、キノに分け与えていった。


「エレナ、動物モンスターは好きか?」

「うん、怖いのは嫌いだけど」

「そうか……そういやぁ、エレナって、いくつだ?」

「14」

「え? 14!?」


 今度成人じゃないか。随分と幼く見えるな。

 もしかして、慢性的な栄養不足とか?


 キルロは、エレナとたわいもない会話を続けながら、考えを巡らせていた。

 こんな子達を全部救う所か、エレナひとりでさえ、救うなんてきっとおこがましい。救ってあげたい気持ちとそんなでしゃばったマネすべきではないと相反する思い。思考は、同じ所でグルグルと空回りを起こし続ける。


 あっ!

 そうか!

 友達の為だ。


 自分の言葉が自分に返ってきた。

 不遇な子の為じゃない。

 キノの友達の為だ。


 なんだ単純な事じゃないかと、キルロは笑顔で、二人を見つめた。


「あ!おじ……お兄さんの、お名前教えて」


 今、おじさんって言ってなかったか。

 

 わざとらしく不貞腐れて見せると、エレナが照れ笑いした。


「キルロだ。宜しくな!」


 “フン”と、キルロは笑顔で答えた。


■□■□


「ハルヲー、ハルヲさーん、ハルヲ様ー!」


 キルロは、いつものように勝手知ったる裏口をダンダンと叩き、大きな声で呼び掛ける。

 すぐに、もの凄くイヤな顔をしたハルヲが、扉の隙間からヌっと現れた。


「うっーさいんだよ! お前はいつもいつも! そしてハルヲって呼ぶな!」

「まぁまぁ」


 ハルヲの言葉など意に介していないキルロが、両手で落ち着けとなだめていく。


「じゃーん!」


 キルロは、唐突に硬貨の入った袋をハルヲに差し出した。胸を張り偉そうにも見えるキルロに眉をひそめながらも、それが金の詰まった小袋と分かると、“おっ?!”感嘆の声をあげながら、ハルヲはそれを受け取った。


「あんたにしては、随分と早かったじゃない」

「ま、やるときはやる男だからな」

「じゃ、いつもやる気出しなよ」

 

 自信満々なキルロを、ハルヲは薄ら笑いで釘を刺す。

 正論に返す言葉もなく、キルロは子供のように口を尖らせた。

 

「数えなくていいのか?」

「お金を誤魔化す度胸なんて、あんたにはないでしょう?」


 その通りでございます。


 あれっと? ハルヲがキルロの後にだれかいる事に気が付いた。


「その猫の子……まさか、あんたの子……」

「んな訳あるか! 年が合わんだろうが!」

「ま、そうね。そんな甲斐性もないしね」


 “そらぁそうか”とハルヲはひとり納得を見せる。

 キルロはエレナの背を押し、ハルヲと対面させようとするが、エレナの足は重い。キルロは再度、“ほら”とエレナの背中を押した。 


「エ、エレナ・イルヴァンと言います!」

 

 やっとの思いで出た言葉共に、エレナは盛大に頭を下げた。


「ハルよ、宜しくエレナ」


 ハルヲは、エレナに返事をすると、横目でチラッとキルロを睨んだ。その青い瞳は、“説明しろ”と強く訴えっていた。


「エレナ、キノと一緒にあそこのサーベルタイガーと遊んできな」


 キルロはエレナに、白虎サーベルタイガーのクエイサーを指差した。


「おおきいー!」


 と、エレナは目を丸くしながら、キノと一緒に足早にクエイサーの元へ向かった。


「で⋯⋯」


 エレナ達がクエイサーに夢中なのを確認すると、ハルヲが腕を組み、キルロに説明を求めた。その表情は厳しく、それを受けたキルロも表情を引き締め、言葉を紡ぐ。

 ハーフであること、学校に行っていないこと、友達がいないこと、そして親のこと⋯⋯。

 黙って目を瞑り、キルロの言葉に俯きながら、ハルヲは真摯に耳を傾ける。


「……て、感じでさ。ハルヲンテイムで、エレナをパートタイムで使ってくれないか? もちろん働かせてみて、ダメだったらいい。そこはシビアに判断してくれてかまわない。まだ体力がないから、無理強いは出来ないかもだけど、見込みがあるなら使ってやって欲しいんだよ。エレナは生き物が大好きなんだ、頼むよ」


 キルロの懇願に、ハルヲは黙って俯き、逡巡を見せる。

 ハルヲは、顔上げると、その視線をエレナに向けた。


「エレナ、ちょっと来て」


 遊んでいたエレナを、静かに呼んだ。


「ねえ、エレナ。ここにはいろいろな仔達がいるの。冒険に連れて行く仔、ペットとして可愛いがられている仔、病気になっちゃった仔、ケガして動けなくなっちゃった仔なんかもね。他にもいろいろな仔がここにはいるの。可愛いだけじゃなくて、怖いや辛い、悲しいって事が否が応でもつきまとうの。アナタはそれに耐えれるのかしら?」


 ハルヲの口調は穏やかだが、そこには確固たる気持ちが必要なのだと伝わった。

 その答えが重要であることは、エレナにも十二分に伝わった。

 エレナは、視線を泳がしながらも、ハルヲの意図を理解しようと必死に思考した。


「はい」

 

 エレナは力強く返事をすると、ハルヲの目を真っ直ぐ見つめる。

 その姿にハルヲは、笑みを浮かべた。


「じゃあ、それでエレナはここで何をしたいの?」


 ハルヲは穏やかな口調で続ける。

 一瞬予想外の質問だったのか、エレナは戸惑う姿を見せたがすぐに答えた。


「元気な仔も、そうじゃない仔も、みんな、みんなと友達になりたい!」


 力強く言い放つ。

 エレナはチラッとキノを横目に見ながら、緊張の面持ちでハルヲの答えを待った。


「いいわ、いらっしゃい。ようこそハルヲンテイムへ」


 ハルヲは、満面の笑みを湛え、エレナの両肩に手を添えた。

 そしてすぐに、“アウローっ”と奥にいるアウロを呼ぶ。


「新しい仲間のエレナよ。こちらはアウロ」

「宜しく! エレナちゃん」

「宜しくお願いします、アウロさん」


 アウロが手を差し出すと、エレナは両手でしっかりと握り締めた。


「とりあえず、ウチも客商売だからね。エレナ、湯浴みしてらっしゃい、服は私のいらないのあげるから。湯浴みが終わったらアウロ、お店を案内してやって」

「わかりました、エレナちゃん先に湯浴み場に行こうか」


 アウロが手招きすると、エレナが少し躊躇し、立ち止まってしまった。


「あ、あの、私⋯⋯その⋯⋯字が読めなくて、迷惑⋯⋯」


 エレナは、消え入りそうな声で、自分の中に抱える一番の不安を絞り出した。


「あ、そうなの。そんなものは後から覚えればいいわよ。ほら、湯浴み場に行ってらっしゃい」


 肩をすくめながらそんな些細な事は気にするなと、ハルヲはあっさりと言い放った。

 

 その瞬間。

 

 エレナの中でいろいろな思いが弾け飛び、感情の波が一気に押し寄せた。それは今まで感じた事のない感情。

 悲しいとかではないのに、涙がボロボロボロボロと次から次へと溢れて、止める事が出来なかった。


「今まで⋯⋯字⋯⋯読めないから、いらない⋯⋯とか⋯⋯汚いから帰れとか⋯⋯しか言われた事なくて⋯⋯」


 嗚咽まじりにエレナは、必死に自分の感情を伝える。自分の感情を人に伝えた事がなかったのかも知れないと思えるほど、たどたどしかった。

 そんなエレナを、ハルヲはギュッと抱きしめる。そこに込められた優しさに、エレナの感情はさらに爆発してしまう。


「もう大丈夫。大丈夫だから」


 エレナの頭を撫でながら、ハルヲは優しく慈愛に満ちた言葉を伝えた。


 その言葉に安心し、エレナは生まれて初めて号泣していた。

 人目もはばからず。 


 その姿を見て、アウロも貰い泣きしていた。

 人目もはばからず。


 そのアウロを見て、キルロがニヤニヤ笑ってた。

 アウロを指差しながら。

 

 ひとしきり涙を流し、憑き物が取れたエレナは、スッキリした表情を見せた。


「さぁ、行きましょう」


 改めて、ハルヲがエレナの背を押した。


「ハルヲのそういうとこ好きだぞ」


 キルロは、エレナの背を押すハルヲにサラリと言葉を掛けた。

 ハルヲは俯いたまま耳を真っ赤にしながら踵を返すと、足早にキルロの目の前に向かった。


「ぐはっ!!」


 キルロの脇腹に、ハルヲは意外と本気のグーパンを決める。

 そしてくるりと背を向け、エレナの方へと足早に去っていた。


「本気か?! このクソ力が」


 脇腹をさすりながら理不尽に殴らたとキルロは猛抗議するが、ハルヲは無視してエレナと共に廊下の奥へと消えて行く。

 その姿を見たアウロは、肩口で口元を覆いながら、必死に笑いをこらえていた。


「ハルヲ頼むぞー! エレナ頑張れよー!」


 二人に背中に声を掛ける。

 ハルヲは振り向きもせずに片手をヒョイと上げ、エレナはこちらを振り向き何度も頭を下げた。その猫の耳は、ぴょこぴょこと嬉しそうに動いていた。


■□■□


「さて、キノさん」


 夕食を終えた二人はテーブルを挟んでまったりとした時間過ごしていた。


「格好つけて全額払うんじゃなかったかなぁ~、でも払わない訳いかないもんなぁ~あの場面じゃさぁ~」


 キルロは、しまらない事をグチグチとキノに言い続けている。

 結局またハルヲに借りを作ってしまったなと、肩を落とすが、きっとエレナは良い方向に向くはずだと、顔をあげた。


「という事で、手っ取り早く、なんかクエストします! 明日ギルドだな」


 キノは首を左右に揺らしながら、キルロの話しを聞いていた。


 さて、寝るか。

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