第2話:傾聴
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この連邦という国は、今恋の病を患っている。四百四病の外に、一つの国が丸ごと陥っている。そのお相手とは、黄金の鷹と称される彼、アシュベルド・ヴィーゲンローデなのだ。いやはや、実に面白い話じゃないか。傾城傾国の人間を相手に傍耳として仕えるなんて、御伽衆冥利に尽きるというものだ。
「もちろんだとも、少佐殿」
私は彼の(断られたらどうしよう……)と心配そうな問いかけに、快く応じる。少佐と言うものの、彼は軍属ではない。月の盾という組織において、彼が長官であると同時に大隊指揮官であるため、少佐というあだ名がついているのだ。長官なのだから大将とか元帥とかの方が適切な気もするのだが、詳しくは私も分からない。
「ほ、本当か? 邪魔だったら、出直すけど?」
けれども、今夜の彼は特に遠慮がちだ。何かあったわけではないだろう。面と向かって彼をけん責できる人間は数少ない。少なくとも、月の盾にはいないはずだ。また何か、厄介事を背負い込んでしまったのだろう。自分の周りの人間がすべて、自分に過剰な期待を寄せているように見えるのだろうか。
「なあに、ちょうど私も暇を持て余していたところだ。例え忙しくても、ほかでもない君が来てくれたんだ。喜んで歓迎するとも」
多少大げさに私がそう請け負うと、やっと彼は安心した表情になる。普段のあの、目の前の相手が萎縮してしまうような怜悧極まる表情よりも、ずっと人間的に魅力のある顔だ。
「よかった。ありがとう。助かるよ」
だが、いかんせん彼が世間に期待されているのは、その怜悧極まる表情なのだが。
「おいおい、壁に耳あり障子に目ありだぞ。そうやって異国人に頭を下げる君を誰かが見たら何と言うか」
私が危惧するのはそこだ。私に見せるような顔を、世間に知られたら悪評が立つのは想像に難くない。
「そ、そうだな」
慌ててアシュベルドはドアを閉める。
「そうそう。背筋は伸ばしてしゃんとして。いつも演説の時に国民を見据えるような目で。うんうん、そうやって見るとなかなかの好男子じゃないか」
本当はもう周囲の目などないのだが、私は彼に近づくと肩を軽く叩いて姿勢を矯正する。ただそれだけで、さっきまでおどおどしていたアシュベルドが自信ありげに変わっていくから面白い。
「貴公の賞賛はなかなか耳に心地よいな。配慮に感謝しよう」
口調まで大仰に変わるからますます面白い。
「どういたしまして。改めて私の部屋にようこそ、大隊指揮官殿。今夜も君の安らかなる眠りのために、わずかながら尽力させてくれたまえ」
芝居がかった口調だが、私の方はこれが本性なのだ。御伽衆の教育の賜物とでも言えばいいだろうか。
やかんに張った発熱用の印紙を起動させて湯を沸かしながら、私はアシュベルドに尋ねる。
「抹茶でよいかね?」
「もちろん。君の国のお茶は飲むと落ち着くんだ。あの苦味が俺の舌によく合う」
彼はソファに深く腰掛け、すっかりくつろいだ様子だ。よそ行きの顔と口調はさっきの一瞬だけ。今はもう、彼は素の顔を見せている。
「ビールじゃないんだね。この国の人間はビールを水代わりに飲むと聞いたんだが?」
私は記憶を巡らす。たしか戸棚の一番下の奥に、もらい物のビールが一瓶あったはずだ。冷却の印紙を貼っていたかどうかは定かではない。しかし、アシュベルドは大げさに首を左右に振る。
「やめてくれ。俺は下戸なんだ」
本気で嫌がっているのがよく分かる。
「無理に飲むのは本当に辛い。飲まなきゃいけない時は事前に酔い止めの薬を飲んでいるんだけど、あれを飲むと悪夢を見るから嫌なんだ」
なるほど。以前アシュベルドがどこぞの祝賀会に参加した時に同席したことがあったが、あの時彼は「貴公らに栄誉を。そして連邦に勝利を」とのたまいながらワイングラスを傾けていた。実際はそうだったのか。
益体もないことを話しつつ、二人分の抹茶を点ててから彼に渡す。
「ありがとう」
言葉少なに彼は碗を受け取ったので、私もソファの隣に座る。比較的近い位置だ。恋人のような親しさ? いや、そうでない。しかし、他人ような行儀ではない。どちらかというと親族のような感じだろうか。血はつながっていないのは百も承知だが、何となくそう思う。
「さあ、今日も傾聴してやろう。いったいどんなことがあったんだ?」
茶を飲み終えた私がそう言うと、待ってましたとばかりにアシュベルドは私の方を見る。
「ううう……。本当に本当に、今日もとっても辛かったんだよぉ……」
その目に、見る見るうちに大粒の涙が浮かんできた。ああ、本当に彼は泣き上戸だなあ。酒など一滴も飲んでないけど。
「はいはい。慰めてやるから泣くのはやめたまえ。いったいどうしてなんだ?」
「ああ、聞いてくれる? 本当に? 本当に? じゃあ、最初から話すけどさ…………」
こうやって夜は更けていく。これが私の仕事だ。一人の御伽衆と、彼女が仕える主人との、愚痴と泣き言と世迷い事と、それからほどよい笑いと涙で味付けられた寝物語である。
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