第13話:憂慮
◆◇◆◇◆◇
「あー緊張する、すごく緊張する、滅茶苦茶緊張する」
今夜もまた、私の部屋でアシュベルドがうんうんと唸っている。
「胃が痛い、頭が痛い、肩が痛い、胸が苦しい、肺が苦しい、めまいがする、吐き気がする、歯まで痛くなってきた」
ソファのクッションに顔をうずめ、ぐりぐりと額を押しつけつつ、彼は現在の体調を事細かに実況してくれている。
「君の、四百四病をことごとく網羅しようとする心意気は買うがね。だが御伽衆である私は、職務を一時無視して言いたい」
ひとしきり愚痴が終わってから、私は口を開く。
「いい加減覚悟を決めたまえ」
「やだ」
「私は君の母君ではないぞ」
傍耳の私でも、彼の返答にはさすがに呆れる。今の彼は、まるで母親の前で駄々をこねる小児そのものだ。
「昨今、若い少年や青年の間では、婦女子の好みに母性が混じっているそうではないか。君も、その手の影響を受けてしまった類かな?」
冗談めかして私はそう言う。どうも、世間の好みはそうなっているらしい。映画にせよ小説にせよ、登場するヒロインに母性が求められているようなのだ。
「女の人の鈴から見て、あれはどう思う?」
「別に、何とも」
クッションから顔を上げた彼がそう尋ねるので、私は即答する。
「受け入れがたいとか、思わないんだ」
「男性が恋人に母の姿を見いだそうとするのは別段不思議ではないよ。もっとも、それは神州に多い傾向だがね。連邦でも父性が弱まり母性が活気づいてくるとは予想外だな。少なくとも、我々御伽衆からすれば、人の心の表現として珍しくはないね」
私が述べる持論に、彼はやや驚いた顔をしている。てっきり『恋人に母親を重ねるなんて気持ち悪い』という感想を予想していたのだろうか。あいにく私に母性なんて高尚なものはわずかだが、他者がそれを求める心の動きは理解できる。
「俺は、鈴にお母様の姿を重ねてなんかいないぞ」
「ああ、そうかね。ならば、もう少ししゃきっとすることだ」
益体もない話で少し気が紛れたのか、彼は姿勢を正してソファに座りなおす。
「あーやだ。すごくやだ。絶対にやだ。滅茶苦茶面倒だ。出たくない出たくない」
しかし、彼の口から出る言葉は同じだ。目下アシュベルドの頭の中を埋め尽くす悩みとは、帝国の王女殿下を迎えた式典に関する事柄だ。開催日時は既に決定済みである。
「まあ、君の気持ちも半分は分かるとも。まさか帝国の王女が来られるとはね。しかも、君に会いに」
栄えある帝国の王女が、海を隔てた連邦にやって来る。その目的は親善――とあるが、実のところ名指しで月の盾を訪れたいと言っているのだ。連邦ではなく、アシュベルドに関心があるのが丸わかりの素振りである。しかしてその理由は?
「十中八九俺を未来の独裁者扱いして監視に来たんだよ……。痛くもない腹を探られるのは不愉快以外の何ものでもないぞ」
彼は頭を抱える。一概に被害妄想と言えないところが悲しい。アシュベルドが大総帥の座を虎視眈々と狙っているという噂は、海外にまで広まっている。とうとう日の沈まぬ帝国が、直々に検分に来たということか。
「リアレ王女殿はその可憐な容貌とは裏腹に、大胆かつ聡明なお方らしい。母方の実家は聖体教会の枢機卿を輩出した家でもあるそうだ。聖体教会は、政経に対し絶対的な不干渉を貫いているんだったな。対する月の盾は、政界にも財界にも、君が声をかければ協力を惜しまない方々がごまんといる。見事なまでに正反対だな」
私は事前に調べておいた王女殿下についての情報を述べる。もっとも、この程度の情報は、彼ならばとうの昔に知っていることだ。彼は私の前では打たれ弱くて愚痴ばかり言っているが、きちんとオンとオフはわきまえている。月の盾の重鎮として、その辣腕は瞠目に値するものだ。表向き、彼はきちんとカリスマ溢れる人物として振る舞えている。
それにしても、帝国の王族がわざわざ月の盾の見学に来る、か。明らかに、殿下はアシュベルドを警戒している。どのような人物か自分の目で見極めようとしているのか、それとも今のうちに帝国の走狗として飼い慣らそうとするのか、はたまた大総帥の座につかないよう、何らかの方法で潰そうとするのか。
「殿下は絶対俺にいい印象は持ってないよなあ……」
彼はため息をつく。実のところ、殿下がどう思っているのかは知らないが、彼は別に帝国を脅かすつもりもなければ、大総帥として連邦に覇を唱えるつもりもない。殿下の警戒は明らかに杞憂なのだが、さて、それをどうすれば分かっていただけるのだろうか。
「がんばりたまえ。君の本質は善良だから、それを分かってもらうよう今回の訪問で務めるんだ」
御伽衆である私は、今はこのような毒にも薬にもならぬ物言いしかしない。しかし、だからといって彼を見捨てることはしない。
「ああ、がんばるよ……」
私は傍耳。雇い主の側に寄り添い、問題解決まで共に寄り添うのが仕事なのだから。
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