第8話:追憶
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これは、かれこれ十五年ほど昔の話だ。ご覧の通りひねくれ者に育った私こと燕雀寺祢鈴が、まだ世間知らずの少女だった頃のことだ。自分で言うのなんだが、あの頃の私は実に可愛らしかった。外見に限って、だが。もっとも、口調や態度に今の片鱗が見え隠れしていることからして、もしかしたら生まれつきひねくれていたのかもしれないが。
先に話した通り、我が燕雀寺は御伽衆と呼ばれる一族だ。仕事の内容は、権力者の傍らに侍り、その話し相手や相談役となること。特にその仕事に従事する者たちを、私たちは傍耳と呼んできた。耳を傾け、物語ること。この二つが私たちの生業だ。御伽衆たちはそうして帝を含む権力者のそばで、この神州を影から支配……ではなく支えてきた。
そして私も、当然のように御伽衆として育てられた。幼い頃から、燕雀寺に伝わる御伽衆の技術を余すところなく教えられた。御伽衆の技術は二つ。一つは「傾聴」。耳を傾け相手の心を癒す術。そしてもう一つは「誣言」。まあ、これについてはそのうち語るとしよう。どちらも真っ当な人の技であると同時に、異質な力を使う左道でもある。
さて、そうやって幼いながらも将来を嘱望された御伽衆見習いである私の話だ。その日は小雪のちらつく寒い冬の日だった。私は発熱の印紙によって温められたこたつに入りながら、一人で本を読んでいた。両親は何やら客人を迎えに行くとのことで、帝都の駅まで出かけている。つまり、私は一人で留守番中だったわけだ。
読んでいたのは、この神州に伝わる昔話や伝説を集めた説話集だ。今ならば民俗学者がもっともらしく注釈を入れた専門書を読むが、その時読んでいたのはもっと簡単な本だ。昔話はよい。ただのご老人が孫に語る寝物語と侮るなかれ。昔話にはすべてが語られている。人の心のありようがある。私たち御伽衆が知るべき、魂の形がある。
物語とは、人の心の痕跡を書き残したものだ。私たち御伽衆といえども、人心そのものを一言で言い表すことも、そこに土足で踏み込むこともできない。心とは、注視すれば見えず、よそを向いているとおぼろげに見えてくる気まぐれな幻のようなものだ。だから私たちは物語というよすがを用い、心をそっと伝い、辿り、解きほぐしていく。
そうやって、私が黙々とページをめくり、時折雑にむいたミカンを口に入れ、古人の語りに没入していた時のことだった。
「な、なんだなんだなんだこいつは! どっかいけぇ! いけってばぁ!」
同時に聞こえてくるのはワンワンという吠え声。何やら庭が騒がしい。
「やめろぉっ! くるなぁ! くるなっていってるだろっ!」
そして再びワンワン。
騒々しい。まだ幼く集中力に欠ける私は、二種類の騒音であっという間に物語の中から現実の世界へと引き戻されてしまった。仕方なく私は本を閉じ、こたつから両脚を抜き、着物の裾を直しつつ立ち上がる。
「ひいいっ! なんでおっかけてくるんだよぉ! うわああああっ!」
障子を開けて縁側に出、私はうんざりした目でガラス戸越しの庭を見た。
小雪など知ったことかと言わんばかりに、元気いっぱいに庭を走り回っているのは我が家の飼い犬だ。白梅、という名前の通り、全身の毛は白。北部の猟犬の血を引いているだけあって、体格だけは無駄にでかい。そして頭の中身は、体格に反比例して絶望的にお粗末。人なつっこいだけが取り柄の、番犬としては致命的に役に立たない駄犬だ。
その白梅が尻尾を千切れんばかりに振りながら、とてつもなく楽しそうに追いかけている代物。それは、仕立てのよいコートを着た一人の少年だった。ただの少年ではない。帽子からのぞく髪の毛の色はまばゆいばかりの金色。涙で潤んだ両目の色は、空の色と同じ青。神州の人間ではない。西洋人だ。年齢は私と同じくらいだろうか。
いったいどうして見知らぬ子供が、それも西洋人の子供が我が家の庭にいるのか。首を傾げる私の目線の先で、延々と追いかけっこが繰り広げられてる。必死になって少年は庭を走り回り、それをうちの駄犬が追いかけ回す。少年の方は必死の形相で半泣きだが、駄犬の方はそれはそれは嬉しそうだ。明らかに、遊んでもらっていると思っている。
まあ、少年が半泣きになるのも分からないでもない。白梅は無駄に体格だけはでかい。大人でも少し驚くくらい大きいのだ。少年の背格好では、さしずめ恐ろしい猛獣に襲いかかられていると勘違いしても無理はない。実際は大違いだ。白梅は頭の中身こそ完膚無きまでに空っぽだが、人様に噛み付くような真似は一度もしたことがない。
いずれにせよ、そろそろ運動会はお開きにしてもらおう。少年が雪に足を滑らせたら派手に転び、せっかくの仕立てのよいコートが台無しになってしまう。そうでなくても、白梅に捕まってしまえば、顔中を舐め回されることは確実だ。少年はそろそろ息が切れてきたようだ。頃合いだろう。
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