西暦1224年(貞応三年) 鎌倉通信 弐
鎌倉も貞応三年(1224)の正月が明けた。
穏やかな日差しに恵まれ、正月の行事もつつがなく執り行われた。
北条義時も元気に行事に参加しているが、正月中頃から、しきりに鶴岡八幡宮に詣でる。何が気になるのか、七日も続けて参詣している。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が死んだ後の鎌倉の陰謀の全てに関わり、勝利を収めた義時だからこそ、その悩みは膨れ上がり、せめて近場の八幡宮にでも拝礼しなければ、気持ちが落ち着かないのか。
二月に入ると相州の綿帽子を戴いた山々、津々浦々が怯えた様に震えた。
鎌倉で地震があるのは珍しいことではないが、揺れが収まるまで、みな手を止め、足を止めた。揺れの行方を見定めて、ゆるゆる収まれば、何事も無かったように動き出す。
鎌倉の日常は、そこそこ穏やかで、安倍親職もそこそこ穏やかで、そこそこ忙しい。
稲村ケ崎から、式神三匹が行方不明との報せがきたが、占ってみれば皆々難なく息づいている。
「自由に生きさせよ」と指示を与えた。
宋子は、漢の懐に入れられ、馬に揺られ、小さな
以前、兎丸と共に冒険に出た梶原の郷を抜けて北へ辿っている。
もう逃げ出す気持ちも萎えてしまった。漢はごつい顔に似合わず、優し気な気遣いを見せて宋子を撫で擦る。
猫は撫でられると、その主の性格も気持ちも察することが出来る。少しそそっかしく、思いのままに動いてしまうが、漢に悪意はないのだ。
漢の懐は、温かい。うとうとしていると馬から降りたのか、漢が瞬時、空に揺れたが、その手が宋子を確と支えている。
「帰ったぞう」
「まあ、まあ、お帰りなさいませ。お疲れ様でございます」
「留守番大義であった。元気にしておったか、うん?」
妻女らしき女子にかける言葉がやさしい。宋子は、衿元から目だけ出して覗いた。
「まあ、まあ、まあ、それは、それは何でございましょう」
「土産だ」
後ろ首をつまみ上げられ、女の胸に押し付けられた。
(なんと、わたしは土産だったのか)
むかっとした宋子は、女子の手指に噛みつき、素早く飛び降りると走り出した。向かった先は、屋敷の奥。
袋のネズミと呼ばれ猫となった。
両手を伸ばした男達に囲まれて、ふーっと脅してみたが、少しの効果もないことは宋子自身が一番知っている。
女が前に出て来て、目の高さに腰を落とした。
「もしや、宋子さまで‥‥‥」
「みゃぁお」と鳴いて胸を張った。
「失礼を致しました。今後のことはご相談致しますので、しばし、ゆるゆるとお過ごし下さいませ」
軽く廊下に手を付いた所作が気に入った。
ここまでだなと悟った宋子は、おずおずと女の手の中に納まった。
「うーん、そなたの話はおおよそ分かった。時を超えることが、たまさかあると聞いたことがある」
さすが、鶴岡八幡宮のネズミ頭取だ。
「江ノ電と云う乗り物のことは聞いたことはないが、空飛ぶ乗り物があると云うから、風よりも早い乗り物があったとしても不思議ではない」
忠吉は、目を剝いて仰け反ったままだ。
「生まれ故郷に戻れますか?」
「うーん、保証は出来ぬが戻れるかもしれん」
「おーぅ、戻れる」
「忠吉、良く考えろ。戻れば、ただのネズミだぞ。ここに居れば、陰陽師の式神だ」
「でも、兎丸がいないから、ここでもただのネズミなんだ」
「兎丸か、たぶん戻って来るだろう。しばらくここに居れば良い。も少し、未来の話が聞きたい」
豪華な食べ物が並べられた。八幡宮の供物に間違いない。
宋子を探してカー助は飛んだ。八幡宮の上空を鎌倉中の端々まで飛翔した。トンビが「どうした? どうした」と付いて来る。何時頃からか、カー助は、鎌倉野鳥会の会長だ。みなみな白いカラスを慕って集まって来る。
鎌倉中の人々が、空を見上げ「今日は、やけにトンビが多い」と騒いだ。
陰陽師が、異変の兆候ではないかと卜筮を行った。
八幡宮の赤橋の傍に立つ
猫とネズミとカラスを探して報せた者には、丸太屋から謝礼が出るとの触れだ。しかし兎丸の名はない。
猫やネズミはともかく、白いカラスが飛べば、誰の目にもとまった。折しも八幡宮の奥にいる忠吉を確かめたカー助に石を投げた悪戯者がいた。
「馬鹿野郎、カラスを殺したら、元も子もねぇ」「うるせぇ、おれの勝手だ」「ワイワイ、がやがや」
礫を逃れたカー助は、さほど思案もせずに、丸太屋に飛んだ。
嘉平を見つけて近づいたが、(あっ、だめだ。触れを引っ込めてくれと伝えられない)
兎丸に、泳ぎを教えた留吉と波吉が駆け込んで来た。カー助が丸太屋に飛び込んだのを見つけたのだろう。
カー助は、首を傾げ土間や板敷をトコトコ歩いている。嘉平が読んでいた止め書きの紙を膝前に下ろすと、カラスは、その紙の端をツンツンした。
「カー助、みんな元気か?」
今では立派に丸太屋の勤めを果たしている留吉の問いに、白いカラスは嬉し気に首を縦振る。
「八幡宮の触れ書は、いらないか」
カー助は、小さく飛んで賢い少年の肩に乗った。予てから、触れ書なんか出して良いのかなと思っていた留吉ならではの問いかけだ。
「そうか、やはり触れ書は無用か」嘉平が渋い顔で云えば、カー助は、そうだよと嘉平の肩に乗り移った。
「すげえや、すげえや。何かあったら、また知らせてくれよ、カー助」
浜の仕事で冬なのに汗をかいているガキ大将の波吉が、湿った声を上げた。カラスは、お愛想に波吉の肩にも乗ってみせた。
波吉が得意げに喜んだのは云うまでもない。
二月も押し詰まった頃、三寅若君に献上品が届いた。
異国の珍しい品々だという。
弓二張、
なかに帯一筋。この帯に銀の札が付いていたのを目に留めた者が、その札の四文字を尋ねたが、誰も読める者がいなかった。まだまだ鎌倉は、その程度であった。
若君は飽きてしまい、少しむずかって奥へと戻った。
この献上品は、兎丸が寺泊に着いた時に、騒動を起こしていた漂着船のお宝だ。
漂着品は、献上品と名称を変え、兎丸が知らぬまに鎌倉へ向かったのだ。
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