第26話:反撃
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あのアシュベルドが刻んだルーンとはいえ、絶対の防壁とはなり得ない。まして、それを破ろうとする相手が、群れをなす血族ならばなおさらである。礼拝堂の出入り口に刻まれた、城壁を意味するルーン。迫撃砲にすら耐えるその文字列が、ついにその効力を失った。自らの血によってそれを塗り潰した血族たちは、表情一つ変えずに扉を引きちぎる。
続いて始まるのは、一方的な蹂躙、祝賀会の再現のはずだった。数は圧倒的に血族の方が上。月の盾が有している武装は数少なく、城の警備に必要な武器がしまわれた倉庫に、彼らが出入りした形跡はない。血族たちは、血中の線虫を通じて非常に効率のよい情報の共有ができている。彼らは皆一様に、此度の突入は成功するものと確信していた。
しかし、礼拝堂に飛び込んだ侍女たちを待ち構えていたのは、ルーンや医薬によって強化された、血族にとって致命傷となる銃器の集中砲火だった。ただ血族を傷つけ、線虫を休眠させることのみに特化した、まさに猛毒としかいいようのない攻撃の数々。この大量の武器が、シャザームによって運び込まれたものであることを、侍女たちは知らない。
予想外の抵抗に、完全に血族たちの出鼻はくじかれた。そして、それに乗じて月の盾は反撃を開始する。慣れた動作で、彼らは血族たちを次々と無力化させ、城内を占拠していく。あたかもそれは、患者の体内に巣くった病原菌を、免疫とそれが作り出す抗体が見る見るうちに駆逐していくかのようだった。今や形勢は完全に、逆転していた。
「ば、馬鹿な……」
城門近くで、彼女は足を撃たれその場にうずくまっていた。眼鏡をかけた知的なその外見は、見間違えようもない。祝賀会に乱入し、暗幕によって会場を暗闇で覆い尽くした張本人の侍女だ。光源となる印紙の作り出す強烈な光に照らされ、今の彼女は既に籠の中の鳥、あるいは虫籠の中の小さな羽虫でしかなかった。
「こちらです、長官殿!」
彼女を取り囲む月の盾の職員が、不意に緊張した様子になる。
「夜会はもう終わりだ。貴公らのもてなし、少しは楽しめたぞ」
長靴の音を響かせつつ、白熱した光の中に無手で入ってきたのは、ほかでもないアシュベルドだ。
「いいえ、まだ終わっていません。メイドたるもの、お客様のお帰りをきちんと見送らねばなりません」(拳銃さえ携行していないとは、余裕を周囲にアピールしているつもりでしょうか。侮られたものです。ですが、むしろ好都合)
アシュベルドを睨みつつ、内心で侍女はそう判断する。血族となった彼女は、未だ一矢報いることを諦めてはいない。
「貴公は何か勘違いしているようだな」
しかし、彼女が身動きする前に、アシュベルドの右手が踊った。
「貴公らは血族だ。その性別、外見、強弱を問わず、私の敵でしかない」
その手に握られた万年筆が、離れた彼女の喉元にルーンを描く。万年筆は施術の媒体だ。ルーンに込められた神秘は瞬く間に血中に広がり、線虫の活動を停止させていく。
(ああ、どうか……)
薄れていく意識の中、彼女は未だ血族の思考で願う。
(どうか、あなた様だけでも……!)
一方その頃。
「こちらです、殿下」
「あ、ああ、分かった……」
城の裏手へと通じる廊下を、小走りで進む二人の人物がいる。先を行く老人は侍従長のヒューバーズ、その後をついていくのはリアレだ。
「どうかお急ぎを。事は一刻を争います」
時折振り返ってリアレがついてくるのを確認するものの、ヒューバーズは歩調を緩めない
(どういうことだ……?)
彼の後に続くリアレは、手に握った赤い宝石のペンダントを握りしめつつ、頭の中で何度も疑問符を浮かべる。このペンダントは、先程アシュベルドが彼女に渡したものである。
「これをお持ち下さい。危険が迫った時に役立つルーンを刻んでおきました」
そうアシュベルドは説明しながら、これをリアレの手に握らせたのだ。
ただの宝石に、ルーンを一文字刻んだだけのものだ。けれども、不思議とそれを握りしめると、リアレの心に巣くった不安が消えていく。だからこそ、先程突如現れたヒューバーズの言葉は、リアレにとって信じがたいものだった。しかし、ヒューバーズはあえて姿を消し、血族と月の盾両方から隠れつつ、事態の真相を突き止めたと言っている。
「ヒューバーズ、本当なのか?」
「何がですか?」
「その……アシュベルド長官が血族だというのは、本当に本当なのか?」
アシュベルドは実は血族であり、一連の惨劇は全て、彼が帝国の面々を血族に転化させるために引き起こしたものである。ヒューバーズはリアレにそう力説した。故に、彼は今リアレを秘密裏に城から逃がそうとしている。
「もちろんですとも、殿下。まったく、血族がこれほど強引な手段を取るとは、思いもよりませんでした。一時とはいえ、殿下のお側を離れたこと、心からお詫び申し上げます」
ヒューバーズはリアレに謝罪する。たしかに、敵を欺くにはまずは味方から、と昔から言う。リアレの側を離れ、あえて間諜に徹したのは理解できる。
「いや、謝る必要はない」
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