第十一話 女装系男子の仲直り
英梨花に黒歴史を抉られた日の放課後。
今日は姉さんは用事があるらしく部活はない。私たち一年生はまだ正式な部員ではなく、また二年生以上も姉さん以外に部員がいないので部室の鍵を借りられないみたいだ。いつもなら凛ちゃんと優羽と一緒に帰るところなのだが今日は二人とも友人と別の部活動を見学しに行くらしい。
なので一人で帰っても良いのだが・・・・・・英梨花と帰ろうかなぁ。
午後の授業一本目の序盤は昼休みに受けた辱めが尾を引いていたのだが、それ以降はましになった。だから今も顔が真っ赤に染まっていたりはしないのだが英梨花と会うとどうなるか分からない。
一番始めに英梨花をからかったのは私だし、自業自得である。昼休み直後は十対ゼロで英梨花が悪いと思っていたが、落ち着いた頭で考えると七対三で私が悪い。でも、もしかすると英梨花はかなり気に病んでいるかもしれない。それはだめだ。謝る、のは流れ的におかしいから気にしなくていいと英梨花に伝えに行くべきだろう。そうでなくとも、関係修復を後回しにするとどんどん気まずくなって英梨花との関係が切れてしまうかもしれない。
英梨花と一緒に帰ろうと決心を固めた私は教室を出て右に曲がる。
目の前に黒髪ロングの美少女がいた。
「あ、英梨花・・・・・・」
「あ、あーにゃ・・・・・・」
心配していたように顔が真っ赤になることはなかった。
「一緒に帰ろっか・・・・・・」
「ええ・・・・・・」
とはいえやはり気まずく、私たちはしばらく無言のままで歩いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
よし切り出そう。
「えり」
「あー」
被った。もはや伝統芸。どうしてこういうときって被るんだろう。
「あ、あーにゃからどうぞ」
「じゃあ」
そして伝統芸に従うのなら譲り合うまでがワンセットではあるが、その先にあるのは微妙な空気だけなので私は自分の中の日本人をビニールテープでぐるぐる巻きにする。
「さっきのアレなんだけど、気にしてなくはないけど悪いの私だし、英梨花は気にしないでね。つまり、ドントウォーリー」
ぐるぐる巻きにした日本人の代わりに発音の下手くそな英語圏の人が出てきた。嘘。私の中には日本人しかいないようだ。
「ふふ・・・・・・何それ」
英梨花が笑った。
「私の中の日本人」
「・・・・・・何?」
英梨花がマジで何言ってんの、という顔をした。
「・・・・・・ごめん。何もない」
うぅ・・・・・・お嫁に行けないよぉ・・・・・・。
「そう・・・・・・?」
「うん。気にしないで」
「そう言われても気になるのだけど・・・・・・」
「気にしないで。私も何言ってるか分からないし」
ちゃんと分かっているのだが、自分の中の日本人をビニールテープでぐるぐる巻きにしましたと言うのは黒歴史になりかねないので遠慮したい。またお嫁に行けなくなってしまう。
「そう・・・・・・?」
「うん。何も聞かないで。ほんとに」
「あーにゃがそう言うなら・・・・・・」
英梨花は不承不承といった様子で頷いてくれた。
それからほんの少しだけ無言のまま歩を進めたところで、英梨花が口を開いた。
「あーにゃって優しいのね」
「そうかな?」
「ええ。とっても」
英梨花が私に微笑みかけた。
「・・・・・・照れるな。あはは・・・・・・」
ちょっと英梨花と目を合わせていられなくて私は視線を逸らした。頬が熱い。
「ふふ・・・・・・でも、ごめんなさい。あーにゃはああ言ってくれたけれど、あーにゃを深く傷付けてしまったようだから」
「あーうん・・・・・・たぶんあそこまで抉られたのは初めてじゃないかな」
緊張した様子はないけれど真剣に謝ってくれる英梨花に私は冗談めかしてそう返した。
「そうね。だって私、そうなるように言葉を選んだもの」
「だよね。英梨花あのときおこだったし」
「おこ・・・・・・」
「うん。おこ。英梨花怒ってたでしょ?」
「意味は分かるわ。でも、それ、死語だと思うのだけれど」
「え・・・・・・うそ・・・・・・まあでも『おこ』ってかわいいから」
一瞬またお嫁に行けなくなるかもと思ったが、べつに問題はないことに気づいた。
「おこ・・・・・・そうかも」
英梨花はゆっくりと音を確かめるように呟いてから認めた。
「ね?」
「「ふふ」」
顔を見合わせて一緒に笑った。
じゃあまあ仲直り完了ってことで。確認するまでもないよね。
「というか私、べつに怒っていなかったわよ?」
「えぇ⁉ でも雰囲気とか・・・・・・」
今思い出してもぞっとする。私が攻め、英梨花が受け・・・・・・じゃなくて守りだったのが一瞬で攻守交代したときの英梨花の視線。あれは絶対に怒っていた。
「・・・・・・ああ。私ってほら、目つきが悪いでしょ?」
英梨花はしばらく考える素振りを見せてからそんなことを訊いてきた。
「え、どうだろ・・・・・・」言われて英梨花の顔を見つめる「まあ、言われてみれば?」
そういえば初めて英梨花に声を掛けられたときそんなことを思っていた様な気もする。
「認めるのね・・・・・・まあ自覚してるからいいけれど」
「あ、なんかごめん。フォローにならないかもしれないけど、英梨花は美人だから余計そう見えるんだと思うよ。制服着てなかったら高校生だと分からないぐらい大人びてるし」
「・・・・・・そうね。全くフォローになっていないわね。私の目つきが悪いのは否定していないのだし」
私が言った美人という単語に軽く目を見開いた英梨花はすぐにぷいっと目を逸らして常よりもやや早口で言った。
「あはは・・・・・・まあね」
そう言われると何も言えない。また英梨花を怒らせてしまったかもしれない。
「こほん・・・・・・理由はともかく私は目つきが悪いからたぶん誤解されやすいのよね。だから怒っていないときでも怒っているように見えるの」
「じゃあ今は?」
怒っているのならちゃんと謝っておきたい。
「え? 今?」
きょとんとする英梨花。
「ってことは怒ってないの?」
「え? 怒る? どうして?」
「だって私上手にフォローできなかったでしょ?」
「あ、ああ・・・・・・お、怒ってないわよ」
英梨花の様子が明らかにおかしい。視線は泳ぐし頬は赤いし。
「ほんとに?」
「え、ええ」
「嘘でしょ?」
だっていつもと明らかに様子が違う。
私が問い詰めると英梨花は、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・照れてたの」
明後日の方向を向いてぼそっと呟いた。
しかしそれを聞き逃す私ではない。
「え? なんで?」
「何でって・・・・・・それは・・・・・・容姿を褒められたからでしょう?」
「ん? 英梨花は自分が美人だって自覚してないの?」
「・・・・・・ま、まあ人よりは整っているとは思っているけれど」
英梨花は謙虚だ。人よりは、なんていうレベルじゃないのに。まあそれは置いておくとして。
「じゃあなんで照れるの?」
「え・・・・・・? 普通は照れないの・・・・・・?」
英梨花の私の方を長らく向いていなかった視線は私に定まり、頬は染めたままで困惑している。
「照れないでしょ。だって私も凛ちゃんも慶も照れないよ?」
何を当たり前のことを、と思う。
まだ言われ慣れていないぐらい幼いならまだしも私たちはもう十五年も生きている。たとえ直接言われたりはしなくても周りが自身の容姿を優れていると感じていることは分かるはずだ。それに英梨花は自分に自信がないわけではなく、ちゃんと美人だと認識しているという。だから今更そんな自分も周りの人間も認める当たり前のことを言われて照れるなんておかしい。
と思ったのだが、
「サンプルがその三人なら全く当てにならないんじゃないかしら・・・・・・」
英梨花は私の答えを聞いて呆れたように言った。
「え? 私も凛ちゃんも慶も英梨花も同じ人間で日本人なのに?」
文化差があるのなら、どこでどんなリアクションを取るのかが変わってくるのも頷けるがそうではない。
「まあだいたいそうだけれど、あなた達みたいな特殊な関係の三人の感覚を一般に当てはめることは出来ないと思うわ」
「えっ・・・・・・そ、そうなの?」
英梨花の言う特殊な関係がただ距離の近い幼馴染みということを表していると分かっていてもドキッとしてしまった。心臓に悪い。
「ええ。だってたぶんだけれど、あなた達お互いの顔が整っていることを当たり前のように受け止めているでしょう? 他の二人が当たり前だと思っているから自分までそれを当たり前だと認識しているんじゃないかしら」
「え、そうだけど。でもそれって私たち三人ほど距離が近い必要ってある? 普通の友人同士でも同じことが言えるんじゃないの?」
「・・・・・・私もそれほど友人が多い方ではないからなんとも言えないけれど、違うんじゃないかしら。少なくとも私は言えないわね」
「あぁ・・・・・・」
言えないというのは分かる。正確に言えば理由が恥ずかしくて言えない、のは分からないけど別の理由で言えないというのは分かる。今は優羽に面と向かってかわいいとは言えない。
「あーにゃ?」
声につられて隣に顔を振ると英梨花が首を傾げていた。
「あ。そ、そんなものなのかな。やっぱり分からないなー」
「・・・・・・というかあーにゃ。今思い出したのだけど、昨日敷波さんに自分の容姿を自分で褒めるのはだめ、と言ってたわよね?」
英梨花は私の台詞の部分を特に声音を変えてものまねをしたりはせずにそう言った。
「え? うん。言ったけど」
それが何か関係あるのだろうか。
「ということは容姿を褒められたとき、それをすんなりと受け入れてはだめということを分かっているということよね?」
「そうだね」
「じゃあ私が照れたのも理解できるんじゃないかしら?」
「あぁー・・・・・・確かに。今理解した。英梨花が正常だったんだ・・・・・・」
いやほら他人を客観的に見ることは出来るけど自分を客観的に見ることは出来ないから・・・・・・。これじゃ凛ちゃんのこと言えない。
「あーにゃと一緒にいると私までこうなるのかしら・・・・・・」
英梨花は頬に触れながら悩ましげにやや下を向いている。
「あはは・・・・・・どうだろ・・・・・・」
私は英梨花に「こう」呼ばわりされて少しへこんだ。
英梨花はそんな私を見て、
「ふふ。冗談・・・・・・ではないけれど、あーにゃのことを迷惑だなんて思っていないから」
「え、ほんとに?」
「ええ」
冗談じゃないんかい、とは思ったけど素直に嬉しい。口元が自然に緩む。
「じゃあさ」
私は先週末寝る直前にぼんやりと思っていたことを唐突に思い出した。
「今週末一緒に映画見に行かない? あのラノベ原作の」
私の好きなシリーズの劇場版で先週末公開だった。もともと一人で見に行く予定だったけど、英梨花と一緒に行けるなら行きたい。感想共有とかしてみたい。
「ものすごく唐突ね」
英梨花は少し驚いたようだった。
「うん。急に英梨花と行きたいと思ってたの思い出して」
「まあいいけれど。どうせ暇だし。それに私も見たいと思っていたから」
「ほんと⁉ やった! じゃあ詳細は家に帰って色々調べてから決めるね」
「ええ。よろしく。楽しみにしてるわね」
そういうわけで私は英梨花と一緒に映画を見に行くことになった。
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