鎌倉鴨騒動 壱

 四月十三日、貞応と改元された。

 由比ヶ浜から腰越の海岸に死んだ鴨が打ち寄せられ、鎌倉湾の波打ち際が騒がしい。

 四月十五日、兎丸の勉学の日である。

 親職屋敷に出かけた兎丸に、時景が思案顔で問う。

「海岸に鴨の死骸が打ち寄せられていると云うが、兎は知っているか」

「はい、里の者が群がって喜んで食べております」

「何と、それで腹痛など起こしてはいないか」

「さぁ、それは存じません」

 口の利き方が、上手になって来た。時景先生の薫陶のお蔭だ。

「今日は、講義は休みとする。海岸に出て、鴨の死骸の様子や食した者のその後など調べて参れ」

「はっ、確と承りました」

 兎丸と三匹の式神は、意気揚々と材木座へ向かう。

 まずは、丸太屋の嘉平に海岸の様子を聞いてみるつもりだ。丸太屋の澪を訪ねても、父親の嘉平に会うことはない。久しぶりだ。大事な出来事を尋ねに行くのだ。嘉平に会うのが、こんなにウキウキするとは思わなかった。

 海に面した店へ直接訪いを告げた。

「おぉ、兎丸か、どうした」

「はい、本日は嘉平どのに尋ねたきことがあり、まかり越しました」

「うむ、大事な事柄と見た。奥は参ろう」

「いえ、お邪魔でしょうが、この店先で結構でございます。他でもない、海岸に打ち寄せられている鴨の死骸のことでございます」

「うん、漁師や人足が騒いでおるが、わしも前浜(由比ヶ浜)で目にした」

「貧しき者は、食べているようです。腹痛など起こしているという噂など聞きませんか」

「いや、それは聞いておらぬ。野鳥の死骸が打ち寄せられることは時にある。陽気の具合で餌が減り、多くの野鳥が死ぬことがあるのだ」

「食しても害がなければ良いのですが‥‥‥ これより海岸に出て、人々に聞き取りを行おうと思っておりますが、その前に、嘉平どのの意見が聞ければと思いまして、お邪魔をしました」

「うむ、これは仕事の一環かな?」

「はぁ、仕事と云うか、修行の一環かと思います」

「さようか、では行かれよ。帰りにまた寄って頂けますでしょうか」

「はい、そう致します。では、行って参ります」

「気をつけて行かれよ」

 異変の調べなのに、嘉平の目元口元は嬉々としている。成長する兎丸が頼もしく嬉しくてならないのだ。

 火事の中から娘の澪を救い出し、裏口に飛び込んで来た兎丸を思い出す。あれからもう二年も経ったか、何だかんだとあったが、兎丸を手放したことが正解だったと思える嘉平だ。


 由比ヶ浜の波打ち際にたどり着いた一行を子供たちが取り囲む。

 忠吉は恐れをなして兎丸の懐の中だ。カー助はとっくに防風林へ飛び去った。宋子だけが足元にいる。

 二~三人混じっていた女子が宋子に近づく。

「おめえ、そうこかぁ」

「みゃあ」と威厳を示し宋子が応える。

「あああぁ、宋子さまが応えた。宋子さまだ、宋子さまだ」

「うぉー 宋子さま、宋子さま、宋子さま」

 宋子は、何でこんなに人気者なのか、男子も混じってお祭り騒ぎだ。

 しばらく騒がせておいて、兎丸が子供らに問う。

「鴨の死骸が見当たらないが、おぬしら知っているか」

「おら達が、みんなで分けて家に運んだ」

「食べるのか」

「うん、久しぶりのご馳走だもの」

「腹痛になった者はおらぬか」

 顔を見合わせながら、首を横に振る。

「そうか、ありがとう」

 兎丸は、宋子を従えて海岸を西に向かう。ぞろぞろと付いて来た子らが、稲瀬川辺りで消えた。これより西には行ってはならぬと云われているのか。

 カラスの鳴き声がかまびすしくなった。見上げれば、稲村ケ崎の崖上からカラスが群れてやってくる。中に白いカラスが一羽。

 カー助だ。何時の間にか、黒カラスを従えている。

 宋子の元にカー助が舞い降りた。

「黒カラスに聞いてみたよ。鴨どもが、どうして死んだのか」

「分かったのか」

「いやー、確かなことは分からない。カラスもトンビも死んじゃあいない。ただ、何日も前に数羽の迷い鴨が飛来した。その後で、死骸が上がった」

「遠い何処かで、病が流行ったか。その病原を運んだ野鳥がいたかも知れない」

 宋子が、したり顔で兎丸にのたまう。

「おーい、おーい」

 子供が二人、駆けて来る。

「どうした?」

 と、兎丸が駆け戻る。

「おらんの隣の子が、腹が痛いと泣いている。鴨を食った」

 兎丸は、宋子を抱き上げ駆け出す。その後に子供ら。頭上にカー助と黒カラスが数羽。

 滑川が目の前に迫っている。

「どうした? 兎丸」

 丸太屋嘉平が、人足を指図して働いていた。

「腹痛の子が出ました。どんな様子か、これから向かいます」

「よし、わしも行くぞ。平助、薬師くすしを連れて来い」

 気の利いた店の者に声をかけ走り出す。


 この貧しい家に、丸太屋嘉平が駆けつけ、薬師も来たと近隣は大騒ぎだ。留吉とめきちという男児が青い顔で寝ているが、鴨肉を食べたせいかは分からない。取り敢えず、薬が与えられ今夜は母親が見守ることになった。

「食わせてはならぬ。生水もダメだ。白湯さゆを与えよ」と注意して、明日また来ると薬師は帰った。

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