第42話:嘆息



 ◆◇◆◇◆◇



 暖かな午後の陽光が、公園の芝生を照らしている。私とアシュベルドは、並んでベンチに座っていた。これから彼は、近くのスタジオで撮影の仕事が待っている。月の盾の広報活動の一環で、対外への宣伝用ポスターやらパンフレットやらの写真のモデルになるのだ。その前に少し、私たちはここで休憩を取っている。


「ハトはいいなあ……」


 目深に帽子をかぶった私服姿のアシュベルドが、焦点の定まらない目で遠くを見ている。つられて私は彼の視線を追う。向こうでは、ご老人の方々がハトにパンをやっていた。


「自由で、気ままで、のんきそうで……」


 そうだろうか? 私の目には、ハトたちは我先にと老人たちに群がり、必死になってパンをつついているように見えるのだが。


「君は既に黄金の鷹じゃないか」


 ハトに憧れるタカに私がそう言うと、彼は宙を仰いでため息と共に呟く。


「それが結構疲れるんだよ……」


 ああ、いつものことか。毎度のことながら、今日も今日とて我らが月の盾の長官殿は重責に心を悩ませておいでのようだ。すべてを捨ててハトになりたいと思うのも無理はない。


 そんな折だった。私と彼が座るベンチに、公園の入り口からやって来た一人の若い女性が腰掛けた。私たちの方を一顧だにしない。短めの茶色の髪をした、中肉中背の知的な雰囲気の女性だ。ミゼルのような「自分ってインテリジェンスですよ!」と露骨にアピールすることのない、穏やかで大人しそうな外見をしている。肌の色は少し東洋人に近い。


 彼女はベンチに座ると、深々とため息をついて真下を見つめる。昼食後の休憩でここを訪れたのだろう。何やら思い詰めた様子だ。もう一度、彼女は大きくため息をついてから、ようやくこちらを見つめる私に気づいたらしい。ちなみにアシュベルドは、さりげなくよそを向いている。目立たないように努めているようだ。


「あ、すみません。お邪魔でしたか?」


大人しそうな外見通りの、丁寧で抑えられた抑揚の声だ。


「いやいや、気にすることはないよ。ご随意に」


 私がそう言うと、照れたような顔をしてから彼女は視線を逸らす。しばらくして、再びため息。そのトーンからして、本気で悩んでいるようだ。


「何か、お悩みかね?」


 つい、私は彼女に話しかけた。


「あ、いえ、そういうことでは……ないような……いえ、あるんですが……あはは」


 彼女は曖昧に笑う。無理に何でもないように振る舞っているのがよく分かる。


「ご、ごめんなさい。辛気臭いため息ばかりじゃ気が塞ぎますよね。すぐ、どこか行きますから」


 彼女が立ち上がろうとするので、私は引き留めた。


「ははは、何を言うのかね。こう見えても私はカウンセラーに似た仕事に就いていてね。せっかくだから、悩み事でもあるのならば少し傾聴しようじゃないか。もちろん、無料の範囲内で、だけどね」


 もっとも、私はカウンセラーならぬ御伽衆だ。人を癒すが、同時に人を病ませることだってする左道の人間なのだがね。


「あの……本当にご迷惑じゃないんですか?」

「私たちもこれから仕事だが、その前に少し時間を無為に浪費しているのが現状でね。単なる暇潰しで、余人が絡んでいるとでも思ってくれたまえ」

「じゃ、じゃあ……」


 やはり、誰かに話をして悩み事を聞いてもらいたかったのだろう。彼女は私が促すと、ゆっくりと自分の身の上を語り始めた。





 彼女の名はイニーネ・ランズベリカー。新進気鋭のフリーライターだ。身近な健康問題から、各国の政治の問題まで幅広く手がけている。実際、彼女が名前を挙げたいくつかの雑誌は何度か通読したことのあるものだったし、彼女が書いた記事も記憶にあった。若輩でありながら、なかなかの才覚を発揮していると言えるだろう。


 しかし、彼女には大きな向かい風となる要素がある。それは、彼女の国籍だ。先祖が中東の九枝人といえば、お分かりいただけるだろうか。九本枝の燭台を旗印に、理想の国家の樹立を千年の悲願とする流浪の民。それが彼女のアイデンティティだ。この九枝人、なまじ頭が良く集団行動が得意だけに、西洋全体でやや疎まれる傾向にある。


 曰く、九枝人は西洋を征服する陰謀を企てている、世界の経済を裏で支配している、各国に紛争の種を撒いている云々。幸い表立った迫害はないものの、九枝人に対する冷たい視線は、連邦のあちこちに見受けられる。ちなみに、以前言及したシャザーム・バルズスフは九枝人ではないが同じ中東出身のため、大抵一緒くたに扱われている。


 しかし、私の隣にいるアシュベルドは、この手の九枝人に対する差別を一切しない。彼自身の血は一滴の混じりもない連邦人、それも三百年の歴史を誇る正当な騎士の家の血だが、何かと九枝人に助けられてきた家柄らしい。だからこそ彼は九枝人を色眼鏡で見ることはないし、そうする輩を蛇蝎の如く嫌悪しているのだ。



 ◆◇◆◇◆◇



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る