第39話:反抗
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悠然と月の盾の隊員を率いて現れたアシュベルドに、ジェラはあっけにとられた。エルドリーデは、自分の作る霧の中に侵入したあらゆる生命体を感知できる。それを乗り越えてここに来るなど、想像もしていなかった。だが、彼は慌ててエルドリーデに命じる。
「何をしている! 奴を捕らえろ! 俺の配下に黄金の鷹が加わる絶好の機会だぞ!」
ジェラ本人は戦闘が得意ではない。彼の病態は、自分が感染させた子に強力な異能を授けるというものだ。これまで多種多様な子を作ってきたが、その中でエルドリーデは最高傑作と言ってもいい。しかし、なぜか彼女は身動き一つしない。黄金の鷹に恐れをなしたのか? ジェラが不審に思ったその時、エルドリーデが動いた。
アシュベルドの方ではなく、なぜかジェラの背後に。次の瞬間、ジェラは脇腹に激痛を覚えた。振り返ると、エルドリーデがジェラの脇腹に銃に似た武器を押し当てている。月の盾が用いる、投薬武装という対血族用の武器だ。
「何をする!」
叫ぶジェラを無視し、エルドリーデは線虫を封じるルーンが刻まれた弾丸を続けざまに撃ち込んでいく。
「なぜだ……エルド……リーデ……」
代を重ねて百五十年間世にはばかってきた血族の、それはあまりにもあっけない最後だった。うつぶせに倒れてかすかにもがくジェラを、エルドリーデは見下ろしている。子が親に抱く信愛など欠片もない、冷えきった視線が彼を射貫いた。
「いささか遅い反抗期の到来です、お父様」
「ようこそお越し下さいました、黄金の鷹」
それは少し前の話だ。ウーザークフト市の隅にある小さな酒場で、アシュベルドとエルドリーデは密会していた。どちらも目立たない私服を着ている。アシュベルドの隣にいるのは、やはり私服の祢鈴一人だけだ。
「約束通り、供の方をお一人だけつけて虎穴に入ってこられるとは、勇猛なのか無謀なのか」
酒場にいる他の人間は、誰一人二人に関心を払わない。うっすらと霧が立ちこめている。その霧は彼らの耳から脳に入り、アシュベルドたちをいないものとして扱わせている。エルドリーデの病態に支配されたここは、まさに虎穴そのものである。
「貴公が交渉に足る相手と私が判断した。ただ、それだけがここに来た理由だ。それに――」
テーブルを挟んで向かい側に座るエルドリーデを、アシュベルドは睨む。
「今ここで貴公を捕らえ、その血の中に蠢く薄汚い害虫を駆除してもいいのだぞ」
いつでも貴公など駆逐できる、とその目は如実に語っていた。
「――ただの言葉の綾ですよ。黄金の鷹と聞き及んでいましたが、もう少し余裕のある態度を見せるものと思っていました」
ややあって、エルドリーデは平然と前言を撤回する。この密会は、彼女の方から持ちかけてきた。霧を使って操った人間を通して、月の盾と接触を試みた。根気強くそれを繰り返した結果、ようやく長官本人をこの場に呼び寄せることができた。しかし、千載一遇のチャンスであっても、エルドリーデはアシュベルドに負けじと尊大に振る舞う。
「長官殿は、あなたのように優雅に振る舞うことに時間を割くほど暇ではないのだが? 手短に用件を伝えてもらいたいね」
絶妙のタイミングで、アシュベルドの隣の祢鈴が口を挟んできた。気持ちを苛つかせることに特化したような口調だ。
「我が父、ジェラ伯爵をどうか討伐していただきたいのです。そのための手はずはこちらが整えます」
エルドリーデは祢鈴を軽く睨んでから、アシュベルドに本題を告げた。
「あら、親に反逆する子を見ても少しも動じないのですね」
身内を売り渡す血族を見ても眉一つ動かさないアシュベルドに、エルドリーデは「やはり」と思った。さすがは黄金の鷹。彼にとって義理であっても親子の愛情など、対して意味のない雑音でしかないのだろう。
「元より、貴公ら血族に礼儀や情愛など微塵も期待していない。それで、裏切りの見返りに貴公は何を求める?」
そして自分もそうだ。エルドリーデは自嘲した。とうの昔に、人をコレクションのように愛でるだけの父に付き合う気は失せていた。
「そうですね。私の身の安全の保証、というのはどうでしょうか?」
笑い声が響く。聞く者の背筋を寒くさせる、暗く恐ろしい笑い声だ。広間に集う月の盾の隊員たちが、その哄笑を聞いて怖じ気づいたかのように後ずさりしていく。
「見ろ、この屠殺されたブタのような醜態を。あのジェラ伯爵が、私の足元で無様にも転がっているのだ。実に愉快だな」
アシュベルドは笑いつつ、意識を失ったジェラ伯爵を嘲る。
「活劇、堪能させていただきました」
その笑い声が止んだ頃、ようやく彼に声をかけるものがいた。
「おや、貴公か」
父を裏切り、月の盾を手引きしたエルドリーデその人だ。
「はい。見ての通り、ジェラ伯爵はこの私の協力であなたのものとなりました。では、約束は守っていただけますね?」
「ああ、約束か。そういえばそうだったな」
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