第32話:執心



 ◆◇◆◇◆◇



「この件、もう少し根が深いかもしれないぞ」


 明らかに機密保持のための自死だ。おかげで、月の盾は今回の事件を起こした線虫を特定できていない。聖体教会の防疫をすり抜けるのだから、きっと何らかの変異を遂げた種類だろう。


「爵位クラスが一枚噛んでいる、ということか」

「恐らくはね。もしかすると、今後月の盾も忙しくなるかもしれない」


 爵位とは、血族の中でも特に強力な個体を識別する称号のようなものだ。ヒューバーズはどうも、より上位の血族によって作り出された従僕だったようだ。


「厄介なことだ。君も麗しの殿下のためにがんばり給え」


 爵位持ちの血族は、恐らく帝国の国政そのものに干渉することを狙っていたのだろう。私は改めて、事態の厄介さを痛感するのだった。





「神の祝福があらんことを。新たなる枢機卿――――」


 帝国の首都にある、聖体教会本部。大聖堂を改築したそこで、今新しい枢機卿を任命する儀礼が執り行われている。


「――アシュベルド・ヴィーゲンローデよ」


 首座に座るリアレの前にひざまずくのは、聖体教会の制服に身を包んだアシュベルドだ。


「神と帝国と殿下に、変わらぬ忠誠を誓います。我が身は殿下のために。これより栄光と勇気と信仰をもって、闇に潜む血族を討ち果たしましょう」

「うむ。貴君の働きに期待しているぞ」


 努めて堂々とリアレは振る舞っているが、内心では躍り上がりたいくらいだった。あの黄金の鷹が、帝国の聖体教会に加わってくれたのだから。


「それにしても、よく来てくれた。貴君が我が帝国に加わったことが、私にとっては百万の軍が参じたことよりも嬉しいぞ」

「殿下に傘下に加わるよう招かれた時は、正直に言って迷いました。既に私は月の盾の長官でしたから、築いてきた地位を捨てるのに抵抗がなかったと言えば嘘になります」

「しかし、貴君は来てくれた」

「はい。殿下が直々に私を招いて下さったのです。その栄誉は他と比べるべくもありません。月の盾長官の地位も、給料も、殿下のお声に比べればどれも色褪せてしまいました」


 改めて、アシュベルドは頭を垂れ、リアレに最上級の敬意を示す。


「何卒このアシュベルド・ヴィーゲンローデを、殿下の佩剣の一振りとしてお使い下さい」





 リアレは目を開けた。


「…………夢か」


 ここは聖体教会の本部ではなく、宮殿の寝室だ。自分がいるのは首座ではなくベッド。何もかも、リアレが見ていた夢でしかなかったのだ。


(……あまりにも都合がよすぎる。夢で当然だ)


 そう思うよりほかない。いくら何でも、アシュベルドが月の盾の長官を辞して聖体教会に加わるなど、まずあり得ないからだ。


「ふふふ、彼が枢機卿か……」


 それでも、ついリアレは空想してしまう。もし彼が聖体教会に所属し、自分の配下で血族から帝国を守ってくれたのなら。きっと彼は見る間に出世街道を駆け上がり、史上最年少の枢機卿となることだろう。帝国を脅かす血族たちは、自信の命運が尽きたことを知るに違いない。


(……だったら、どんなによかったか)


 けれども、すぐにリアレは冷静になる。


(仕方がない。私は帝国の王女であり、彼は連邦の月の盾の長官。それぞれの立場がある。まさか今の立場を捨てて私に仕えろなどと、言えるはずがない)


 そう、言えるはずがない。この思いは秘めておかなければならない。彼への思いは、ただ尊敬だけで済ませておかなければならないのだ。


「でも……もし…………」


 いつか自分が成長し、父の如き凛々しき王族になったその時。その時、隣に枢機卿のアシュベルドがいてくれたのならば。


「殿下、ご立派になられました」

「貴君のおかげだ。貴君を目指したおかげで、私はこのようになれたのだぞ。これからも、私を側で支えてくれ」

「殿下のためならば、喜んで」


 ……という感じだ。


「い、いかんいかん、ここまでいくとただの妄想ではないか!」


 慌ててリアレは頭を振って、妄想に発展しかけた空想を終わらせる。思わず独り言が口をついて出てしまった。アシュベルドが、リアレが倣うのにふさわしくなると約束したのだ。自分もまた、アシュベルドの後を追うのにふさわしくならなければならない。


(そ、そうだ。手紙を書こう。彼に先日の件について、感謝の手紙を書くのだ。それがいい)


 妄想を打ち消したリアレは、改めて建設的なことをしようと思考を切り替える。そこで思いついたのが、私的な手紙をアシュベルドに書くことだった。文通という形になるが、彼とコミュニケーションが取れるのは素晴らしい。


(さて、なんて書こうか。まずは…………)


 早速リアレはうきうきと机に向かうと、ペンを片手に思いを馳せる。書くべき内容はとめどなく出てくる。そして、ペンを握る手はいつになく軽い。


 ――かくして、アシュベルドが冷や汗をかくほどの分厚く重い愛に溢れた手紙が書き上げられ、それを彼女はためらいもなく投函させるのであった。



 ◆◇◆◇◆◇



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