第六話 女装系男子の新体力テスト
週が明けて月曜日。
今日は午前中いっぱいを使って新体力テストがある。新体力テストとは文部科学省新体力テスト実施要項によれば、それによって「国民の体力・運動能力の現状を明らかにし、体育・スポーツ活動の指導と、行政上の基礎資料として広く活用」するためのものである。まあ小学校中学校と毎年行っているので慣れているし、テスト自体も持久走を除けば楽なものなのだ。
朝のショートホームルームで担任の先生からの注意事項の説明などが終わると、着替えの時間が始まった。私たちの高校は一学年六クラスあるので、奇数クラスで男子が、偶数クラスで女子が着替えることになっている。つまり私たちのクラス、六組の男子は五組で、女子は六組で着替えるのだ。
私はクラスメイトの男子がぞろぞろと教室を出て行くのに少し遅れて教室を出た。保健室で着替えるためである。学校には私は性同一性障害なのだと説明してある。しかし、学校側としてはいくら自己認識が女性であるとはいえ、体が男性のそれである私には着替える場所を他の生徒とは別に与えなければならない。そこで私は保健室で着替えることになったのだ。優羽も同じように学校には説明してあるため私とは別のどこかで着替えている。とはいっても毎回クラスメイトと違う場所で着替えていれば、いつか優羽にばれるかもしれない。なので私は体育を全て休む。学校には他人に自分が性同一性障害と言うことを知られたくないのだと説明したら許してもらえた。
しかし新体力テストは必ず行わなければならないそうだ。できるだけ素早く着替えて素早く教室に戻ろうと思う。
教室に戻るとすでに着替えは終わっていて、女子生徒たちがぱらぱらと教室を出て行くところだった。
私がいつの間にかいなくなっていつの間にか着替えて戻ってきたのに気づいた人はいるのかな。まあいると思う。私には友達がほとんどいないけど、かわいいので。目立つと思うし。自己評価ではクラスで凛ちゃんの次ぐらいにかわいい。優羽が女の子の格好をしていたら優羽にも負けているかもしれないけど。
そんなことを考えながら、少なくなってきた女子生徒を見回す。新体力テストのほとんどの種目はペアを組んで行われる。種目を行う都度、新しいペアを見つけて行ってもいいが、初めから特定の人と組んでいた方がスムーズだろう。
凛ちゃんのポニーテールを探すがない。誰かと組んで行ってしまったようだ。仕方がないので物腰が柔らかそうな人を探す。しかしいない。みんな友達がいるみたいだ。
もう誰でもいいかとペアがいなさそうな人を探していると羽咋さんを見つけた。羽咋さんは五組なので六組に着替えに来ているのだ。てっきり羽咋さんは誰か友人とペアを組んですでにいなくなってしまったと思い込んでいた。
「は――」
声を掛けようとして止める。
凛ちゃんに羽咋さんとはしばらく距離を置けと言われているのを思い出したのだ。
思いだしたんだけど、
「羽咋さん、一緒に新体力テスト回らない?」
私は羽咋さんとは変わらず友達でいることにした。
まあ何も起こらないでしょ。
「あ、鵜川さん。いいわよ」
羽咋さんは微笑んで首肯した。
「じゃあ行こっか」
「ええ」
新体力テストは格技場、体育館、グラウンドの三カ所で行われる。どの種目から行うかは決められていない。各自の自由だ。
私たちはどこが空いてそうかという話し合いの末、格技場を始めに訪れることにした。できる種目は上体起こしと握力測定。
まずは握力測定からだ。
「頑張ってね」
「うん」
羽咋さんに励まされた私はまず利き手の右で測定器を握った。
私は本気を出すことができない。
いや、正確に言うと出してはいけないのだ。なぜなら本気を出してしまうと封印されし私の中の神が目覚め、下手をすれば地球を破壊しかねないから・・・・・・ということでは当然無く、男だということがばれてしまうかもしれないからだ。もちろん、個人差というものがあるから女性でも男性よりも強い場合もあるし、なんなら霊長類最強女子になる場合もある。具体的にはオリンピックと世界選手権大会合わせて十三連覇すれば、ゴリラを倒せるようになる。なので私が高校生男子並みの記録をたたき出そうとおかしくはないのだが、やはり不自然だろう。私の外見はおとなしく、かよわい女の子なので。できるだけ疑われるようなことはしたくないのだ。
ということで私は胸中で「三十パーセントほどにしておくか・・・・・・」と言いながらやれやれと肩をすくめ測定器を握った。
「二十、私の勝ちね」
「え」
測定器の数値をしゃがんで見ていた羽咋さんがふふん、と笑いながら得意げに私を見上げた。
羽咋さんは内股でしゃがみ、同様に内側を向く膝を抱えている。その膝と胴体の間におっぱいが潰れるような形で挟まっていて(谷間は見えない。見えたら色々困るので良いことなんだけどね?)、羽咋さんは端正な顔で私を見上げているのだ。
うわ・・・・・・かわい・・・・・・。
そんな羽咋さんを見て初めに思ったのはそれ。意外とエロスは感じなかった。しかし見続けるとどうなることか分かったものではないので私は慌てて前を向いた。さすがにここでムスコがアンチグラビティモードに移行してしまうと洒落にならない・・・・・・。
美しいとかわいいは表裏一体なのだと思った。
「今のは本気じゃなかったから。ウォームアップっていうやつだから」
私は正面の壁を凝視しながら、声音がぶれないよう努めた。
「ふーん? じゃあ次は頑張ってね」
私の様子がおかしいことに気づいたのか気づいていないのか、羽咋さんは何か訝しがるように、あるいはからかうように言った。
・・・・・・まあ羽咋さんの破壊力はともかく。私が狙ったのは羽咋さんを少し下回るほどの記録だったのに七キログラム近く負けてしまった。実際は十パーセントほどしか出ていなかったのだろう。次は八十パーセント出す気持ちでいこう。
私は変なところに力を入れて刺激しないようにしながら測定器を握った。
「二十五、やっぱり私の勝ちね」
「・・・・・・」
あれ? やり過ぎたと思ったぐらいだったんだけど? 悪いのは誰? 私? ムスコ?
深呼吸をして気持ちを静めてから、羽咋さんが私の記録用紙に記録している間に、私はひっそりと本気を出してみた。
三十キログラム・・・・・・中三の時からほとんど伸びてない・・・・・・。
うん。まああんまり筋肉が付くとばれるかもしれないので、むしろオッケー最高マジ卍と思い直して記録調整のしやすい上体起こしを終え、体育館に向かった。上体起こしのとき、迫ってくる羽咋さんの大きなアレに視線がついつい吸い寄せられて大変でした。
続いて体育館へ。
初めに行うのは反復横跳び。
これも回数調整はそこそこしやすい。
「羽咋さん頑張って」
「ちゃんと数えててね」
笛が鳴って羽咋さんが反復横跳びを始めた。
反復横跳び、回数調整はしやすいが問題は私の最先端科学的おっぱいである。一応ラッキースケベされて揉まれても落ちないように設計してあるらしいが、心配である。
おっぱいといえば羽咋さんのそれが揺れている。
何が心配って、私のおっぱいが地面に落ちてしまったときは諦めもつくが、もしもずれてしまったときのことだ。
というか羽咋さんのおっぱい少し揺れすぎでしょ。
外側にずれるにしろ内側にずれるにしろ私はそれ以降も奇乳キャラとして生きていかなければならない。陰でなんて言われるか想像するだけでぞっとする。『奇貧乳の旭陽』とか渾名されるのかもしれない。最悪だ。
反復横跳びのとき羽咋さんほど揺れると大変なんだろうなぁ。
ピー。
笛が鳴った。
「何回だった?」
羽咋さんは息を弾ませながら訊いてきた。その頬は上気している。
「五十回」
途中から私の眼球は羽咋さんのおっぱいを追いかけ、思考は自分のおっぱいのことで占拠されていたが、数えることも忘れていなかったのだ。危うく五感がおっぱいになるところだった。というか新体力テストが始まってからほとんどおっぱいの事しか考えてない。どれだけおっぱい好きなんだ。おっぱい。
「まずまずね」
特に面白くもなさそうに羽咋さんは言った。
「そうだね」
言いながら私は立ち上がる。ムスコは勃ち上がらない。
次は私の番だ。ムスコの番ではない。・・・・・・おっぱい。
・・・・・・というかいい加減下ネタから思考を遠ざけよう。まあ無理なんだけど。
「え?」
「どうしたの羽咋さん?」
頭をおっぱいから切り替えて準備体操を始める。
「・・・・・・まあいいわ」
「え、何? 気になるんだけど。反復横跳びに集中できない」
羽咋さんはしばらく迷うようなそぶりを見せてから言った。
「・・・・・・私の記録ってまずまずなの?」
「え、あ、うーん・・・・・・」
私は新体力テストにおいて適切な記録を出すために、事前に高校一年生女子の全国平均を調べ大体の数字を把握している。反復横跳びは五十回弱だった。それを知っているため私はほとんど無意識に羽咋さんの記録がまずまずであることに同意してしまったが、羽咋さんはそれを不審に思っているのだろうか?
「私も中学校のときそれぐらいだったし、たぶんまずまず、だと思う」
「そう・・・・・・」
うまく誤魔化せたかな。分からないが羽咋さんはそれだけ言って腰を下ろした。
私の心配は杞憂だったようで、おっぱいは少しもずれることなく反復横跳びを終えられた。少しだけ及び腰になっていたこともあって記録は四十。このままだと運動できない系ガールになってしまう。べつにいいけど。奇貧乳系ガールとかムスコが勃ち上がる系ガールよりずっとましだ。
体育館で行える種目は残り長座体前屈と立ち幅跳び。
どちらも回転率が悪いのか結構並んでいる。
私と羽咋さんは見た感じ若干並んでいる人が少ないように見える立ち幅跳びを先に行うことにした。
「羽咋さんって身長高いよね? どれくらいあるの?」
他の人がやっている立ち幅跳びを見ていて、身長高いと有利だなぁと思ったので聞いてみた。
羽咋さんは男の私よりも身長が高い。まあ私は男子としては身長が低い方だけど。
「百六十七ぐらい、だったかしら」
「私は百六十三だから四センチ負けてるのか・・・・・・」
「でも鵜川さんだって女子の中では高い方でしょ? 気にすることはないと思うけど」
「まあそうなんだけどね・・・・・・」
ははは、と空笑いが漏れた。
私がしたいのはこんな話じゃない!
立ち幅跳びの列に並び始めてからずっと切り出そうとしているものの、なかなか切り出せないでいる。それでずっと先ほどの互いの身長のような、わりとどうでもいい話しか出来ていない。
そうこうしているうちに私たちの番が回ってきて、次は長座体前屈の列に並んだ。
よし切り出そう。
無意識に強ばっていた体から力を抜き、鼻から息を深く吸い込む。
「どうかしたの? 鵜川さん」
と、私が丁度口を開こうとしたタイミングで羽咋さんが頭を傾けながら言った。
「あ、なん・・・・・・でもなくはないんだけど」
「?」
反射的に笑ってごまかそうとして止める。
頭の中で次々と自動的に展開される、出会って一週間で馴れ馴れしすぎるのでは、というような進まないための論理を無視して私は提案する。
「これから英梨花って呼んでもいい? 今のままだと固すぎると思うから」
私は親しい友人を全員――といっても凛ちゃんと優羽の二人だけだが――名前で呼んでいるので、おそらく友達と言ってもいいはずの彼女を苗字に「さん」を付けて呼ぶのには違和感があったのだ。
ここまで日和ってたのは、凛ちゃんと優羽とは勝手に距離が縮まっていたので他人との距離の詰め方が分からなかったからですね。
「・・・・・・え、な、何? もう一回言ってくれる?」
しばらくすっかり固まっていた彼女の声はわずかに上ずっている。
「英梨花って呼びたいんだけど・・・・・・もしかして英梨花ちゃんとかの方が良かったり?」
「あ、う、うん。呼び方ね。・・・・・・ど、どうぞ? す、好きに呼んでもらって構わないわ」
英梨花は明後日の方向を向いて頬を染めている。間違いなく嫌だとは思っていない様子である。むしろ喜んでくれているのではないだろうか。
そんな英梨花を見ていると私まで嬉しくなってくる。じわじわと頭の中に何か心地の良いものが広がっていく。
「・・・・・・」
「そ、それで、その場合私はあなたをなんと呼べばいいのかしら? ふ、普通に・・・・・・その、あ、旭陽・・・・・・とか?」
にまにまと一人でにやけていると英梨花が一層顔を赤くして言った。
「そうだなー・・・・・・あーちゃん、とか、あっちゃん、とか・・・・・・あーにゃとか?」
誰からもそんな風には呼ばれたことないけど。
英梨花がそんなふにゃふにゃしたかわいらしい名前で呼ぶ姿が想像できないのでからかいたくなった。
「そ、それは、あれなの? あ、あなたの友人はみんなあなたのことをそう呼ぶの・・・・・・?」
「んー? そうだね。それと私のことをあーにゃから転じてにゃんって呼ぶ子もいるなぁ」
「にゃ、にゃん・・・・・・⁉」
「うん。にゃん」
「にゃん・・・・・・」
英梨花がにゃんと呟いた。
よし、もう少し引っ張ろう。
「私ってほら、猫っぽいからさ」
「あなたが猫っぽいなんて思ったことはないのだけれど・・・・・・身長もあるし」
「じゃあまあ見ててよ」拳を柔らかく丸めて、
「英梨花、私のことはあーにゃと呼べにゃ」にゃん。
「それは猫っぽいと言うのかしら・・・・・・? あ、あーにゃ?」
「・・・・・・!」
本当に呼んでくれた・・・・・・!
それと呼ばれて気づいたけどアーニャってとあるラノベの酒場の店員さんの名前だからさっき思いついたのか。ほら「ダ」からはじまるラノベの。
「というか長座体前屈の回転率、ほんと悪いね、英梨花」
「まだ半分くらいだものね、あ、あーにゃ」
本当にあーにゃと呼んでくれるらしい。なんだかむずがゆくなるような渾名だが、私が女の子であるという印象を英梨花に限らずその渾名を聞いた他の人にも持たせることが出来るのでこのままでいこう。
長座体前屈を終え、次はグラウンド。
昇降口で外履きに履き替えていた時だ。
「「「あ」」」
私は凛ちゃんと優羽と出くわした。
「どうしたのあーにゃ?」
クラスが違うため少しだけ私から遠い下駄箱で私に向かって英梨花が言った。
あーにゃって何なの⁉ マジで! 考えた人出てきて!
「・・・・・・旭陽、誰、その女の子? それとあーにゃって何?」
「・・・・・・」
凛ちゃんは重く低い声で、優羽は唖然としている。
「あー凛ちゃんは英梨花のこと見たことないんだったよね」
「えりか・・・・・・あーにゃ・・・・・・」
優羽が口元だけで呟いた。
自分で英梨花を紹介する気になれなくて、私は凛ちゃんから目をそらして英梨花をチラリと見る。英梨花は私の意図を読み取ってくれたようでこくりと頷いて私の横に並んだ。
「何? あなたたちも私とあーにゃと一緒に回りたいの? お生憎様。あーにゃは私のものなの」
「え、ちょっ、何言って――」
「はああぁぁぁぁぁぁああああああ⁉」
「・・・・・・」
凛ちゃんの絶叫が昇降口に響き渡った。
こんなにすぐ見つかるものなんですかね?
ほんとに笑えない。
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