鍛冶師と白蛇ときどき調教師

第2話 鍛冶師の調教ときどき調教師

 重なり合う枝を縫うように眼前へと迫る白蛇。下からは、カリカリとうるさいほど、猪が太い幹に爪を立て続ける。上と下からのプレッシャーに体は思うように動かせず、茫然と佇んでしまう。

 それでも迫る危機に何とか抗おうと、硬直する手で剣を掴んだ。


「うわぁああ⋯⋯」


 刹那、ドンと激しい打突音と共に大木が大きく揺れる。青年は慌てて幹にしがみき、今度は振り落とされぬようにと必死に抗う。

 我ながら何とも締まらない姿を晒している。

 と、思いながらも、途切れる事のない激しい打突音に、幹にしがみつく腕の力を強めていった。下を覗けば案の定、レギスボアスが代わる代わる固い頭と牙で、太い幹に突撃をかましていた。

 

 さて、どうしよう? 


 などと落ちついている暇はない。顔を上げれば大きな白蛇が、赤い舌をチロチロと出しながらすでに目の前にいた。

 

 あぁ、終わる。

 いい日だったはずなのに、どこで間違った。やっぱりあのおっさん冒険者を手伝わなかった罰なの? いや、でもあれはおっさんがいいって言ったんだ、オレのせいではない。断じてない。

 まったく⋯⋯。

 青年は静かに目を閉じ、覚悟を決めた。

 痛いかな⋯⋯イヤだな⋯⋯毒とかかな? それはそれでイヤだな⋯⋯そういや蛇って丸飲みするんだっけ? あんな細い体にオレ入るのか? いや、膨らむのか。そうか、ならば大丈夫⋯⋯大丈夫? って何が? 大丈夫じゃないよな⋯⋯。

 イヤだなぁ、もう⋯⋯。


 あれ? 来ない??


 青年は打突音に合わせ揺れながら、片目をそっと開けてみた。

 

「ひっ!!」


 何ともしまりのない叫び声を思わず上げてしまう。

 目の前で白蛇が、相変わらずチロチロと赤い舌を見せている。

 

 金眼⋯⋯。

 

 小首を傾げこちらを見つめる白蛇の金色の瞳。そこに敵意は感じられなかった。

 揺れる大木に合わせ、金眼の白蛇と大木の幹に必死にしがみつくまぬけな姿の青年。そして、吸い込まれそうな金の瞳と、どれくらい視線を交えたのか。それは長い時間にも感じる、一瞬だったのかも知れない。

 鳴り止まない打突音に、白蛇の金眼が険しくなったように感じた。シュルルルと器用に太い幹を下りて行くとレギスボアスの群れの頭上でピタっと止まった。


『シャアアアアアアアッッッツツ!!』


 白蛇が頭上から激しい威嚇を見せた。打突音は一瞬で鳴り止み、大猪レギアボラスの群れは、怯えるように散逸して行く。


「す、すげぇ⋯⋯」


 今だ、幹にしがみつき茫然とその光景を見ていた青年から感嘆が零れ落ちていく。白蛇はまた幹を器用に上り、目の前で赤い舌をチロチロと出していた。


 あの群れを一喝って⋯⋯それだけの力量差があったって事だよな。

 あの群れから逃げ回っていたオレはあの群れより下になるわけだから⋯⋯うん、ヤバイ状況は変わっていないのね。

 

 白蛇を目の前にして、幹を抱き締めたままギュっとまたきつく目を閉じる。

 目を閉じた。

 目を閉じている。

 目を閉じ⋯⋯。

 あれ?

 やはり、攻撃してくる気配がない。ゆっくりと目を開けて行くと白蛇は何だか嬉しそうに小首を振って見せた。まるで褒めてくれとアピールしているようだ。おっかなくて手なんかだせないけどね。


 青年はゆっくりと下りて行く。白蛇を見上げながら、ゆっくりと手足を動かしていた。

 

 来るな、来るなよ。

 

 青年は心の中で何回も呟く。全身から暑くもないのに汗が噴き出て、気が付けば浅い呼吸を激しく繰り返していた。

 視線を落とせば、地面は目前。そのまま速度を上げて下へと一気に下り立った。

 シュルルル。

 猛スピードで迫る白蛇に、青年は目を剥く。


「ぎゃあああああああー!」


 誰もいない森に、青年の叫びが響き渡った。


■□■□


 中央都市ミドラス。

 八角形にそびえる大きなギルドを都市の中心に持つ、この世界でもっとも大きな都市。雑多な人種が闊歩し、活気に満ちた姿がこの世界の中心がここであると謳っていた。

 

 都市の中心からほど近い場所に構える一軒の大きな調教店テイムショップの裏口。すっぽりと大きな外套を、頭から被る青年が立っていた。その姿はとてつもなく怪しく、不審者然としていた。


「ハルヲさーん。ハルヲー、おーい!」


 少しばかり上ずった声が、急を要していると伝わっているはずだ。青年の額からは、汗が吹き出し、急を要しているのは分かるのだが、如何せん、不審者感は拭えない。


「ハルヲンスイーバ・カラログース様ー!!」


 青年の叫びに、大きな舌打ちと共に青い瞳の美しい、そしてとても小さなエルフが顔を出した。ドワーフとエルフの世にも珍しいハーフがドアの隙間からでも険しい顔をちょこんと出し、汚い物でも見るように表情を曇らせた。


「チッ!! キルロ! あんたねえ、こっちは忙しんだよ。まったく!」


 見た目のサイズとは裏腹に女性らしい低めの声が響いた。青い瞳は、心底イヤそうに外套を被るキルロを睨みつける。


「いやさぁ、それがちょっと困った事になっておりまして⋯⋯その⋯⋯何と言いますか⋯⋯」

「チッ! チッ! チッ! い・い・か・ら、早く言え。あんたが猫撫で声で何か言って来る時は、必ず面倒事なんだから」

「まぁ、そこは否定出来ないんだけど、今回はハルヲにしかお願い出来ないんだよね」

「だから、ハルヲって呼ぶなって言ってんだろう!」

「いってぇ!」


 ハルヲの鋭い蹴りの突っ込みが、キルロの裏腿にビシっと決まった。キルロは、その鋭い蹴りに、涙目になりながら裏腿をさする。


「いってえなぁ、加減しろよ。この馬鹿力」

「何? 文句あるの? それであんた、いつまでそれ羽織っているの? いい加減脱いだら」


 キルロは眦をひとつ掻くと、外套を脱ぎ捨てた。

 現れたのは大きな白蛇に巻き付かれている、何とも言えない若い男の図。

 これにはハルヲも驚愕の表情を見せ、キルロの姿をまじまじと見つめた。


「あんたに、こんなへきがあったなんて⋯⋯」

「あるかっーー!!」


 まるで汚物でも見るかのような冷めた視線を改めて向けるハルヲに、キルロは食い気味に否定した。


「なぁ、、この蛇外してくんない? どうすればいい? ねえ、ねえ」

「ねえ、って言われても、ねえ。しかし⋯⋯こんな白蛇⋯⋯見た事ないわね」


 ハルヲが恐る恐る白蛇に視線を向けた。


 随分立派な白蛇だけど、敵意はないわね。

 

 ハルヲが、まじまじと白蛇を覗き込んでいると、彼女の調教済動物テイムモンスターである2Miは優に超える白虎サーベルタイガーがのそりと近づいた。

 この世界でサーベルタイガーを調教テイムしているという話はハルヲ以外に聞いた事がない。存外、キルロが思っている以上に、優秀な調教師テイマーなのかも知れない。


「よ! クエイサー」


 キルロがサーベルタイガーに声を掛けると、ゴロンと横倒しになりお腹を見せる。構ってくれと言わんばかりの露わな姿に、キルロはわしゃわしゃとお腹を撫でまわした。


「人懐っこいよな。やっぱりサーベルタイガーって大人しいものなのか?」

「いや。攻撃的ではないけど、警戒心は強いわよ。頭はいいので、仲間と分かれば力になってくれる⋯⋯でも、腹まで見せるのは私とあんただけなのよね⋯⋯なんでかしら?」

「そうなの?」


 突然、スルリと白蛇が体から離れた。キルロはほっと胸を撫で下ろすのも束の間、シュルルっと、無防備な姿を晒しているサーベルタイガーへ向かって行った。

 

 え?! やばくない? 喧嘩しない?


 そんなキルロの焦りを余所に、ハルヲは落ちついたままその光景を見守っていた。


「お、おい! あれ⋯⋯」

「シッ! 黙って」


 ハルヲは指を口に当て、キルロを睨む。

 サーベルタイガーは、近付く白蛇を一瞥するだけで、特段動きを見せない。白蛇も威嚇する事もなく、サーベルタイガーの柔らかな腹にポテっと頭を預けた。


「うん」


 ハルヲはひとり納得し、大きく頷いた。それとは正反対に、ヒヤヒヤしているキルロの視線は泳ぎまくる。


「大丈夫か、あれ」

「クエイサーがお腹を見せた時点で、この白蛇に敵意はないわ。もしあれば、あんたは、食いちぎられて、今頃ここにはいないでしょう。あ! それならそれで、こんな面倒な事にはならなかったか」

「おい、さらっと、こえー事言うなよ」


 キルロは気持ち良さそうに頭を預ける白蛇を見つめ、片手を上げた。


「んじゃ、まぁ、そういう事で。あとは宜しくお願いします。じゃあね」

「ちょーーーっと待てぇえええ!」

「ええ! 何で?!」


 帰ろうとするキルロの襟首を掴んだ。ジタバタと逃れようとキルロは暴れるが、ドワーフの血が力強く掴み、それを許さなかった。


「お前がテイムしたんだから、ちゃんと最後まで面倒見ろ!」

「いやいやいや、テイムなんかしてないって! 絡まれて、絡まっただけだって、しかも蛇と生活なんて無理無理無理」

「うーっさい! 男子たるものつべこべ言うな! 見てみろ」


 ハルヲが白蛇を指差すと帰ろうとしているキルロをじっと見つめていた。視線が交わるとスルっと側に寄り金色の瞳で、キルロを見上げる。


「腹をくくれ。この仔はあんたを選んだんだ。あんたについて行くと決めているんだ」

「ええ~!? はぁー」

 

 大きく息を吐きだし、渋々と視線を交わす。


「しかし、テイムなんてしてないぞ。こんな事あるのか?」


 ハルヲは少し考えて、口を開いた。


「極々稀だが⋯⋯ある。この仔があんたを選んだ⋯⋯って、事だ」


 ハルヲの強い意志が込められた言葉を、キルロは飲み込むしかなかった。

 ハルヲは肩の力を抜き、緊張した空気を少し和らげる。そして、口端を少しばかり上げ。ビシっとキルロを指差した。


「キルロ! あんたはこの仔に選ばれたんだ。あんたはしっかりとこの仔を守り抜く。それが主としての役目。でも、そうすればきっとこの仔⋯⋯この仔達はそれに応えてくれるわ」


 柔らかな笑みを浮かべ、最後はクエイサーへ視線を向けた。


 パン!


 いきなりハルヲが両手を鳴らした。


「さぁ、いつまでもこの仔じゃ不便でしょう、名前をつけてあげなさい」

「いきなり言われてもな⋯⋯うーん⋯⋯」


 腕を組み、眉間に皺を寄せ必死に考える姿に、最初は穏やかに見つめていたハルヲも段々とイライラを隠さなくなっていった。ハルヲも腕を組み、足先が小刻みに床を叩き始める。キルロも頭をガシガシと掻きむしったり、悶絶したりと、落ち着きない姿が、ピタリと止まった。


「キノ」


 キルロからぽつりと零れた。


「お! いいじゃない! あんたにしては珍しい!」


 ハルヲも笑顔で頷いて見せた。


「“木の”上で出会ったから⋯⋯」


 ハルヲから笑顔が消え、露骨なまでに顔をしかめて見せた。


「感心して損した! 返せ、この私の無駄に感心した気持ちを!」

「何だよそれ! 素直に感心しとけばいいじゃんよ!」


 そんな不毛にも近いやり取りを、心なしか嬉しそうにキノは見上げていた。

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