第4話:独裁
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その大総帥の地位に、アシュベルドを就かせようという動きがあるそうなのだ。本人が大総帥の地位を虎視眈々と狙っているのではない、というのが面白い。彼としては、そんな大それた地位に就く気は毛頭ないそうだ。見た目こそ彼は、猛獣の如き野心を内にくすぶらせる青年将校に見えるが、中身は優しく平和的で、気弱と言ってもいいくらいだ。
想像してみる。満員の講堂。埋め尽くすのは政財界の要人と軍の関係者、それと月の盾の面々。彼らを睥睨する場所に設置された演説台に立つのは、もちろんアシュベルドだ。背後では連邦の象徴である、槍を噛む鷹と三重の十字が描かれた国旗がはためく。彼が立つや否や、一斉にすべての出席者が敬礼する。そして斉唱される連邦国歌。
まさに、鋼鉄の意志を有する独裁者と、彼に率いられる親衛隊。そして心酔する国民という取り合わせだ。うん、当人たちにとっては理想郷でも、端から見れば単なる愚者の寄り合い所帯だろう。この連邦という、州が複雑に利権を巡り水面下で争うような国家を、たった一人の大総帥が治められるはずがない。できたら世界史に残る偉業だ。
そして、神仏に誓ってもいい。私のクライエントであるアシュベルドは、大総帥という器ではない。確かに彼は、二十代で一組織の長官という異例の出世を遂げた男だ。だが、さすがに大総帥の座は荷が重すぎる。彼の才能は主に外面のよさと、聞く者が心酔せざるを得ない話術の上手さにある。口八丁だけで大総帥になるのはさすがに無理だ。
もちろん、当人もそう思っている。だが、いかんせん彼の周囲にいる信奉者にとってはそうではない。彼の話術に魅了された者たちにとって、彼は月の盾の長官どころか救国の英雄に見えるらしい。ゆくゆくは大総帥の座に就き、この国を導いて欲しいのだ。それも独裁者として、冷酷に、残酷に、エゴイスティックに、厳しく、冷徹に、情け容赦なく。
――どうやら連邦はマゾヒストの天国のようだ。彼の信奉者たちは、彼に厳しく支配してもらいたいらしい。残酷に扱ってもらいたいらしい。有無を言わさず従えられ、無慈悲に統率してもらいたいらしい。いやはや、何とも業の深い欲求だが、何よりも連邦の国民を被虐の性癖に目覚めさせてしまったアシュベルドに私は敬服せざるを得ない。
「魅力的なだけで大総帥になれるわけないだろ! せっかくこの国が合議制で動いているのに、なんでみんな時代に逆行したがるんだよ。おかしいぞ!」
彼の言うことは実に正論だ。けれども、恋は盲目と昔から言うように、彼に恋してしまったこの国の面々に、正論が通じるはずもない。
「せっかくだから、大総帥になってみたらどうだ?」
「鈴までそんなことを言わないでくれ!」
私の提案に、アシュベルドは目をむいて反論する。私の名前は祢鈴だが、彼はいつも子供の頃の愛称の「鈴」と呼ぶ。思えば、今も私のことを「鈴」と呼ぶ人間は、もしかすると肉親以外では彼しかいないかも知れない。ふむ、彼だけに呼ばれる特別な呼び名、か。少々こそばゆいが、悪い気はしない。
「権力の一極集中は自殺行為もいいところだ。俺は自分を終生律する自信なんかないぞ」
彼の反論はいたって真面目だ。こう言うところも、彼の性格がよくあらわれている。
「留学した身だから分かるけど、今の連邦の政治は保守的すぎるんだよ。そもそも、俺には才能なんてない。あるのは両親からもらった顔と口だけだ」
顔と口だけ、か。その二つも充分才能だと思うのだが。何しろ、その二つが手に入らなくて苦しむ人間は数多い。恐らく彼は、大総帥という座は、何か神意のようなものに選ばれた特別な存在だけが就けるものだと思っているのだろう。私はそうは思わない。大総帥だから座に就けるのではなく、座に就くから大総帥になるのだ。
「まあまあ、そう自分と周囲を卑下することもあるまい。君を信じてついてきている君の部下たちが、軒並み無能といっているようなものだぞ」
私がそう言うと、彼は真顔になる。
「……言い過ぎたな。ごめん」
そしてすぐに謝る。まったく、こんな場面は絶対に、彼の信奉者に見せられないな。彼に幻滅する前に、私の命が狙われかねない。
「少し落ち着いてきた。そろそろ寝よう」
その後も少し世間話に興じた後、彼は抹茶を飲み終えて立ち上がった。
「また来たまえ。君のためならばいつでもここは開いているよ」
私がそう言うと、彼は嬉しそうに笑顔を見せる。
「ありがとう。おやすみ」
うん、この顔だ。彼にほほえみかけられて、心が躍らない人間などおるまい。
アシュベルドを見送り、私はひと息つく。燕雀寺の歴史を辿っても、彼のような権力者のタイプはいなかった。
「私としては、果たしてどちらになってほしいものか、迷うよ」
彼が一人の人間として等身大の幸福を得て欲しいのか、それともこの危うさを忘れずに覇道を突き進んで欲しいのか。それは今の私には、まだ到底断言できないのだった。
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