第十五話 女装系男子の恋愛模様2

 翌日。

 私は右手には傘を、左手には手土産を持って優羽の家を目指して歩いていた。晴れていれば自転車を使うところなのだが、歩いても大してかかる時間は変わらない。

 ぽつぽつと点在する小さな水たまりをひょいひょいと避けながら進んでいく。

 昨晩はそれほど遅くないうちに解散した。

 決めたことといえばとりあえず謝り、手土産をわたし、一度ちゃんと私と優羽で話し合うということぐらい。

あとは私が優羽に謝りに行くと伝えるLINEを送って適当に喋ってから解散となった。

 昨日凛ちゃんと優羽はクラスメイト数人と親睦会も兼ねて出かけていたのだが、途中優羽だけがはぐれてしまったのだという。それで優羽と英梨花がバッティング。部活動見学の時に無自覚に創ったキャラクターのせいで膨らんでいた私への想いがそれによって爆発。それを聞いた凛ちゃんが私の所にカチコミに来た、と。しかし凛ちゃんによれば優羽は私に対して怒っているというよりは申し訳ないと感じているようで仲直りは難しくなさそうとのことだった。

 まあでも優羽が私に怒っているのではなく申し訳ないと思ってくれているのは結構きつい。べつに仲直りは難しくてもいいから私に怒っていて欲しかった。なぜならそれは優羽が私のことを完全に女の子だと信じていて、女である私に明らかにまだ気のある素振りを見せてしまったことを後悔しているということだろうからだ。たぶん優羽は「わたしのわがままで困らせてごめんね」と思っているのだ。それはとてもつらい。優羽は何も悪くないのに罪悪感に囚われているのだ。女装をして今の関係を変えたくないというのは私と凛ちゃんが勝手に決めたことである。それはつまり優羽との関係を変えてでも私と付き合いたいという意見を無視してしまったことになる。それで私を女だと信じてしまった優羽は今と同じように告白をしてしまったことを後悔したのだろう。

 こう改めて考えると私って本当にクズだなと思う。優羽みたいな百点満点のいい子に好かれていい人間ではない。一応優羽にとってもそっちの方が結果的には幸せなんじゃないかと思って出した結論とはいえ、自分がそうしたいからそうしただけのような気もする。私も罪悪感で潰れそうだ。英梨花と仲良くなれたこととか、あまり変わらない日常とか得られたものもあるけれど、総計するとマイナスになるような気がする。

 女装って間違いだったんじゃ。

 そう思うし今からでもやり直せるはずだ、と女装なんて止めてしまいたい。けれどそれは逃げているだけだ。断じて戦略的撤退などではない。確実に得られるものは私の刹那の心の平穏だけで、本当に欲しいものが手に入る確証はないからだ。

それに女装が間違いだったかなんて、女装をしていない私を経験していない私は判断できない。確かにその世界線で我慢しないといけないのは、優羽に対して恋人としての好意を持っていないにもかかわらずそのように振る舞わないといけない私だけだ。それに私は優羽の事が友人として好きだから一緒にいるのは苦痛ではないし、むしろ楽しいと思う。本格的につらくなってくるのはキスとかそれ以上のことをしないといけなくなった時だから随分と先だ。こう考えると女装がどうしようもない間違いで、女装をしなかった並行世界の私が正しいかのように思えてくる。しかし隣の芝生は青いという。想像しているだけだから楽しい部分ばかりが目に付くだけなのかもしれないのだ。どっちの方がつらいかはどっちの私も経験した私を超えた私、「超私」しか知らない。まあそんな私はいないわけだけど。

それなら女装することを選んでしまった私は割り切ってどうにか幸せな方向に向かうよう行動するしかないのだ。

 ならばさしあたって行うべきは今みたいに並行世界の私なんていうありえないものに思いを馳せることではなく優羽との仲直りに当たって優羽にできるだけ負い目を感じさせないことだ。・・・・・・なんだけど優羽はすでに私に対して申し訳ないと考えているだろうからそれを達成することはできない。

だから、まあ、次善の策としてこれからこんなことが起きないようにちゃんと優羽と腹を割って話そうと思う。

 午後二時ぴったし。優羽の家に着いた。

 呼び鈴を押す。べつに緊張はしていない。

 念のために深呼吸。

 鍵の開いた音がした。

 がちゃ。

「あ、旭陽・・・・・・」

「うん、その・・・・・・謝りに来た。ごめんなさい」

 私は言いながら深く頭を下げる。

「・・・・・・とりあえず上がって?」

「・・・・・・じゃあ」

 私はそうして優羽に続いた。




 がちゃり。

 思いのほか重たい雰囲気にのまれそうになりながら、通された優羽の部屋で待つこと数分。お盆にお茶の入ったグラスを載せた優羽がやってきた。

「あ、ありがとう優羽」

「・・・・・・うん」

 冷たいお茶を入れるだけにしては数分は長すぎるから優羽も落ち着くために何かしていたんだと思う。

「でさ、昨日のことなんだけど」

「・・・・・・うん」

 私はさっそく切り出した。

 今なら不必要な沈黙を生まないという意味でタイミングとして自然だし、長い無言の時間によって生まれる気まずい空気を体験することもなくなる。まぁ、気まずい空気の方はすでにあるんだけど。

「私も悪かったと思ってる。その・・・・・・優羽の気持ちを想像もしないで英梨花と出かけたりして・・・・・・」

「・・・・・・わたしも旭陽に想像しろなんて無茶だって分かっていながら要求したのはごめん」

「想像力が乏しくてごめんなさい・・・・・・」

 優羽の台詞に毒が含まれている・・・・・・。

「・・・・・・あと、わたしじゃなくて羽咋さんと映画を観に行った理由についての旭陽の説明不足がなければ『旭陽はわたしよりも羽咋さんの方が好きなんだ』なんて思いこまずにすんでこんなことにはならなかっただろうけど、まあ思い込んだのはわたしのせいでもあるし、ごめん」

「・・・・・・ごめんなさい」

 昨日の作戦会議の後の凛ちゃんのフォローによって誤解が解けていたのは説明の手間が省けてありがたいんだけど、やはり優羽の言い方には棘がある・・・・・・。あるいはそれほど怒っていない証拠なのかもしれない。

「・・・・・・それとやっぱり旭陽のおっぱいがわたしのより大きいのはむかつく」

「それはいま関係なくない・・・・・・?」

 やっぱり優羽は私の胸部を親の敵のように睨んでいた。

「まぁ、いままでのは冗談・・・・・・でもなんでもなくてわたしの本心だし、事実だと思ってるんだけど」

 優羽はそこで一旦言葉を切って軽く頭を下げた。

「わたしにも悪いところがあったと思う。ごめんなさい」

 そんなにおっぱいのこと気にしてたんだ・・・・・・と突っ込もうと思ったんだけど優羽がそんなに真剣に謝ってくるのは予想外で、慌てて否定――

「いや、私も――」

「六対四の四ぐらいはわたしにも非があったと思う」

「逆じゃない⁉」

 ――しようと思ったんだけどそのジャッジには異議しかないのでチャレンジした。

「いや、どう考えても六割旭陽が悪いよね? だってわたしの悪かった所ってぜんぶ旭陽が原因じゃない?」

「じゃあ言うけど! 先に感情的になって喧嘩の火種をまいたのは優羽でしょ!」

「それは旭陽がわたしを相手として見当もせずに羽咋さんとデートしてたからでしょ?」

「デートじゃないし!」

「へー。じゃあ何したのか言ってみて。私がデートかどうか判断する」

「いいよ! まず映画を一緒に見た」

「有罪!」

「・・・・・・次にスタバで休憩しながら喋った」

「ギルティー!」

「・・・・・・・・・・・・アパレルショップを一緒に回った」

「デートじゃん! どう考えてもデートだよ!」

 振り返ってみたらどう考えてもデートだった。

「・・・・・・内容はそうかもだけど、英梨花と私は友達だから!」

 恋愛感情的なのは一切ないので。

「へーでもいまデートかどうか判断する人間はわたし一人しかいないので、わたしがデートだと判断すればそれはデートだから」

「弁護士! 弁護士を呼んで!」

「旭陽が雇える弁護士は、敷波凛と鵜川月乃の二人がいます。どちらにしますか?」

「どっちも優羽の味方な件!」

「これで決定しましたね。旭陽はデートをしました。よって七対三で旭陽が悪い」

「増えてるんですが!」

「問答無用。あ、旭陽、差し入れ開けていい?」

 言いながら優羽は私の持ってきたチョコ菓子を開封し小袋を取り出した。

「絶対法律犯してるでしょ、この検察官・・・・・・。あ、いいよ」

 私が頷くと優羽は手慣れた様子で、袋を破き、はむ、とチョコ菓子をくわえた。

「あ、おいしー。ちょっとだけ久しぶりかも。え、何? 勝てば官軍だから」

「え、優羽それ好きじゃなかったっけ? 週二で食べるぐらい。そのことわざは絶対司法で適用しちゃダメなんだよなぁ」

「あーまぁそうなんだけど、入学以来いろいろあったから。いろいろ・・・・・・ね。甘いもの食べる元気もなくて」

「いろいろ・・・・・・」

 私が女だと判明したことを指しているんだろうけど、そこまで遡られると、

「ほら旭陽ギルティーでしょ?」

「・・・・・・そうですね」

 認めざるを得ないんだよなぁ。

「それにしてもいろいろあったよね。ここまでショックを受けたことは今までなかったってぐらいに」

「・・・・・・思い返さなくてよくない?」

「ホームルームの自己紹介の時とか、旭陽の自己紹介、訳が分からなくて。あまりにも不自然だから嘘だと思ったもん」

「あー・・・・・・」

 女の子です☆ なんて性別まで紹介したところか・・・・・・凛ちゃんの言う通り不自然だったらしい。

「それで旭陽におっぱいを触らせられて」

「その言い方は・・・・・・間違ってないんだけど」

 なんだろうセクハラしたみたいだな・・・・・・おっぱい触れセクハラ。というか優羽も私におっぱい触れセクハラしたよね?

「わたしのより明らかに大きくて・・・・・・あーショックだったなー」

「気にしすぎでしょ・・・・・・」

 巨乳に何か恨みでもあるのだろうか・・・・・・。

「あーまあ・・・・・・だって旭陽、おっきいおっぱい好きでしょ? 旭陽の好きなヒロインほとんど巨乳だし・・・・・・女の子なのに」

「あー・・・・・・それはその・・・・・・どれくらいやわらかいのか触ってみたくて・・・・・・」

 それも私が原因なのか・・・・・・マジで有罪だな。

「それで、旭陽が美人と仲良くしてるのを偶然見かけて」

「・・・・・・いつまでこれやるの?」

「旭陽が十対ゼロで悪いことを認めるまでかな」

「・・・・・・やっぱり六対四ぐらいだと思うんだけど」

「・・・・・・あれは部活動見学の夜だったかな」

「・・・・・・」

 私がぼそりと言うと優羽は聞こえなかったかのように続ける。

 部活動見学の夜・・・・・・今回の喧嘩の原因の大きな割合を占めるイベントの夜。なんとなく茶化しちゃいけない気がして、私は自身に無言を強いた。

「キャラクター設定を創ったときはわたしと旭陽の状況に似せてるつもりは全然なかったんだけど、気になって夜一人で読み返してたら気づいたんだよね」

 優羽が何かを含んだような言い方で言葉を紡いでいく。

そのせいかわずかに緩んでいた空気はいつのまにかしっとりとわずかに重みをまして、窓を叩く雨音が際立つ。だから私はやっぱり沈黙を強いられた。

「・・・・・・」

「わたし、無意識に自分をモデルにして物語のなかで望みを叶えようとしたんだって」

 その声音に痛みを我慢している様子はなくて、遙か昔の思い出を語っているかのように懐かしさがにじんでいた。つい一週間前のことなのに。

「・・・・・・」

「で、さ。そうしたら改めて旭陽が女の子だったことが辛くて」

 言葉とは裏腹にその口調は湿り気を帯びているわけでも、乱れているわけでもなくてとても静かでやっぱり塞いでいるかさぶたを撫でているようだった。

「・・・・・・」

「そんなことを考えてると我慢できなくなっちゃって。切なくてね。全くその気のない女の子を好きになるなんてどうしちゃってたんだろうって・・・・・・」

「それは・・・・・・」

『その感情は間違いじゃないし、性別なんて関係ないと思う』

 他人ごとだったら私はこう言った。

『性別が異なって出来ることなんて子供を作れることぐらいだから。べつに欲しくないのならとらわれる必要はないし、子供を作ることよりもその人と一緒にいる方が大事だと思ったのならそうすればいいと思うよ。だって人生は幸せに過ごすためにあるんだから』

そして私は微笑んでこう言うのだ。

『あとさ、優羽。数年も経てば空気も変わってきっと異端じゃなくなるから。気にせずにしたいようにすればいいと思うよ』

 他人ごとだったのならこう言った。

 けれど私は当事者だし、加えて告白をなかったことにするために性別の一致を理由にしたんだから言えるはずがない。

「だから、旭陽が男の子だった世界を想像して」

「うん・・・・・・」

「そこでわたしと旭陽は誰もが認める仲良しな恋人同士で」

「うん・・・・・・」

「キスは深いし長いし」

「うん・・・・・・」

「セックスは愛でいっぱいで」

「・・・・・・」

「そんなありえない幸せな未来を想像して」

「・・・・・・」

 言葉を切った優羽はどこかを見ていた視線をわたしのそれとぶつける。その瞳は濡れていて、今にも決壊しそうだった。

「自分を慰めたんだ」

「そっか・・・・・・」

 涙を溜めて、一切の躊躇なくいってのけた優羽に私は照れることもできずにただ目を伏せた。

 だから優羽の顔がすぐそばまで寄ってきていたことに、優羽が声を発するまで気がつかなかった。

「だから、ね。旭陽」

「・・・・・・」

 近すぎるどう考えても女の子な優羽に、私はあっけにとられるしかなくてぼうっと優羽の濡れた瞳を見つめる。

「わたしは旭陽が好き」

「っ⁉」

 優羽はそう言うと私の唇に自身の唇を押しつけた。

 全く想定していなかった展開に、私は情けなくも押しのけることも優羽の口内を蹂躙することも出来なくてただされるがままに優羽を受け入れた。




「今日はごめんね。明日から元気な慶だから」

「こっちこそごめん・・・・・・」

 キスの後、諸兄が期待されるような展開は訪れず二人してしばらくぼーっと会話も何もせずに過ごした。思考が焦点を結びはじめると、さすがに気まずくなってきた私は帰ることを優羽に告げ逃げるように玄関まで降りて外へ出た。そして今見送られている。

「あの、その・・・・・・あれ、わたしのファーストキスだから! 旭陽はどうか知らないけど、たぶん私と同じだろうけど、ちゃんと大事にしてね!」

「大事にするって何を・・・・・・」

 いつまで経っても重たい空気を何とかしようと優羽は明るく訳の分からないことを言った。というか、はじめてかどうかどうして断定するんですかね。まあそうなんだけど。

「いやだからその、思い出とか感触とか・・・・・・そういうの!」

「重いなぁー・・・・・・」

 ファーストキスを大事にしたいかわいい女の子として、という意味で。

「えー⁉ ちゃんと覚えててね!」

「努力するけど」

「・・・・・・それならいっそのことわたしのもう一つのはじめてもあげればよかったかなー。その方が忘れられないだろうし」

「い、いや女同士だから!」

 いや、つまるなよ僕。普通にツッコめよ。

「ほら、挨拶するチンパンジーのメス同士みたいに性皮と性皮こすりあわせようよ!」

「嫌だから!」

 よくやった、僕。

「じゃあ乳合わせ!」

「あきらめて⁉」

 そんな下品な会話を優羽と、というより慶としばらく交わしてから私は帰ることにする。優羽にばっかり気を遣わせて情けない。

「じゃあまた明日」

「うん、またねーばいばーい」

 言いながら手を振って歩き出す。

 来たときには降っていた雨も今は止んでいて、頭上は雲に覆われていた。もう降ることはないと思うけど、どうなんだろう。べつに天気に詳しいわけでも何でもないので分からない。

 無理矢理上げたテンションは、歩いているうちにすぐにもとの調子を取り戻しネガティブな思考ばかりが浮かんでくる。

 私が女装したことで幸せになったのは誰?

 今日の様子を見るに、優羽は幸せになったとは感じていないだろうし、私も絶対に幸せにはなっていない。凛ちゃんは・・・・・・何も変わらないんじゃないかな。三人のうち、二人は不幸になっている。

 女装なんかしなければよかった

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