第一話 女装系男子の自己紹介
散り始めた桜の花びらがぽかぽかと心地よい陽光の中を舞い、真新しい制服に身を包んだ高校生たちは押し寄せる不安に負けないぐらいの期待に胸を躍らせる。
入学式が終わって初めてのホームルーム。
担任の先生の笑いを交えた自己紹介がすむと、続いて生徒たちが新しいクラスメイトに向けて自己紹介をする。
笑いを取りに来る人もいれば、縮こまってほとんど名前だけですましてしまう人もいる。
けれど、どれも僕の頭の中には入ってこない。
前の席の人が座って僕――いや、私の番だ。
手を当てなくても分かるぐらいに鼓動している心臓がうるさい。なんだかせかされているような気がした私は慌てて立ち上がって、できるだけたくさんのクラスメイトが視界に入るよう体の向きを調整する。
けれど私が自己紹介をしたいのはたった一人。
優羽にだけ私の自己紹介が伝わればいい。どうせ初めの自己紹介なんてみんな忘れるし。
少しだけ息を吸い込んでから私は自己紹介をする。
「
「えっ⁉」
家で何度も練習したとおりに自己紹介をすると、優羽がガタッと音を立てて立ち上がり凛ちゃん――僕の幼馴染みの一人が控えめに腰を上げながら、「ぇ、ぇぇぇぇぇぇ⁉」
と顔を真っ赤にして小さく、控えめに驚いた。
ところでスカートってすごくスースーするね?
自己紹介が全て終わると担任の先生から明日について少しだけ説明があってその日は解散となった。
教室のあちこちでぎこちない会話がぽつぽつと生まれる中、優羽は新しいクラスメイトたちと少しも交流することなくさっさと帰ってしまった。
「優羽帰っちゃったわね」
優羽の背中を見送っているとポニーテールの女の子がやってきた。凛ちゃんだ。凛ちゃんと私は幼稚園からの付き合いで小学校も中学校も、高校も同じだ。いわゆる幼馴染みというやつである。
そして今さっさと帰ってしまった優羽も同じように私たちの幼馴染みである。
「うん。まあ今日は私たち二人で帰ろっか」
「そうね」
言いながら凛ちゃんと並んで教室を出る。優羽の背中はもう見えなかった。
「というかほんとにこれでいいの? すぐに優羽と話した方がよくない?」
凛ちゃんが窓の外を見て言った。優羽を探しているのだろう。
「まあでも優羽も私が女の子だって急に言い出して整理できてないと思うし、今何か話してもこじれるだけだと思う」
私は優羽の告白をなかったことにするために女装をすることにした。それを決めたのは私と凛ちゃんと姉さん。
おそらく優羽は好きだった男、つまり私がスカートを履いて女の子だと自己紹介をしたことに理解が追いつかなくて一旦一人になるためにさっさと帰ったんだと思う。そんな中、当事者である私と一緒に帰ることなんてできないだろう。
「そうかもしれないけど・・・・・・」
凛ちゃんはそんな優羽が心配で気になるようだ。
「大丈夫だよ。私たちの仲が悪くなることなんてないから。それに今日中に優羽と色々話すつもりだし」
「それならいいんだけど・・・・・・」
「そんなことより」それでも表情が曇ったままの凛ちゃんに私は明るく「どうだった? 私の自己紹介? ちゃんと女の子できてた?」口端を吊り上げる。
「あ、そうそう! それで思い出した! なんで自己紹介で性別紹介するのよ⁉ おかしいでしょ⁉」
「でしょでしょ! かわいかったで・・・・・・うん?」
凛ちゃんの顔からは雲が消え失せ狙い通りに快晴・・・・・・にはならずに雨雲が立ちこめていた。まあ要するになんか怒っていた。
「いや、だから! 自己紹介で性別を言うのは不自然でしょ⁉ しかも何、あのピース! あんなことする子いないから!」
「え、や、でも、ほら・・・・・・インパクトは強い方がいいでしょ・・・・・・?」
だって優羽に私が女の子だと印象づけないといけないわけだし。
「そうかもしれないけど! アレはやり過ぎ! みんな引いてたからね⁉ これが旭陽は本当は女じゃないんじゃって疑われるもとになったらどうするのよ⁉」
「それは・・・・・・そうかも・・・・・・」
あーそっか・・・・・・優羽のことしか意識してなかったけど他の人にもばれちゃうと優羽にもばれちゃうかもしれないのか。
あ、でも、
「だから凛ちゃんがカバーしてくれたんだ!」
「え? あたし何かした?」
「や、顔を真っ赤にして『ぇ、ぇぇぇぇぇぇ⁉』って言ってくれたでしょ? あれでみんな凛ちゃんと優羽の方を向いたからたぶん私のことは印象に残ってないんじゃないかなぁ」
優羽の方を見た人もいたけど、圧倒的に凛ちゃんの方を見た人の方が多かったと思うし。だって、
「真っ赤になった凛ちゃんかわいかったからなー」
「えっ⁉ そんなに私赤くなってた⁉」
「うんなってたなってた。りんご〇・八個分ぐらい赤かったよ」
「えええぇぇぇぇえええ⁉ そんなに⁉ ・・・・・・ん?」
りんご〇・三個分ぐらい赤くなったりんご百六十七個分ぐらいの重さがある(たぶん)凛ちゃんはりんご五百個分ぐらいの大声を出してから、りんごのようにこてんと首を傾げた。
「りんご五千個分ぐらいかわいかったよ」
「ということは・・・・・・キティちゃんがりんご三個分のかわいさ? だから、私はキティちゃんのえっと・・・・・・千倍以上かわいいって事⁉」
凛ちゃんは自分がキティちゃんの何倍かわいいのか正確な数字を計算しようとしたらしかったが諦めて、かなりざっくりとした数字で誤魔化した。
「そうだけど・・・・・・さすがに盛りすぎたかも。だいたい二倍ぐらい?」
「全然じゃない! ・・・・・・待って。キティちゃんの二倍って相当かわいい?」
凛ちゃんは一回突っ込んでから、神妙な顔で聞いてきた。
「うん相当かわいい。たぶんクラスの男子の大半は凛ちゃんのこといいな、って思ったんじゃないかな」
「ちなみに旭陽はどう思ったの?」
「いつも言ってるとおりかわいいって思ったけど?」
「へぇーふーん・・・・・・知ってたけど。いつもそう言ってるし」
りんご〇・一個分ぐらい(つまりいつも通り)頬を染めた凛ちゃんは満足げにふむふむと頷いた。
「じゃあ私はどれくらいかわいかった?」
私は改めて気になっていたことを尋ねる。たぶんかなりかわいかったのではないだろうか。たぶんりんご五兆個ぶんぐらいだろう。
「あ、そうそう! 思い出した! なんで自己紹介で性別紹介する、の、よ・・・・・・? これさっきもあたし聞いてたっけ?」
「うん聞かれたけど、凛ちゃんがうまくカバーしてくれたおかげで不自然さが消し飛んだっていう結論になった」
「じゃあ大丈夫ね。これからは気をつけてよね。毎回私がカバーできるわけじゃないんだから。絶対に女装してることばれちゃダメだから!」
凛ちゃんは誇らしげに頷いてから、私の方をくわっと向いた。
「うんうん。で、私ちゃんと女の子できてた?」
家では女装する人向けの本とか読んで仕草の練習とかはしてきたので、それなりにうまくいってたと思うんだけど、実際出来ていたのかどうかはかなり気になる。
「ちゃんと出来てたんじゃない? スカートも似合ってるし。まあ旭陽は元々女の子みたいな男の子だったし大丈夫。誰も気づいてないと思うわ」
「そっか。よかったよかった。誰か私のことかわいすぎて好きになったりしてないかな? 大丈夫?」
割と真剣に心配だ。壁ドンとかされてしまうのではないだろうか。
「知らないけど・・・・・・というかそれは旭陽の方が分かるんじゃないの? だって男の子なんだし」
凛ちゃんは呆れたように私にジト目を向ける。
「私は私をいつも見てるからどれくらいかわいいのかなんて分からないんだけど」
「・・・・・・はぁ。じゃあ旭陽が男の子だとして。実際そうなんだけど。かわいい女の子、例えば・・・・・・そうね・・・・・・あたし、凛がとびっきりかわいい自己紹介をしました。あ、もちろん初対面で、っていう設定ね」
「凛ちゃん、他の人の前で自分がかわいいなんて言っちゃだめだよ?」
「分かってるから! というか旭陽と優羽がかわいいって頻繁に言ってくるから、私の自意識に磨きがかかったんだからねっ!」
「実際かわいいし」
「・・・・・・そんなに言われるものだから無意識でまで私はかわいいって思っちゃって、気づかずに私はかわいい発言しちゃったらどうするのよ」
「あ、そんなこともありえるのか。これからはできるだけ言わないようにする」
もしもそんなことになったら凛ちゃんが避けられてしまうかもしれない。
「・・・・・・べつに控えなくていいんだけど」
耳をりんご五個分ぐらい赤くして凛ちゃんはそっぽを向いた。
「今の凛ちゃん、すごくかわいい。うっかり惚れそうになる」
「ふーん・・・・・・」
凛ちゃんはさらに頬を染めた。
しばらく私たちは無言で歩いた。赤みの引いた凛ちゃんがごほんと咳払いをして、
「で、どう? 好きになりそう?」
「ん? なんの話?」
唐突に凛ちゃんがそんなことを言った。
全く別のことを考えていたのもあるけど何のことか分からない。
「や、だから、旭陽はかわいい自己紹介をした初対面の私を好きになるのかどうかっていう話」
「あぁそうだった。で、何するんだっけ?」
「あーもう! 話を切ったのは私だけど!」
それから凛ちゃんがさっきの話をもう一度してくれた。
「で、どう? 好きになりそうでしょ?」
「とびっきりかわいい自己紹介って何? 私の中のヒロイン、凛ちゃんにとびっきりかわいい、つまり一番私がかわいいと思う自己紹介をさせると普通にあ、いいなぁって思うんだけど」
「旭陽のなかで私は何をしたの?」
「大スキーって抱きついてきた」
「それ自己紹介じゃないから!」
「えぇ・・・・・・じゃあ想像できないなー」
「えー。なんかないの、こう・・・・・・もっと普通の自己紹介」
「凛ちゃん、やってくれない?」
「とびっきりかわいい自己紹介を?」
「うん。私の自己紹介と同じくらいかわいい自己紹介を」
「ならいいわよ。旭陽の自己紹介そんなにかわいくなかったから」
「え⁉ 嘘でしょ⁉ 異世界で無双できるレベルのチャームだと思ってたんだけど!」
「ゴブリンとかオークの感性知らないから私には分からないけど、たぶんできないと思う」
「えー⁉」
私は自分の圧倒的なかわいさに自信があったので凛ちゃんの答えは予想外だったのだが、よく考えるとゴブリンやオークとは種族が違うのだから何も驚くことはない。
「じゃあ自己紹介しなくていい?」
「や、しよう。みたい。私がどれくらいかわいかったのか。今後の参考にするために」
せっかく女装しているのだからかわいさを追求していきたい。
「ん。じゃあ電車降りてからね」
「お願い」
あっさりと凛ちゃんは了承してくれた。
学校の最寄り駅から乗り始めた電車を降りて私と凛ちゃんの家の最寄り駅で降りる。
小学校も中学校も同じなので私と凛ちゃんは家が近いのだ。もちろん優羽も。
「ちゃんと見ててね」
「うん」
そう言うと凛ちゃんは、歩きながら両手を頭の上に持って行き、
「敷波凛、十五歳ですっ(にゃん)! これから仲良くしてねっ(にゃん)!」
「うぅ・・・・・・」
「ちょっと旭陽⁉ 大丈夫⁉」
旭陽は魅了された。しばらく動けない。
凛ちゃん(にゃんじゃない)に介抱されて旭陽は魅了状態から回復した。
「すごくかわいかったんだけど。絶対みんな自己紹介のとき私に惚れたでしょ」
「えーじゃあやりすぎたかも」
「・・・・・・まあちゃんと女の子できてたんだもんね?」
ちょっと悔しい。張り合う必要はないんだけど。
「うんそれは大丈夫。それに旭陽もかわいかったわよ?」
凛ちゃんは笑った。
「・・・・・・まあ、それなら」
それからしばらく話しながら歩いて丁字路にやってきた。
私がまっすぐで凛ちゃんは右折。
「じゃあね旭陽。また明日。それとできるだけ早く優羽に事情説明してね」
「うん今日中には。凛ちゃん、ばいばい」
「ばいばい」
凛ちゃんと手を振り合ってから私は自分の家に向かって歩き出す。
今日は楽しかった。きっと明日も楽しい。明後日も。ずっと。
だから女装したのは間違いじゃなくて、最善手。
正午が過ぎて地平線へと向かい始めた太陽がまぶしかった。
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