第十四話 女装系男子の仲直り作戦会議

 ぼんやりとしながら夕飯を作り、食べ、入浴をすませた私は自室の椅子に座っていた。

 ようやく体からお風呂上がりの熱が引いてくると思い出されるのは今日の優羽との喧嘩のことだ。他にも英梨花と書店に行ったり、映画を見たり、服を選んだりしたのだがそのどれを思い出そうとしてもすぐに優羽との喧嘩に頭の中が飛んでいく。そして決まって腹が立つ。そもそもなぜ優羽にあれほど怒られなければならないのか。怒られた原因は優羽がまだ私のことがたとえ同性だと分かっていても好きなままで、そんな私が英梨花と二人で出かけていたからだというのは分かる。しかしそれにしても沸点が低すぎないだろうか。英梨花と二人で出かけていただけなのにあそこまで怒るものなのだろうか。私はただ英梨花と友人として出かけただけで英梨花のことが異性として好きだとかそういうのは一切ない。それを何回言っても優羽は理解しようとしない。判断基準は好きとか嫌いとかでは断じてないのにだ。何度も言ったが優羽ではなく英梨花を誘ったのは英梨花がラノベが好きだからだ。好きならば作品に思い入れもあるだろうし映画を見ればより面白いと思える。そんな人と映画を見に行った方が楽しいに決まっている。というかこれは後付けの理由で誰を映画に誘うか決めるとき英梨花以外は誰も浮かばなかった。優羽を選ばなかった理由を答えろと言われたから挙げただけだ。好きとか嫌いで決めるのなら凛ちゃんや優羽も思い浮かぶはずなのに、一切思い浮かばなかったのだから判断基準が好き嫌いであるはずがない。というかそもそも優羽はそこまでラノベを読まない。私が薦めた作品を読むだけだ。そんな優羽をラノベ原作の映画に誘うとかおかしい。だってそんなに楽しくないだろうから。

 それなのに優羽は怒った。優羽を誘わなかったのは自分よりも英梨花のことが好きだからと勝手に思い込んでそれこそ私が何を考えているのかなんて一切無視してひたすらに怒ってきた。しかもさらに訳の分からないのが、優羽は私に誘われなかったから怒っているのに私が「明日映画見に行く?」と誘うと怒りながら断ってきたことだ。本当に訳が分からない。それならと思って怒っている理由を訊くと怒ってないと言う。いや怒ってるし。それから文脈ガン無視で昔のことを蒸し返して、私が優羽の事を考えていないとか言う。いや考えてるし。女装したのだって優羽を傷つけることになるかもしれないけど、自分のことだけじゃなくて私と凛ちゃんと優羽の事を考えたから出て来た結論だ。入学してからも女装をして優羽の想いを踏みにじっている自分が何回も嫌になってるし。ちゃんと考えている。

 それなのに優羽は・・・・・・!

 考えていたらまたむかついてきた。

 散歩にでも行こう。

 そう思って立ち上がると、

「旭陽ー。何があったのか頼れるお姉ちゃんが聞いてやろうか?」

 姉さんが言いながら私の部屋にどかどかと入ってきて、どすんとベッドに腰を下ろしそのままぐでんと横になった。いやなんで横になるの?

「姉さん・・・・・・」

「ん? 何だ?」

「とりあえずノックしてから部屋に入ってこない?」

「あーすまん」姉さんはちっとも悪いと思っていない様子でそう言って「一人でシてるかもしれないものな?」

「・・・・・・」

 ただ謝るだけですませればいいものを、付け加わった余計な一言により私の姉さんに対する評価が急落した。

 まあそのおかげで落ち着けたわけだけど。

 あと一回も自慰の現場を抑えられたことはないことをここに断っておく。


「まあまあ、取りあえず落ち着け。ほらお茶でも飲め」

「うん・・・・・・」

 私は姉さんに勧められて冷たい緑茶を一息にあおる。

 ふぅ・・・・・・。

 私はあの後姉さんに今日あった出来事を話した。いくら優羽が理不尽な怒りを私に振りかざしてきたとはいえ仲直りしたいし、そのためには私一人で考えるよりも姉さんと一緒に方法を探した方がいいと考えたからだ。しかし今日のことを思い出しながら話している内にまた腹が立ってきたので緑茶を飲んで気持ちを静めようとしたわけである。あるいは誰にでも話せる話ではないから、ただ事情を知っている誰かに聞いてもらいたかっただけという可能性もある。

「姉さん、私は悪くな――」

 ぴーんぽーん。

 悪くないよね、と訊こうとしたら呼び鈴が鳴った。

「旭陽行ってきてくれ」

「・・・・・・まあいいけど」

 私のベッドで横になって聞いていた姉さんが立ち上がるとは思えなかったので私が出ることにする。当然のように妹の水月も反応するつもりはないようで自室にこもったままだった。

 まあいつもの事なんだけど。

 ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。

 お客さんが呼び鈴を連打した。てっきり宅配便かと思っていたが違うようだ。私か姉さんか水月の知り合いだろうからインターホンに寄らずにそのまま玄関を目指す。

 玄関に着いた私は土間に降りて引き戸を開けた。

「はーい」

「ごめん凛だけど旭陽い・・・・・・って旭陽⁉ あんたねぇ・・・・・・⁉ 本当に何してんの⁉ 優羽から話聞いたんだけど――」

 凛ちゃんだった。この様子だと凛ちゃんは優羽と話をしてきたのだろう。

「あー分かった分かった。とりあえず玄関で話すのもなんだし私の部屋来てよ。姉さんもいるから」

 凛ちゃんが出会い頭にぶちギレてきて放っておくとそのまま何時間も説教を食らわされそうだったので遮って凛ちゃんの返事を聞く前に私は踵を返した。

「ちょ、ちょっと! 待ってよ⁉」

「あ、先行ってて。私凛ちゃんの分のコップ取ってくるから」

 リビングに消えた私を凛ちゃんは追ってくることなく素直に私の部屋に直行してくれたようだった。

 私は一人分のコップを持って二階に上がる。

 ・・・・・・うわー凛ちゃん怒ってるなぁ。

 何を言っているかは分からないが凛ちゃんの声が私の部屋から閉まっている扉越しに聞こえるのだ。おそらく姉さんに怒りをぶつけているのだろう。

 気は重いが仕方がない。

 私は扉を開けた。

「ほんっっっっっっっっっっっっっっとにありえない! なんで旭陽は羽咋さんと・・・・・・あ、旭陽やっときたわね・・・・・・!」

「あー待って待って凛ちゃん。私には後からいくらでも怒っていいからとりあえず優羽がどんな様子だったか聞かせてくれない?」

 怒りの矛先をイマジナリー旭陽からリアル旭陽に変えた凛ちゃんはやっぱりえらく興奮していた。しかし私は凛ちゃんもかなり理不尽であるにもかかわらず落ち着いていた。凛ちゃんが必要以上に感情を荒げているから私はその分余計に落ち着かないといけないと思っているのかもしれない。

「そんなの後回しよ!」

「一回落ち着こ? ね?」

「無理ね! 旭陽に何か言ってやらないとあたし何も出来ないから! 旭陽はそこに正座しなさい!」

「えぇ・・・・・・」

 ダメ元でなんとか凛ちゃんの気を一旦逸らせないかと提案してみたのだがやはり無理だった。どうやら怒る凛ちゃんを止めることは出来ないようだった。私は仕方なく凛ちゃんの正面で正座をし凛ちゃんの怒りを受け止めた。

 三十分後。

 凛ちゃんが爆発し終えた。

 三十分間ずっと喋りっぱなしだった凛ちゃんは緑茶を飲んで喉を潤している。私はしびれて感覚のなくなってしまった脚をさすり、姉さんは相変わらずベッドで横になっている。

 凛ちゃんは優羽と同じように怒っていた。同じ理由で怒って、同じところを責める。やっぱり聞き直しても理不尽なのは変わらないけど、二回目だからか慣れみたいなのがあったのと、凛ちゃんはこの場にいない優羽のために怒っているのでここで私が凛ちゃんに怒っても仕方がないため冷静に聞けた。そのおかげで優羽との喧嘩を客観的に見るられるようになったと思う。

「で、なんで優羽は一人でショッピングモールにいたの? 他のクラスメイトの人と凛ちゃんと遊んでたんじゃなかったっけ?」

 私は凛ちゃんがお茶を飲み干して一息ついたぐらいのタイミングで尋ねた。

「旭陽、ちゃんと反省してる?」

 私の質問を無視して凛ちゃんが私を睨みつけた。声音が軽かったのかもしれない。

「そんなにしてない」

「何でよ⁉」

 正直に答えた私に凛ちゃんは目をむいた。

「いやだって私が何も悪くないとは言わないけど、優羽は自分で怒る理由を持ってきてそれで怒ってたでしょ?」

「例えば?」

「私が優羽より英梨花の方が好きだから英梨花を誘った、とか。何回もちゃんと理由を付けて違うって言ってるのに優羽はそれを信じようとしなくて、勝手に私が英梨花の方が好きなんだって思い込んで怒ってたし。優羽がもしもちゃんと私の話を聞いてくれてたら優羽は怒らなくて良かっただろうし」

「あ? 理由って羽咋さんと映画観に行った方が楽しいってやつ?」

 凛ちゃんが凄んだ。

「大体そうだけど」

 少し言葉は足りないが要するにそういうことだ。

「はあ⁉ それは優羽より羽咋さんの方が好きって言ってるでしょ⁉」

「いや言ってないでしょ・・・・・・」

「いや言ってるから!」

 かみ合わない私たちに姉さんが助け船を出す。

「凛が言いたいのはあれだろう? 英梨花と観に行く方が楽しいって事はつまり優羽と一緒にいるよりも英梨花と一緒にいた方が楽しいと旭陽は言っているから、ってことだろう?」

 寝そべったまま話を聞いていた姉さんがのそりと起き上がった。姉さんが私の言葉を恐ろしく曲解している。

「そう! それよ!」

 なんと凛ちゃんがその超解釈に同意した。

「私はそんなこと言ってないんだけど」

 どっちと一緒にいた方が楽しいかなんていう話は一切していない。

「じゃあなんで英梨花と観に行く方が楽しいんだ?」

「映画の内容を考えると優羽よりも英梨花の方が楽しんでくれそうだからだけど」

「え⁉ そんなこと優羽は何も言ってなかったけど・・・・・・どういうこと?」

 凛ちゃんは今までの勢いはどこへやら。こてんと首を傾げた。

「優羽が聞き逃したんじゃないの?」

 私は確かに言った。もっと簡単にまとめたような気はするけど。

「えーそんなことある? やっぱり旭陽が言ってないんじゃないの?」

 凛ちゃんは私の言葉に懐疑的だ。

 私たちは二人そろって姉さんを見る。

「・・・・・・わたしもその場にいなかったからわからないが、どちらかがそう思い込んでいるだけなんじゃないか?」

「じゃあ正しいのは私だね」

「そんなの分からないでしょ⁉」

「いやだって覚えてるし」

「じゃあ優羽に電話して訊くけどいいのね⁉」

「うん」

 私は首肯した。

「うん、じゃないだろう旭陽・・・・・・電話を掛けてもどちらも譲り合わず再び喧嘩になるのが目に見えているだろうが・・・・・・」

「・・・・・・それもそうね」

「・・・・・・そうだね」

 凛ちゃんは持ち上げていたスマホを床に置き、私は自分の強い意地に項垂れた。

 しばらく続いた沈黙に姉さんが「はぁ・・・・・・」と私にも英梨花にも聞こえるほどのため息を落とした。

「まず最優先で今考えなければならないのは、旭陽と優羽の仲直りの方法だ」

「そうね」

「うん。っていってもどうするの?」

「そんなの簡単だろう? 仲直りするときにすることなど決まっている」

「そうね」

「え、何?」

 自信ありげに口の端を吊り上げる姉さんに、うんうんと頷く凛ちゃん。

 仲直りのためにやることといえば私には謝る以外に思いつかないが、二人の様子を見るにどうやら別の方法があるようだ。

 私はなかなか続きを言わず、不適に笑っている姉さんにごくりと唾を飲み込んだ。

 私の真剣なまなざしを受け止め、姉さんは口を開いた。

「旭陽、とりあえず謝れ」

「今の溜め必要あった⁉」

 そんなあまりにも当たり前のことを姉さんは言った。

「ん? 溜めてなどいないが」

「いや妙な間を姉さんわざと空けたよね?」

「今のがわたしの通常の間合いだ。本気を出すともっと長いぞ」

「コミュ障ってレベルじゃないね⁉」

 剣の間合いみたいに言われても。

「冗談だ。ともかく謝れ。明日中に謝りに行け。これしかない」

「うーん・・・・・・まあ結局謝るしかないのは分かるし、どっちの方が悪いかは置いておいても私が謝るのもやぶさかじゃないんだけど・・・・・・」

 釈然としないんだよなぁ。

「その時の注意点だが言い訳はするな。自分が十対ゼロで悪くて優羽は全然悪くないと思っていることを態度で示せ」

「えぇ・・・・・・私そんなに悪くないでしょ・・・・・・悪くて私が六ぐらいじゃない?」

 悪くとも五対五ぐらいに思ってはいるけど、そんなことを言うと二人が怒りそうなので謙虚な態度を取った。

「そんなわけないでしょ⁉ 旭陽が全面的に悪いから!」

「間違いない」

 凛ちゃんと姉さんがそろって頷く。

「一応訊くけど、どうして?」

「優羽の気持ちを知っていながら他の女の子と仲良くしたから」

「そうだな」

「そんなつもりは全くないのに?」

「うん。というか優羽を振った理由が『関係を壊したくないから』なんていう、壊れることを覚悟して告白をした優羽からすればふざけるなって言いたくなるような理由なんだから優羽をこれ以上は何があっても傷つけないぐらいの心持ちでいないといけないのに、なんで旭陽は羽咋さんと仲良くするのよ」

「うむ。全くその通り」

「それを凛ちゃんが言うの?」

 私だけでなく凛ちゃんもそうしたいと言ったから私が女装をすることになったのに私にだけ責任を押しつけるのはあんまりではないだろうか。

「だから今こうしてどうすれば優羽と仲直りできるか考えてるんでしょ? それにあたし羽咋さんとはしばらく距離を置けって言ったわよね? それなのに旭陽が羽咋さんとさらに距離を詰めてこうなったんだから私はそれぐらい言ってもいいでしょ?」

「凛ちゃんにとってはどこまで行っても結局他人ごとだからそう言えるんだよ・・・・・・私がどれだけ悩んでるのか知らないでしょ?」

「それは・・・・・・そうだけど・・・・・・」

 凛ちゃんの声は徐々にしぼんでいき、凛ちゃんがうつむくと声も消えてしまった。

「まあでも謝るよ。明日。ほんとに謝るだけでいいの?」

 もしも私と凛ちゃんの立場が逆だったとしたら、私は今の私ほど凛ちゃんの苦悩について考えることは出来るだろうか。十中八九出来ない。どれほど仲が良くても私と凛ちゃんは別の人間で体験することが違うから考えることも違う。体験したことを凛ちゃんから全て正確に伝え聞いたとしても、伝聞するのと体験するのは違うから生じる感情にずれができる。また、凛ちゃんの悩みの種を全て知ったとしてもやはり自分の問題ではないからどこか楽観的に、あるいは投げやりに考えてしまうと思う。だから凛ちゃんは何も悪くなくて今のはただのやつあたり。たまたまその役目が私だっただけなのに凛ちゃんが私ほど深刻に考えていなくてずるいと思っただけ。でも結局その役目が回ってきたのは私なのだからそれを受け入れるしかないのだ。だからまあ駄々をこねるのは止めてやることをやろう。

「・・・・・・よろしく」

「ふふ。ごめんね凛ちゃん。今のはただのやつあたりだから気にしないで?」

「そう思うなら言わないでよ」

 凛ちゃんがふくれている。いやほんとにかわいい。

「ごめんごめん。で、謝るだけでいいの?」

 いい具合に抜けた雰囲気に凛ちゃんはため息をついた。

「そうね――」

 そんな感じで凛ちゃん主導で優羽と私の仲直り作戦が組み上がっていく。まあ作戦とは言ってもほとんどただ謝るだけなんだけど。

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