第36話:願望



 ◆◇◆◇◆◇



「あ、あの……ごめん」


 アシュベルドは小さく謝る。


「いやいや、謝るようなことではないよ。しかし、せっかくだから言っておこう」


 私は姿勢を正す。


「私こと燕雀寺祢鈴は御伽衆でね。依頼があり、しかもそれが仕えるに足る相手からならば、この星の裏側であろうとも赴くのに逡巡はないよ。それが我ら燕雀寺という家の誇りだ」


 私にとってアシュベルドは、よき雇用主であり、旧知の仲であり、親しき友人だ。


「つまり、そういうことだ。長官殿、どうぞ君お抱えの御伽衆に、達者――言い換えればプロフェッショナルとして振る舞うことを許してくれたまえ」

「鈴……」


 彼は感動している様子だが、少々困る。あまり美辞麗句を囁きすぎると、私への心証がよくなりすぎてしまう。


「もちろん、君が私に滞りなく給料を支払っているならば、だがね」


 私がわざと俗っぽい言い方をすると、案の定彼は胡乱な目つきをする。


「……鈴、君は今せっかくいいことを言っていたのに。そうやって棒に振ってしまうはどうかと思うけど」


 その幻滅したような言い方は、彼の精神が現実に引き戻された事の証だ。


「横文字で言わせてもらえば、ビジネスライクで悪かったね。けれども、私は公私をはっきりさせたい性分なんだ。私は君に依存してもらいたくはないし、君だって私が私生活にまで口を差し挟むのは嫌だろう?」

「ああ、確かにそうだね」


 金銭の授受。御伽衆にとってこの部分は、案外譲れない部分だったりする。仕事だからこそ、達者に徹せられるのだ。


「さて、満足したのならばもう少し座っていたまえ。飲み物でも用意しよう」

「いや、必要ないよ」


 私はそう提案したが、彼は首を左右に振る。


「そのかわり、もう少しこうしていてくれないかな」


 私はただ隣に座っているだけなのに、アシュベルドはこれで充分らしい。


「君は無欲だね」

「鈴をここに縛っているのだから、むしろ俺は強欲だよ」

「私は何も不満はないよ。御伽衆として外国で働けるなんて得難い経験だ。感謝しているのは私の方だよ」

「そう言ってもらえると、肩の荷が少し軽くなるよ。ありがとう、鈴」


 彼の気鬱をどこまで和らげられたのか、私には分からない。けれども、私の言葉が彼の心に届くと信じて、私はただ一言応える。


「どういたしまして、私の大事な雇用主殿」





「――私は諸君らに明言したい。今、この連邦は重大な転換点に立とうとしている。既にこの時――」


 それからしばらく後。私とアシュベルドは首都で開かれた政治集会に参加していた。党の幹部や役員たちと同列の特等席から、私は演台に立つ彼を見ている。国民から絶大な支持を受ける月の盾長官の演説は、政治家にとって最高の広告塔だろう。


「血族たちに抗する者は誰か? 諸君らはこのように考えていることだろう。『私は一市民でしかない。私には何もできない』と。あえて言おう。そのような惰弱なる精神こそ、最も唾棄すべき無責任であると!」


 アシュベルドは演台を叩く勢いで腕を振るい、檄を飛ばす。彼の一挙手一投足に、聴衆は加速度的に酔いしれ、熱狂し、興奮していく。


「私は願う。連邦国民が皆兵の精神を抱くことを。結束して共に血族と戦わぬ限り、人類に待つのは暗澹たる未来しかない! 断じてそのような未来を、我々の子孫に継がせるわけにはいかない。ならば今こそ問おう。諸君らは血族の跳梁にどう応じる。逃避か? 戦いか? そのどちらだ!?」

「戦いを!」

「戦いを!」

「戦いを!」


 挑発的なアシュベルドの問いに、満員の聴衆が一斉に叫ぶ。


「ならば誰が戦う!?」

「我らが!」

「我らが!」

「我らが!」

「いつまで戦う? 一日か? 三日か? それとも一年か!?」

「最後まで!」

「最後まで!」

「最後まで!」

「諸君らは何だ!?」

「戦士!」

「戦士!」

「戦士!」


 全身全霊の賛同を一身に浴び、彼はとどめとばかりに告げる。


「ならば私に従え! 今この瞬間より、諸君らをこの私が率いる暁の大隊の義勇兵として、共に戦うことを許そう! 我が軍旗の下に集え!」


 会場の興奮は最高潮に達した。万雷の如き喝采がわき上がって止まない。拍手する者、万歳を叫ぶ者、感極まって泣き出す者。その全てを、アシュベルド・ヴィーゲンローデという黄金の鷹が作り出したのだ。


「相変わらず、君は煽動にかけては一流だね」


 私は特等席で拍手しつつ舌を巻く。大観衆を舌先三寸で熱狂させる彼の手腕は、御伽衆以上だ。


「……おや?」


 悠然と周囲を見下ろす彼の視線が、ふと私のそれと交錯する。私が周囲の注意を引かないようさりげなく手を振ると、彼は一瞬だけうなずき、再び尊大な態度で周囲を睥睨する。


「安心したまえ。私はここにいるとも」


 聴衆は誤解している。アシュベルドは冷徹な独裁者などではない。彼は公正で正義感の強い、誠実な一人の人間だ。だから、彼が外圧に潰れないように、心労に病まないように、私は御伽衆として彼に寄り添う。


「君が臨む限り……ずっとね」


 それが御伽衆の仕事であり、私、燕雀寺祢鈴の願いなのだから。



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