その6
八月の上旬で、居場所は一つの県の三分の一くらいにまで絞れていた。私は思っていたいた以上に早いと思っていたが、秋日くんは相変わらず浮かない顔をしている。
「県境の可能性は高いから、この県ですってのはなんとも言えない」と、秋日君は大きなため息とともに壁に貼られた地図をぼーっと眺めていた。
私には答えはもうすぐ側に見えるのに、秋日くんには遥か彼方に見えているように感じた。
「ここからは天気だけじゃ厳しい」
秋日くんはそう言い、頭の中のアイデアを両手で漁るように、ぼさぼさの髪を掻きむしり出した。
答えのない作業かぁ。と、見えないものと戦っている秋日くんを見て、私はこの前の言葉を思い出した。
ここから先、どうすればいいかなんて誰も教えてくれない。
その間もゲームの課金は続いている。すでにお弁当は一つ、四千円もする。一回、一回のタップが身を削るような作業だ。
私と彩花は、候補として残った部分を拡大した地図を描くため、近くの図書館に寄ることにした。
彩花と二人きりになるのは実は久しぶりだった。マンションのロビーで「二人でいいよ」と彩花が言った時、若林くんが心配そうに私を見て来た。
「私、本返してくるから、先行って席取ってて」
「本?」
彩花は手提げから、数冊の本を取り出し、私にチラっと見せた。
珍しいな。
本を読んでるところは見たことあるけど、本屋でいつも買ってたのに。図書館で借りてるところを初めて見た。
先に自習室に向かい、人もまばらだったので、隅っこの机を二つくっつけて彩花を待った。
窓の外、黒い雲がどんどんこっちに近づいて来ているのが見えた。雨が降るとは言ってなかったのに、本当、夏の天気は変わりやすい。
彩花、何の本を借りてたんだろう?
彩花の全部を知った気でいたからこそ、意外な一面に驚いてしまった。
「お待たせ」
彩花は地図の本を持ってやって来た。
地図ぐらい準備しておけばいいのに、ぼーっとしていた。
「あ、ごめん」
「何謝ってるの?」
と、言った彩花が、髪をかきあげながら椅子に座る仕草がなんか大人っぽかった。やっぱ、なんか変わった気がする。
その時、ふと「最近、彩花、何してるんだろう?」という疑問が湧いた。
このゲームに巻き込んで以来、そういう話、全然してないなぁ
地図の輪郭を取りながら、ボーッとそういうことを考えていた。シャープペンで地図の上半分を描いていた彩花と、下半分を描いていた私の線はぴったりと合致した。
「おお」と二人とも声を出して驚いた。一発で成功するとは。毎日、地図ばかりを見続けたからか、A1の紙なのに完璧に描けてしまった。
「最近、県の形とかさ、完璧に覚えちゃった」
彩花がマジックで清書しながら言った。
「この前、クイズ見てたら、なんかクイズ王の人よりも早く答えれた」
「あ、それ私も見てた」
私が言うと彩花が驚いたような表情で顔を上げた。
「私もすぐにわかった」
「あの、県が上下逆さになってるのも?」
「なんか、余裕だった」
「やっぱさ。天気作戦の副産物で、相当なマニアになってるよね」
「うん」
すると、急に彩花が黙り込んでしまった。「あれ?」と私が顔を上げると、真面目な思いつめた顔をしていた。
「どうしたの? 彩花」
彩花って呼ぶの、すごい久々だった。
「ねぇ、陽奈……最近、私、おかしくなかった?」
え?
どう切り返したらいいのか、分からず、一瞬固まってしまった。
「正直に答えてほしい。なんか陽奈が最近、私に思ってた事」
彩花は真面目な口調だった。というか、切羽詰まっている感じさえする。
「……おかしいって言うか、ちょっと話しかけづらかった、かなぁって」
私が歯切れ悪く言うと、彩花は「やっぱりか」と大きな溜息をついた。
「いや、でも、私がこんなのに巻き込んじゃったからだし……しょうがないよね。誰だって怒るし、私のせいだし。彩花も公園ですごい動揺してたし」
「いや、動揺してたの、ゲームの事じゃないんだよね」
「えっ、ゲームじゃない、って……」
「そりゃ最初はビックリしたよ。でもさ、私がドキッとしたのは……その……」
彩花が今度は急にモジモジし始めた。この雰囲気、見覚えがあるなと思ったら、あの公園の時の頼りなく見えた彩花だ。
「あの時、っさ。私が陽奈に冗談で「子供ができたの?」って言ったら、陽奈、返事しなかったじゃん」
「いや! あれは!」
「そりゃ、分かってるよ、私だって! 陽奈に子供なんていないけど。けど、数秒だけ、本気で信じちゃったじゃん」
彩花が、なにを言っているのかがよく分からず、相槌だけをうってしまった。
「そしたらさ、急にね、『あれ? 陽奈ってこんな背デカかったっけ?』って、陽奈が大人に見えてきたの」
「え? 彩花、いくつ?」
「160」
「161。あれ? 私のが大きいの?」
全然、気付かなかったか。中学から今まで、彩花の方がずっと背が高かったから、ずっと彩花が高いままで来ていると思っていた。
「私さ、陽奈って妹みたいな存在だと思ってたのよねぇ。でも、ずっとそうじゃ無いのかもなぁって、なんか若林くんと陽奈が修羅場ってる横で、ずっと考えてたのだよ」
そう言って、彩花はマジックをおいて、部屋の遠くを見た。
「そしたら、陽奈との距離が急に分からなくなっちゃってさ。なんか、喋れなくなっちまってな。図書館で本とか借りてしまったさ」
「その本、返してたの?」
「うむ」
彩花って、こんな子供っぽく喋ってたっけ。なんか喋り方に違和感がある。
「それで、なんか分かったの?」
「なんも」
彩花は「世の中甘くないのぉ」とマジックをまた持って作業を再開した。
「ただ。もう、陽奈の前で無理にお姉さんぶるのは止めようって決めた」
「いつ?」
「終業式の日」
会話は途切れて、私たちは作業に没頭し出した。
彩花は「人間関係って難しいよなぁ」とボソッと呟いた。うん。と、私もボソッと返した。
秋日くんのいう、空気抵抗のない世界の話が頭をリフレインした。
地図を描き終わった時は、六時半を過ぎていた。夢中で気付かなかったけど、図書館の入り口で、夕立が降り始めていることに、私と彩花は立ち尽くした。
「陽奈さぁ」
するとまた彩花が突然、話し始めた。
「若林くんのこと、どう思ってる?」
「どうって?」
「若林くん、陽奈のこと好きなんだよ」
「へ!」
「いや、何の興味もないのに、こんな子供探しに付き合うわけないじゃん。公園にも来ないっしょ」
「でも、あれは彩花が誘ったんじゃ?」
「誘ってねーし。塾休むって理由説明したら、くっ付いて来たんだし」
「なんか、怒ってる?」
「怒ってねーし」と、彩花に突然、背中を思い切り張り手された。それが本当に痛くて、思わず悲鳴が出た。
「傘持ってねーし」と嘆く彩花をよそに私は手提げから折りたたみ傘を出した。二人でバス停まで、その傘に入って歩いた。半分がものすごく濡れた。
「陽奈ってさ、傘持ってなかったこと無いよね」
「よく見てるね、そう言うの」
並んで歩くの久しぶりだ。濡れてることはそんなに気にならなかった。
「彩花」
「ん?」
「ドンマイ」
私がそう言うと、小さな舌打ちが横から聞こえた。
「本当、夕立大嫌い。日本の夏、最悪」
それから、バス停まで彩花は日本の夏の愚痴をベラベラと漏らした。
バス停に着き、屋根があるベンチに腰掛けると若林くんから連絡が来ていた。
「正彰からの伝言。今すぐ、調べて欲しい」
スピーカーで私も若林くんの声を聞いていた。若林くんの声はかなり興奮している。
「今日、夏祭りか花火大会をやっている街。今までに絞った範囲内で!」
「どう言うこと?」
「ゲームの向こうで花火が鳴った! 打ち上げ花火」
私と彩花は顔を見合わせた。
日本の夏が私たちに味方をした。
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