第37話:駐屯
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ウーザークフトの北に広がる暗い森。中世の争乱の時代に築かれた古城の周囲に、月の盾の中隊が駐屯していた。時刻は深夜。冷え切った空気を吸い込み、小銃を構えた隊員が足踏みしつつ体を震わせている。
(あ~畜生、早く撤収しないかな)
若い隊員の頭の中を占めるのは、とにかくさっさと寮に帰宅することだけだった。
「そんなことは分かっている! とにかく突入しろ! さっさと血族を捕獲するんだ! 長官殿のお手を煩わせるわけにはいかんからな!」
彼の前を、この中隊を率いる壮年の小太りな隊長が、副隊長に怒鳴りながら通り過ぎていく。
(やだやだ。そんなにやりたきゃ勝手に一人で突撃して血族に食われちまえ)
内心で隊員は隊長に毒づく。
現在、月の盾と古城に住まう血族との戦いは、膠着状態に陥っている。中隊は既に何度か戦力を小出しにして突入したが、ことごとくが未帰還である。古城の周囲は不可思議な霧が取り巻き、それに入り込んだ隊員たちはそのまま消息を絶っている。隊員は知らないが、今この中隊は他の隊とは孤立し、ほとんど独断専行に近い状態だった。
その時、暗闇を裂く前照灯の光と共に、一台の車両がこちらに向かって走ってくる。周囲の隊員がどよめく中、車両が停車すると一人の人物が降りてきた。外套をなびかせた長身の美青年の姿を見るや否や、隊員は大慌てで敬礼する。あの氷のような美貌は間違いない。月の盾の頂点に立つ黄金の鷹、アシュベルド・ヴィーゲンローデ長官だ。
「だ、大隊長殿! ご視察、感謝いたします!」
突然の長官の出現に、中隊長は直立不動の体勢で敬礼した。アシュベルドは長官であると同時に、月の盾が保有する戦力の区分で最大である大隊を指揮する。故に彼は長官にして大隊長でもあるのだ。
「これは視察などではない、中隊長」
「は、はいっ! 申し訳ありません!」
アシュベルドの口から聞こえた言葉の冷たさに、近くで聞いていた隊員は身を震わせた。深夜のこの冷えきった空気さえ、長官の口調に比べれば春のそよ風だ。まして、直々にその言葉を浴びせられた中隊長が平静を保てるはずもない。必死で謝罪する彼の顔が見る見る青ざめていく。
「貴公の形ばかりの謝罪は、私の心には何一つ響かないな」
アシュベルドが中隊長を睨む。
「そ、それは、どのような意味でしょうか?」
中隊長がどもりつつそう言った時。
「君は不惜身命という語を完全に取り違えている、と大隊長殿はおっしゃっているのだ。分かるね?」
(げぇっ!? 何で大隊指揮官の懐刀までここにいるんだよ。弱り目に祟り目ってレベルじゃないぞ!)
隊員は驚きで目を見開いた。いつの間にか、一人の女性が長官の隣に寄り添っている。月の盾のタイトな制服を着こなした、長い黒髪の東洋人の姿を見て、内心で隊員は悲鳴を上げる。あれは燕雀寺祢鈴。深謀遠慮の権化であるアシュベルド長官が信頼する、ただ一人の人物だ。神算鬼謀の人化まで来たなんて、いつからここは魔王の本陣になったのか。
「おや、分からないかね? これは困ったことだよ」
祢鈴はアシュベルドとは正反対の、猫なで声とも表現できる口調で中隊長に言う。
「他の小隊との協調性もなく突出。血族のテリトリーへ闇雲に隊員を逐次投入し、あたら戦力を損失する。いやはや、実に君は賢いねえ。私が敵の血族だったら、君を獅子身中の虫として月の盾に潜入させるんだが」
だが、その言葉の中身は、鋸で柔肌を裂くような皮肉に満ちたものだ。突き詰めた話、彼女もアシュベルドと変わらない。中隊長の独断専行と愚かな指揮を譴責しに来たのだ。
「も、申し訳ありません! 出過ぎた真似を致しました!」
もはや、中隊長にできることは何一つない。完全に心を折られた彼は、ただひたすらに頭を下げる。
「よって、これより貴公の中隊は私の指揮下に入る。これ以上は時間の無駄だ。速やかに私の指示に従え」
「もちろんです! 感謝いたします!」
平伏せんばかりの中隊長を見ても、彼の独断専行に付き合わされた隊員は痛快ではなかった。何しろ、中隊長は黄金の鷹の勘気を受けたのだ。その怖ろしさを見た今、むしろ同情したくなるのが人情だった。
(危なかった……。何で功を焦って勝手に突っ込もうとするかなあ)
アシュベルドは内心で呟く。
(この中隊長も悪い人じゃないんだよ。なぜか、俺の手を煩わせてはいけない、って強迫観念に駆られてすぐ突っ走るだけで)
粗大ゴミを見る目で中隊長を見つめるアシュベルドだが、内心では彼を無能なゴミと軽蔑しているわけではなかった。
しかし、周囲はアシュベルドを、無能に容赦しない徹底したリアリストと誤解している。そしてアシュベルドもまた、周囲の期待を裏切らないよう必死で装ってしまっているのだ。
(とにかく、この血族を正面きって攻略するのは自殺行為だ。だから、ちゃんと根回しはしてあるんだよ)
心優しき大隊長は、冷徹な仮面の裏で今後の作戦を考えていた。
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