第31話:後日
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だからこそ聖体教会には、月の盾が不気味な沈黙を守っているように見えているようだ。何か裏があるのではないか? 安心させておいて、いきなり態度を急変させるのではないか? もしかすると、決定的な弱みを握っていて、これからそれをちらつかせるのではないか? そんな妄想に駆られ、帝国と聖体教会は気が気ではないのだろう。
「俺は殿下と約束したからな。殿下の目指すべき存在であり、同時に追い越すべき存在であり続けるって。あまり帝国にあこぎなことはしたくないな」
けれども、事実はこうだ。アシュベルドは公正かつ高潔に振る舞っているだけなのだ。私はよく覚えている。二ヶ月前、ルーンのペンダントを通じて、王女の危機を感知した彼がどうしたのかを。
そもそもアシュベルドは途中から、今回の事件はもしかすると、リアレ一人を狙ったものなのかもしれないと思っていた。あまりにも分かりやすい血族による襲撃。その陽動は何から目を逸らそうとしているのか。そして、姿を見せないヒューバーズ。保険として、アシュベルドはリアレにルーンのペンダントを渡し、血族の接触を警戒していた。
「シャザーム、今すぐ私を転送しろ」
ルーンで線虫の活動を封じた侍女の拘束を部下に任せ、彼は大広間の隅でしゃがみ込んでいるシャザームにそう告げた。まったくたいしたものだ。誰にも見られていない時は大広間まで全速力で走ったのに、今の彼は息一つ切らしていない。一方私は情けなく肩で息をしているので、こっそり物陰に隠れている。
「はあ? いや待って下さいよ少佐」
疲労困憊と言った調子のシャザームは当然反論する。立て続けに空間を操作し、この城に月の盾の武装を運び込んだのだ。神秘の行使は、肉体的にも精神的にも疲弊する。実際、シャザームの顔は青ざめている。
「おっしゃりたいことは分かりますがね、こっちもへばってるんですよ。少し待ってもらえないと……っ!」
シャザームはそれ以上言葉を続けられなかった。
「さえずるな、シャザーム・バルズスフ」
なぜ彼が黙ったのか。答えは簡単だ。アシュベルドの手には、銃口から煙を上げる拳銃が握られている。
「私は貴公に、できるかできないかなど聞いてはいない」
床に向けた銃口を徐々に上げつつ、彼はもう一度命じる。
「私を転送しろ」
「は、はいぃぃ! やりますっ! やらせていただきますっ!」
あの時のアシュベルドの目は、彼の本性を知らないものが見れば、まさに人命を虫けら同様に見ているように感じたことだろう。事実、シャザームは可哀想なくらい縮み上がっていた。まあ、でもシャザームが死力を尽くしたおかげで、王女殿下は九死に一生を得たのだが。
ちなみにその後。
「こ、これはまさか、ハシェム・シュロー産のしかも祈念の年の奴じゃないですかぁ! 本当にこれ、もらえるんですか?」
「貴公は私のためによく働いてくれた。その報償には報いる必要がある。遠慮なく受け取るがいい」
アシュベルドはシャザームに、ボーナスとして彼の故郷のワインを与えた。まさに信賞必罰とはこの事だろう。
「相変わらず、君は立派だよ」
私は素直にアシュベルドの高潔さを誉めたのだが、彼はややいぶかしそうな顔をする。おや、もしかして私の普段の言動から、遠回しに嫌みを言っているように聞こえてしまったのだろうか。
「いや、勘違いしないでくれ。皮肉じゃないんだ。こう見えて、私は心底感服しているんだよ」
すると今度は、彼は驚いた顔になる。
「何を驚いているんだ? 驚くような要素はないと思うんだが?」
「いや、鈴でもうろたえることがあるんだなって思っただけだよ。珍しい」
「おいおい、私はこう見えてただの人間だぞ。まして御伽衆だ。喜怒哀楽を実際に体験したこともない人間が、他者の懊悩を傾聴できるはずがないだろう。大悟した覚者など、現世に居場所はない」
人生に苦難や難儀は少ない方がいいのだが、あいにくこれらを実体験していないと御伽衆として半人前もいいところだ。私の職業に対する経費のようなものだ。
「でも、珍しいよ。君はいつだって自由闊達に振る舞っているからなあ」
彼はそう言う。君と同じで、私も外面を装っているからな。他人からは好き勝手に生きているように見えるらしい。
「やれやれ。簡単に言えば、他者はともかく、君には誤解したままでいて欲しくないんだよ。私に悪感情を持ってもらいたくない。何しろ君は、私の信頼すべき雇い主なのだからね」
私は正直な感想を口にする。
「俺だって、君を信頼しているよ。君に負けないくらいね」
彼は柔らかな笑みと共にそう言う。いやはや、まったく長官殿は口が上手で困るよ。
「……それはそれとして、気になることがある」
けれども、甘い言葉の後にすぐ、彼は真顔になる。
「なんだね?」
「血族となっていたヒューバーズが最後に言い残した言葉だ」
彼によると、ヒューバーズは今回の襲撃に何者かの関連を匂わせた後、体内の線虫をアポトーシスさせたそうだ。同時に、彼が血族にした侍女たちの線虫も自滅してしまった。
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