第38話:伯爵
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月の盾が狩る血族とは、平たく言えば吸血鬼、ヴァンパイアに程近い。彼らは人に紛れて人を襲い、同族を増やす。しかし、ヴァンパイアがその発生の原因を神の呪いや死からの蘇生に帰すのに対し、血族はその発生の原因を線虫という寄生生物に帰す。故に月の盾は血族を確保し、その血中の線虫を死滅させ、人間に復帰させることを務めとしていた。
ジェラ伯爵。血族の中でも強力な存在に冠された「爵位」を持つ、古き血の継ぎ手。彼自体は壮年の人間だが、その血に住まう線虫は約百五十年の間、人から人へと感染を繰り返してきた。そのため、ジェラは百五十年間醸造され蒸留された神秘を有している。血族とは単なる感染者ではない。人外の知識と異能を有する、夜の支配者でもあるのだ。
「愚かな連中だ。月の盾とご大層な名前を掲げているが、実に脆い」
月の盾によって包囲された古城。その大広間に、古風な夜会服をまとったジェラがいた。彼の眼前には、意識を失った月の盾の隊員たちが転がされている。彼らを拘束するのは、まるで霧が鎖となったかのような不可思議なものだ。
(だが、この城が連中にばれたのは少し痛手だな)
大言を口では吐きつつ、ジェラは内心では苦虫を噛み潰していた。どこから嗅ぎつけたのか、月の盾は全力を持って自分を狩りに来た。だが、この居城を捨てるのはあまりにも惜しい。線虫の本能はジェラに逃走を促していたが、ジェラの人間としての意識は、この居心地のいい居城でまだ伯爵として優雅に暮らしたいと訴えている。
「お父様、こちらでしたか」
思案するジェラは、後ろからかけられた声に気づいて振り返る。
「おお、エルドリーデ」
そこに立っていたのは、床をこすらんばかりの長いドレスに身を包んだ一人の女性だった。くせの強い金髪を結ったその下にあるのは、どこか影のある淑やかな美貌だ。何となく締まりのないジェラよりも、余程貴族らしい容姿である。
「まったくもって、お前を我が同族に加えて正解だったな。父も鼻が高いぞ」
「光栄です」
ジェラの賛辞を、当然のようにエルドリーデと呼ばれた女性は受け取り一礼する。父、と言っているが、この二人は血縁ではない。彼女はジェラによって血族とされた故、ジェラを「お父様」と呼ぶのだ。古風な血族は、このような表現を好んで用いる。
「お前の霧の前には、奴らなど虫けら同然だ。どれだけ来ようと負ける気がしないな。ははははっ!」
エルドリーデを見て自信が湧いてきたのか、ジェラは大笑する。強力な血族は「病態」と呼ばれる異能を有する。エルドリーデの病態は霧を発生させ操る。それは周囲に立ちこめ視界を奪うのみならず、物理的な拘束ともなる超常の霧なのだ。
「黄金の鷹……」
しかし、エルドリーデは追従して笑うことなく、小さくそう呟いた。
「なに?」
「ご存じですか、お父様。城を取り囲む月の盾の軍勢の指揮を執るのは、あの黄金の鷹だそうですよ。我らもついに、その血を失う時が来たのでしょうか」
「はっはっは。何を弱気なことを言っている、エルドリーデ。黄金の鷹? それがどうした!」
何やら不吉なことを口にするエルドリーデに対し、ことさら傲慢にジェラは振る舞う。最初の内は空元気だったが、徐々に彼は自分の発する言葉に引っ張られ、本当に気が大きくなってきた。不吉な言葉を否定したくて口にした言葉が、言わば呪いのように自分自身を操っていく。つまり、今の窮境に目をつぶり、根拠の薄い自信にすがっていくのだ。
「奴などただの人間。たとえ攻めてこようがお前の霧に撒かれて囚われるのが関の山だ。来るなら来い。是非とも奴の顔をこの目で拝んでみたいものよ!」
確かに、エルドリーデの病態は規格外と言ってもいい。月の盾から一つの城を丸ごと防備するなど、とんでもない異能である。しかし、ジェラは決定的に判断を誤っていた。なぜならば……。
「――ならば、貴公の期待に応えようではないか」
「……え?」
城の大広間に、その声は城主のそれのように堂々と響き渡った。城がジェラではなく、声の主に跪いているかのようだ。
「よい夜だな、血族よ。黄金の鷹、アシュベルド・ヴィーゲンローデが貴公らに人としての生を戻しに参った」
広間の入り口に、アシュベルドが悠然と立っていた。
(「貴公らに人としての生を戻しに参った」。よし! 決まったああああ!)
心中でアシュベルドは自分自身に快哉を叫ぶ。端から見ると、アシュベルドはどこまでもクールに、冷徹に、尊大に振る舞っている。しかし、その中身はこうだ。彼は案外自己陶酔の気があり、目立ちたくないようでいて目立つような言動をここぞという時に発揮するのだ。
あくまでも「血族を狩りの対象としてしか見ていない、冷たく合理主義の長官」を演じつつ、アシュベルドは内心では自分の芝居がかった台詞と登場の仕方にちょっとだけ――いや、かなり――酔っていた。この瞬間をあらかじめ予測して、何度も何度もリハーサルした甲斐があったと言えよう。付き合わされた祢鈴は、当然呆れていたのだが。
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