第43話:九枝



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 この嫌悪は、彼の仕事とも関係ある。実のところ、九枝人に対する無言の差別は、裏に血族がかかわっているようなのだ。爵位持ちの古い血族の間では、「九枝人が我らの祖を殺す」という予言がまことしやかに伝えられている。だから血族は九枝人を忌み、自らの根城である西洋からなるべく遠ざけようと人々を扇動しているようなのだ。


 ちなみに、これは西洋の血族の間で伝えられる予言だ。東洋の血族にはそんなものはない。そして東洋の血族は、西洋の血族と殺し合いに発展しかねない対立関係にある。そのため、今九枝人はどんどんと東洋に進出している。血族にいいように操られつつ、当の西洋人は「あんな連中がいなくなってほっとする」と思っているのだから困ったものだ。


 長々と説明してしまったが、要は彼女が人種故の偏見を受ける身ということなのだ。


「何といいますか、やっぱり私、九枝人だから色々とあって……。いえ、もちろん、私がまだ実力不足なのもあるんですよ。ええ」


 イニーネは身振り手振りを交えて語る。言葉は流暢な公用語だ。ただ先祖の国籍という事実が、彼女の評価に影を落としている。


 今回彼女は、長年温めていた雑誌の案を出版社に持ち込んだらしい。だが、結果は見事に門前払いだったそうだ。


「何だか私、この仕事向いていないのかな、って思うんですよ……」


 そう言うと、イニーネは肩を落とす。少しこうやって話しただけで、彼女が好感の持てる優しい女性であることが分かる。頭のよさを鼻にかける様子が少しもない。


「――この国を蝕む不潔な害虫ども。こういった輩がのさばるのは、栄えある連邦の衛生上実に不適切だ」


 私の隣で、苛烈極まる発言がした。イニーネが一瞬びくりと体を震わせる。うん、君。今の発言はちょっと減点だぞ。私は君の人となりを知っているからいいものの、彼女は自分のことを言われていると絶対に誤解するじゃないか。


「失礼した。貴公を出身だけで判断しようとする者たちについて聞くと、実に腹立たしくなる。害虫ならば速やかな駆除が適切だが、人間である以上そうもいかないのが実に悩ましい」


 私の隣のアシュベルドは、そう言うと目深にかぶっていた帽子を取り、イニーネの方をじっと見つめる。


「あ、あなたは…………!」


 イニーネが驚きの声を上げた。彼が誰なのか、一目見ただけで理解したのだろう。


「私は月の盾の長官、アシュベルド・エリエデン・ハルドール・ヴィーゲンローデ。貴公の冷遇に対し、何かしら助力となることはないだろうか?」


 彼はイニーネに対し、安心させるように微笑んで見せた。あたかも、婦女の困苦に手を差し伸べる正義の騎士のように。


 ――さて。人の世というものは真に複雑怪奇。ここでアシュベルドが見得を切ってイニーネにしてしまった安請け合いが、後々彼の首を絞めることになるのは、神仏でもご存じないのであった。私はどうだって? もちろん私は予感していたとも。ああ、また彼が好きこのんで墓穴を全力で掘っているな、と何となく感じ取っていたのだがね。





 部屋の中でフラッシュが焚かれる。カメラのレンズが向けられる先にいるのはアシュベルドだ。


「ありがとうございます。今度はこちらに腰掛けてお願いします」


 カメラマンが誘導した先の立派な椅子に、彼は臆することなく腰掛けた。すかさずカメラマンはカメラを構える。至高の構図を求めて思案する様子がこちらにも伝わってくる。


 私たちがいるのは、とある大手出版社が貸し切ったスタジオだ。ここで今私たちは、これから発刊予定の雑誌の表紙となる写真を撮っている。未だ題名も決まっていないそれは、全ページにわたって月の盾という組織を事細かに紹介している。何しろ国から予算が下りているのだ。内容にも外装にもたっぷりと金がかけられるのは実に気持ちがいい。


 そして創刊号の表紙を飾るのは、当然我らが月の盾の長官殿、アシュベルド・ヴィーゲンローデにほかならない。今の彼は式典用の正装となる制服を着ている。普段よりもさらに華やかな金糸や銀糸に飾られた漆黒の制服に、肩にはこれまた華美な装飾のマントを羽織っている。今の彼はまるで、絵画から抜け出してきた王侯貴族のような雰囲気だ。


 この月の盾の制服のデザイナーは、南方の公国出身のフォルティラ・カリネーロという人物だ。現地の軍警察の制服のデザインを手がけた人間だけあって、月の盾の制服にも同じような意匠が見受けられる……というより、かなり似ている。しかし、この派手という名の縦糸と外連味という名の横糸で織られた制服が、この上なく彼には似合っていた。


「はい――はい、そんな感じで。ああ……とても素晴らしいです」


 商売道具にかぶりついているカメラマンの口から、恍惚としたため息がもれる。今、アシュベルドは椅子に座り足を組み、膝には鞘に収まった儀礼用のサーベルを乗せている。制帽の下から覗くその気怠げな視線は、カメラの向こうにいるであろう万民を冷たく睥睨していた。



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