第3話

好太郎が理恵との約束を失念するほどの事態が会社で起きているとき、理恵は待ちぼうけを食わされた渋谷のカフェで、ひとりカクテルを飲んでいた。

好太郎の会社では、何か分からないが、大変な事態が起きている。

恋人が窮地に陥っているのではないかという不安感が下半身からずしりと全身に蔓延してくるような不安感だった。

詳しいことは後で話すとは言っていたが、今の時点では、好太郎がどうにかなるということでもないらしいということはそれとなく好太郎の口調からは察しているのだが、やはり理由が分からないことにはこの不安感は拭い去れないと感じているのだった。

理恵は飲みかけのカクテルをそのままにして店を出た。

夕方から思い曇り空だったのが、午後の8時を回るころになると大粒の雨が降っていた。

明るいネオンサインを見上げる理恵の顔に冷たい雨が降り注いだ。

好太郎の会社では、連絡の取れない、管理部長のデスクを隈なく社員たちが捜索していた。

何か手がかりがないかどうかということだったが、仕事上のもの以外には何も見つからなかった。

パソコンもあらゆるフォルダー、隠しフォルダーがないかどうか派遣で来ているシステムエンジニアの力を借りて検索したが、やはり何も出なかった。

それと同時に、課長や主任をはじめ管理部門の社員が全員会議室に集まって、部長の仕事の上で何かトラブルらしきことはなかったかということを話し合っていた。

「部長は人脈も広く、我々の預かり知らないところでの何らかのトラブルがあるのかも知れない」

「不動産会社にいたころから、裏の社会との付き合いもあるという噂があった」

「家庭での問題というのは聞いたことがない」

などなど様々な情報が語られたが、これだという決め手になるような情報は出て来なかった。

「管理部門担当の役員ならもっと部長の裏の顔みたいなものを知っているのでは」

「ヘッドハントした重役とかならもっと詳しいのではないか」

など自分たちでは掴みきれない情報があるのではないかという意見も出された。

そうこうしているうちに終電が出る時間に近づいてきていた。

「今日のところは全員会社を出よう。今夜にも部長が帰宅するかも知れないし、連絡があるかも知れない」

管理課長の言葉を受けて、全員が退社したのは午前零時十分前だった。

好太郎は、電車の揺れに身を任せながらぼんやりとその日一日に起きたことを考えていた。

新しい清掃会社への変更のこと、部長が無連絡で出社しないことで管理部が蜂の巣をたたいたような騒ぎになっていたこと。

理恵との約束を失念するほど心がかき乱されたことだった。

これまでの人生で、身近にいた人が突然いなくなるという経験はなかった。

ほとんどの人はそんな体験はしたことがないだろうが、いざ自分がその立場に立ったとき、本当に無力であることが分かった。

何も事件が起きなければ良い、部長は単に現実に耐え切れなくなり一時的に精神病になって現実逃避をしているだけだと思いたい自分を感じていた。

自宅に着き、しばらく着替えするのも忘れてベッドに横になっていた。薄れ行く意識のなかで、急にはっとした。理恵に電話をしなくてはと思いついたのだった。

「今日はごめんな。じつは部長が連絡が取れなくなって、会社は大騒ぎになったんだ」

その日に起こったことを理恵に隅々まで説明した。

「お疲れ様でした。とにかく今日はすぐに休んでね。明日もし電話できるようなら電話して。私のことは心配いらないから」

理恵の元気な声を聞けて好太郎は安堵した。

着替えて、シャワーを浴びて、小さいグラスにスコッチウイスキーを入れて一息に喉に流し込んだ。ふっーとため息が出た。

ベッドに横になると、自然に瞼が閉じてきて、一気に深い眠りに落ちていった。




#4に続く。





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