第10話:騎士



 ◆◇◆◇◆◇



 そして現在。


「『月の盾長官、山岳救助に従事する僧院を慰問』か。いやいや、なかなかよく撮れているじゃないか」


 今夜も私の部屋を、アシュベルドは訪れていた。私が手にしているのは、『進撃』という誌名の政治雑誌だ。そこには大きく一枚の写真が掲載されている。多くの人に囲まれ、大型犬を足元に従えたアシュベルドの写真だ。


「冗談じゃない。俺が犬嫌いなのは君が一番よく知っているじゃないか、鈴」


 ソファに座る私の隣、という指定席に腰掛けた彼は顔をしかめる。話題は、少し前に彼が慰問で訪れた僧院でのことだ。山岳救助を行う彼らは、お供に大型犬を従えている。アシュベルドはその犬と一緒に写真に写っていた。犬が苦手にもかかわらず、表面上は平静そのものだ。


「それをおくびにも出さない君の豪胆さには、正直言って感心したよ」

「ああ、本当によかった。今にも飛びつかれるんじゃないかと思って生きた心地がしなかったよ」


 私も側にいたのだが、彼の内心は見事なポーカーフェイスで無事隠しおおせていた。写真だけ見ると、まるで彼はライオンを従える古代の王侯だ。今月の『進撃』は売り切れ必須だろう。


「そういえば、『長官は犬がお嫌いですか?』って記者に聞かれたね。内心が透けていたのかな?」


 私が少しだけ動揺させるようなことを言うと、たちまち彼はうろたえる。


「そ、そうだったらどうしよう。悪いことをしちゃったな」


 まったく、人前では泰然自若とした面持ちを一切崩さないのに、本当の彼はこの通り実にデリケートだ。


「大丈夫大丈夫。君の答えは見事なものだったよ。『率直に言えばあまり好ましくは思わない。忠実なのは美点だが、無私が過ぎて自立という点では少々物足りないな。私が貴公らに求めるのは、自ら考え自ら判断する有能さだ。犬のようにただ伏し、命令を待つだけではふさわしくない』ときたものだ」

「うう……。口が滑った。言い過ぎたよ、ごめん」


 私が一言一句違わず彼の発言を再現してみせると、彼はうつむいてしまった。


「私に謝る必要などないさ。むしろ、みんな顔を輝かせて聞き入っていたよ。『さすがは月の盾の大隊指揮官殿。盲従を一笑に付されるとは恐ろしいまでの冷徹さです』と彼らの目が語っていたのが分かる」

「それでいいんだろうか……」


 深々と彼はため息をつく。つくづく、今の連邦の国民と彼は奇妙な蜜月の関係にある。国民が期待し、それに彼が応える。なまじ彼が表面を取り繕うのが上手だから、国民は未だに夢から覚めない。自分たちが崇拝しているカリスマ溢れる月の盾長官は、実のところ等身大の一人の男性でしかないということを、未だ知るものはいない。


「まあ、あの犬はそもそも大人しいし従順だ。君の心配は杞憂だったんだがね」


 私は話題を犬に戻す。


「分かってるよ。分かっているけど、苦手なものは苦手なんだ」

「確かに、私は君が犬に苦手意識を抱く決定的瞬間を目にしているから分かるよ」


 私がそう言うと、彼は非難がましい視線を私に向けた。


「……思えば、鈴はあの頃から口が達者だったな」


 私が何を言わんとしているのか、彼は即座に理解したらしい。初めて私とアシュベルドが出会った雪の日。彼は我が家の駄犬に追い回されて半泣きだった。それがきっかけで、彼は犬が苦手になったのだろう。


「『口では立派な城も立つ』と昔から言うが、私たち御伽衆にとってそれは、口先だけなら何とでも言える、という意味ではなくてね」


 言葉を侮るなかれ。神州には言霊というものがある。口にしたことは本当になる、という思想だ。


「口にするからこそ、城は建つ。言葉というものはそれだけ力があるのだよ」


 と、そこまで言ってから私は苦笑した。こんなこと、彼は百も承知のはずだ。


「まあ、君に言っても聖者に説法か。大衆を熱狂させる演説は、ほかでもない君の十八番だ」

「そんなことない。俺はいつだって、演説の前には緊張で吐きそうになる。目の前が暗くなって、頭が痛くなって、足ががくがくして、逃げられるんだったら逃げたいよ」

「そんなことを言って、いざ演台に立つと変わるからなあ。御伽衆顔負けだよ」


 私は正直に彼を賞賛する。実際、大勢を扇動するという点においては、彼の才能は御伽衆を超えている。


「なあ、一つ聞きたいんだが」


 私は一つ彼に尋ねる。


「なに?」

「あの時、私と駄犬の間に立ちはだかった君は、なんて言ったんだ? 印紙がなかったから聞けなかったんだが」


 私の問いかけに対し、彼は一瞬だけ顔を赤くすると、露骨にそっぽを向いた。


「……忘れたよ」


 お生憎様。御伽衆の記憶力を舐めないでもらいたい。あの時の言葉はこうだ。




  『きょ、狂犬め! 僕が相手だ! この子には指一本触れさせないぞ!』




 印象的だったからきちんと覚えているんだよ。そして、自力で調べたんだよ。正直に言って、若干照れくさいな。まあ、嬉しくはあるよ。でも、できれば、君の口から今、改めてはっきりと聞きたかったんだけどな。……それと、犬に対して『指一本』という表現はどうかと思うぞ。



 ◆◇◆◇◆◇





(次回予告)





 さて、次回から「帝国王女編」が始まります。

 アシュベルドを未来の独裁者と勘違いしている、帝国の王女リアレが連邦にやってきます。帝国の王族を歓待することになり、胃が痛いアシュベルド。相変わらずつかず離れずの絶妙な位置をキープする祢鈴。さらに暗躍する血族たち。そして事態が進退窮まった時、アシュベルドは堂々と言い放ちます。


「さあ、諸君。今宵も素晴らしき惨劇を始めよう」


 炸裂するカリスマ。誰もが恐れおおのく絶対的強者のオーラ。血族を殲滅する至高のユーバーメンシュ。しかしその実体は、何となく格好いいことを言って現状を有耶無耶にしようとする実に小心者の行動。

 明日からは本作『「平和的」独裁者の手放せない相談役』のベーシックとなる物語の開幕です。

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