第三話 女装系男子の休み時間

 翌日からは普通に学校があった。授業もあるが、ほとんどがオリエンテーションで終わってしまうので楽なものだ。

 授業があるということは授業と授業の間に休み時間があるということで、その休み時間の使い方はそれぞれの自由だ。

 例えば友人作り。

 うちの高校はかなりの進学校なので、同じ中学校出身の人間が同じ高校にいることはほとんどない。私と凛ちゃんと優羽は同じ中学校だが、かなりのレアケースなのだ。同じ中学校のクラスメイトがいないのならどうにか頑張って自分から周囲の人間に声を掛け、友達を作っていかなければならない。優羽と凛ちゃんは席の近い人間に話しかけ友人を増やそうとしている。

 例えば寝たふり。

 友人は作りたいが人見知りするため話しかけられず、かといって一人でぼーっとしているのはぼっちだと思われるので仕方なく机に突っ伏している人間だ。

 例えば勉強。

 これはこの時期にはさすがにいない。

 例えばスマホ。

 ソシャゲをしたり、中学校時代の友達と会話しているのだろう。

 例えば読書。

 私はここだ。読むのはもっぱらラノベ、ライトノベルである。

 中学校一年生のとき優羽に私と凛ちゃん以外の友達ができはじめ、男装している優羽に何かあったときのためにフットワークを軽くしておくべく私はぼっちになることにした。休み時間一人教室でぼーっとしているのも暇なので小説を読むことにしたのが始まりだ。

 だが今は単にラノベが面白いから学校でも家でも読んでいる。

 入学式が月曜日にあってその週の水曜日。

 私はいつも通りラノベを読んでいた。

「何を読んでいるの?」

 突然降ってきた柔らかい声に、私は顔を上向けた。

 声とは裏腹に不機嫌そうな美少女がいた。

 私を射貫く視線に、結ばれた唇。さらりと流れる黒髪の一部が起伏を描くバストの上に落ちている。上背は私よりもあると思う。

 私の席と一つ前の席の間に立っているがゆえの距離と、その態度も相まってかなりきつい印象を受けるが紛れもない美少女がそこにいた。

 たぶん私が今までに見てきた中で最も美しい女性だ。

「何って小説ですけど」

 私は相手がどれほど美しくてもどもらない。凛ちゃん、優羽、ついでに私で美少女には見慣れているからだ。

 なお、かわいさと美しさは別なので、目の前の彼女と凛ちゃん、優羽を比べることはできない。

「なんという小説?」

 依然として威圧感は半端じゃないが、声音は優しい。

 かなり大人びた感じがするので上級生だろう。

 なぜ上級生が一年生のクラスにいて、私に話しかけてきたのかは全く分からないけど。

「夏目漱石のこころです」

 何にせよ、無難に受け流すのが一番だ。

 本当は今私が読んでいるのは「テクノブレイクで死んだ俺の異世界絶倫無双」、略して「テク絶」なのだが、まあ大半の人は聞いただけで引いてしまう。いくら私に関わりのないだろう人だとはいえ嫌われたくはない。

 こころは中学生の時たまには純文学でも、と思って読むも、全く面白くなかったのでこれっぽっちも内容は覚えていないのだが何とか誤魔化せるだろう。まあ純文学にエンタメ性を求めるのは違うかもしれないけど。今読んだら別の感想を抱くのだろうか。

 それはともかく、たぶん「こころ」について語りたいJKはいない。「からだ」についてJKと語り合いたい人間はたくさんいるかもしれないけど。

「嘘よね? あなたの読んでいるのはラノベでしょ?」

 ・・・・・・なんでばれてるんですかね。ブックカバーから表紙が少しのぞいていた?まあそれぐらいなら押し切れる、と切り替えて言葉をころがす。

「いえ。こころですよ。正真正銘。今丁度、相手を聖剣でイかせたところで――」

「その挿絵みたいに?」

 私は言われて視線を手元に向けて、再び視線を上向けた。

「そうですね。こんなふうに顔を真っ赤に染めて・・・・・・ってえええぇぇぇぇえええ⁉」

 挿絵のページを開いてたのを完全に忘れてた! 

 私はなんとかカバーしようと「あ、や、え、これは・・・・・・」とぐるぐる思考をからから回していると、

「ばればれよ」

 彼女が頬を緩めて笑った。

 険のある雰囲気が消え去る。怖くない人なのかもしれない。

「初めから知ってたんですか?」

 そんな風に感じると私の体からも力が抜けて、ついいじけたような声が出た。

「ええ。あなたが『こころ』なんて言ったときには笑いそうになったわね」

「うわー・・・・・・」

 恥ずかしい。それと夏目漱石に謝りたい。お静さんをイかせたことにしてごめんなさい。お静さんが仮にイったとしてもこの挿絵のヒロインのように表情をとろけさせて、舌を出し、瞳にハートを浮かべることはないですもんね。きっと、押し寄せる快楽に伴う喘ぎ声を必死に抑えようとするんですもんね。分かってます。・・・・・・え、そういうことじゃない? 

「ふふ。それよりあなたの読んでいるのは『テク絶』でしょ?」

 そんなどうでもいい私の思考をよそに彼女は微笑み訊いてくる。お静さんってかわいいですよね。ほら、先生の部屋にうまくないけど花を生けるところとか。・・・・・・こんなラノベ脳してるから純文学をたのしめないんですよね。お静さんに萌えている場合ではない。

「え、知ってるんですか・・・・・・?」

 とりあえずお静さん萌え談義は横に置こう。

 テク絶は別に無名ではないが有名ではない。

 そんな作品を彼女が知っていることに私は驚いて目を丸くする。

「ええ。だって読んだもの。面白かったし覚えているわ」

「ええ⁉」

 テク絶は面白い。傑作だ。

 そのタイトルからエロでゴリ押しする作品だと思われがちだが、実際に読んでみるとそのようなことは全くない。タイトルの通り下ネタの多い作品ではあるのだが、ちゃんと設定やキャラクターが練ってありストーリーの面で面白い。加えて何も考えなくても読めてしまうほどに馬鹿らしく、疲れているときによく効くすばらしい良作なのだ。

 だがタイトルは「テクノブレイクで死んだ俺の異世界絶倫無双」である。

 字面だけ見るとかっこいいが意味するところは全くかっこよくないし、レイプ祭りが描かれていそうであまり読む気にならない。

 しかし彼女は読了済みで、しかも面白かったのだと言った。

 ということはつまり、

「もしかして結構ラノベ読むんですか?」

 私がテク絶を手に取ったのは私が好きなラノベブロガーさんが推していたからだ。タイトルだけではあらすじを読む気にならず全くチェックしていなかったのだがその記事を呼んでいる内に面白そうだと思って読むことにしたのだ。

「結構ね。というかずっと敬語が気になっているのだけど、私はあなたと同じ一年生よ」

「え、嘘?」

「嘘じゃないけれど・・・・・・」

 きょとんと聞き返す私に困り顔で返す彼女。ナチュラルに嘘かと思った。だっておっぱいとかアレだし。

「え、でも六組じゃないで・・・・・・ないよね?」

 出かけた敬語のかわりにタメ語を引っ張り出す。違和感があるがまあそのうちなれるだろう。

 それにしても見覚えがない顔だと思った。私は他人の顔を覚えるのが得意だ。出会って数日しか経っていないが、名前は分からなくとも同じクラスの人かどうかぐらいは分かる。だから同じクラスではないと思う。というか彼女ほどの美人なら誰でも忘れないだろう。

「ええ。五組よ」

「え、なんで五組の人が?」

 私のクラスは六組。凛ちゃんと優羽も六組。四、五組が附属中学上がりの生徒のクラスで、一、二、三、六組が高校受験組。六組の入学試験は一、二、三組のそれより難しい。うちの高校はそんな感じの進学校なので、五組と六組は入学間もないこの時期にはそれほど関わりがないのだ。六組に小学校時代の友人がいるとかだろうか。

「六組の担任の先生って私のクラスの数学も担当してるから用事があって六組に来てたの」

「なるほど。じゃあなんで私に話しかけたの?」

「・・・・・・」

 言ってから気づく。

「あ、や、べつに話しかけられたのが迷惑ということではなくて!」

「そう・・・・・・良かった」

 彼女は短く息を吐き出して、ゆっくりと微笑んだ。

 ・・・・・・なんというか、すごくきれいだった。

 そんな彼女にしばらく見惚れていると、頬の染まった彼女はんんっと咳払いをして、

「教卓で先生と話し終えたときにふとあなたの手元の挿絵が目に入ったの。それでもしかしたらあの子もラノベ好きなのかもしれないな、と思って」

「好きだよ! ラノベ。すごく」

「そう」

 私の意識せずに上がったテンションに彼女が笑った。

 嬉しかった。だって彼女は私とラノベについて話したいから私に話しかけてくれたのだ。

「じゃあ・・・・・・テク絶で好きなキャラクターは?」

 こんな風にラノベが好きな誰かと話すなんてあまり経験がないから何を言えば良いのか分からなくてとりあえず好きなキャラクターを訊く。

「そうね――」

 好きなキャラクター談義はすぐに途切れてしまったがそこから連鎖して色々なことを話した。やっぱり楽しい。

 今まで私の周りにラノベを読んでいる人はほとんどいなかった。私の薦められたラノベをたまに読む優羽ぐらい。他にもいたのかもしれないが学校で大っぴらに読んでいる人はいなかった。だから私は一人でラノベを読んでいた。誰かと面白かったラノベの感想を共有したい時がたくさんあったが出来なかった。

 それが今叶っている、というと大げさかもしれないがそれぐらい私にとっては大きな出来事なのだ。

 そうこうしているうちに予鈴が鳴った。

「じゃあ私は教室に戻るわね」

「あ・・・・・・うん」

 名残惜しいが仕方ない。

「また明日」

 私は彼女の背中に声を投げた。

「え?」

「また明日」

 驚いている彼女に、今になって恥ずかしさがこみ上げてきた。

 友達が何かは知らないが、彼女とは今日知り合ったばかりでしかもよく考えるとお互い名前を知らない。私は友達だと思うのだが、微妙なところだと思う。

 そんな人に「また明日」なんて。つい口を突いて出た言葉だが、それは要するに「今日は楽しかったのでまた明日もあなたとお話ししたいです」と言っているのと同義なのだ。べつになんてことはないのだが、まあ照れくさい。しかも無意識に出た言葉だから余計に。

「ええ、また明日」

 彼女は微笑んで、自身の教室へ戻っていった。

 私は読みかけのテク絶にしおりを挟み、次の授業の準備を進める。

 まだまだ話したりないので明日は私が五組に行こう。

 授業の始まりを告げる本鈴を聞きながら、名前ぐらい訊いとけば良かったかなぁと少しだけ後悔した。

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