第2話

適当な買い物をすませた後、特に何事もなく自宅までたどり着いた僕は、玄関のドアノブに手をかけ、そっと引いてみる。


ガチャリという無機質な音をたて、動くことのない冷たい扉。ただ鍵がしまっているだけなのだが、その無機質な音が僕の心の中にある安堵と悲哀の感情を育ててゆく。


ふぅとため息をついた僕は、鍵をポケットから取り出して鍵を開け、再度ドアノブに手をかける。

やけに重さを感じる木製の扉を開け家の中へと入ると、そこには暗闇が広がっていた。


時刻は午後6時。街を眩しいほどに赤く染め上げる西日も輝きをなくし、空は休息の時間に入る。

そのため家の中が暗いのは至極当たり前なのだが、その光景に何処か既視感を覚えた僕は、そっと目を閉じ考えてみる。

いつも見ている暗闇だろうと言われてしまえばそれまでなのだが、僕はこの暗闇を他にも知っている気がしたのだ。


少し考え込んでしまったがそんなことをしている場合ではない。早く夕食の準備をしなければ、帰ってきた母を

リビングに足を進め、電気のスイッチを入れ視界が明るくなると、乱雑に脱ぎ散らかされた女性ものの衣服が目についた。


---まさか母が帰ってきているのか?


一瞬動揺したが、すぐにテーブルの上に置いてある書き置きが目に入った。


『涼へ。ごめんなさい、急遽出張が決まったの。一週間ほど家を空けます。食費は一万円以内なら好きに使ってください。たまには外食でもしてきてね。かあさんより。』


ふっと肩の力が抜けたような気がした。これで母に傷跡を見られずに済む。これで母の夕食の心配をしなくてもいい。そして、母が僕を気遣ってくれた。嬉しい、はずなんだ。

嬉しいはずなのに、心に穴が空いているような気がする。海底トンネルみたいな深くて、長い穴が。


とりあえず散らばっている衣服を片付けよう、その後は傷の手当て。

さっきの騒動で僕も二、三発殴られたから少し痛むからね。




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傷の手当てを済ませた僕は、もうすっかり暗くなった夜の街を歩いていた。

目的はとあるスーパー。といっても、食材を買うとかそういうわけじゃない。


そこそこ大きなスーパーは二重扉になっていることが多い。

まず一つ目の入り口をくぐると、そこには買い物カゴやらカートやらが置いてある独特の空間がある。そのさらに奥の自動ドアをくぐると、ようやく買い物ができるというわけだ。


僕の用事はその独特の空間。入ってすぐ横手に何やら怪しい、地下へと続く階段がある。特に案内板の類は見当たらないその階段を降りていき、見えてきたのは木製の扉。少し汚れているその扉、従業員専用スペースに見えなくもない扉を僕は躊躇なく開く。やけに軽い扉からチリンチリンというベルの音が鳴り響き、僕を優しく迎え入れる。

中は少し狭い喫茶店のような空間になっており、僕から見たらとてもお洒落な雰囲気だ。中に客はおらず、奥にあるカウンターの中にこちらに背を向けた中年男性が一人いるだけだ。


「いらっしゃい」


男性がこちらに背を向けてままそう発する。

低く、それでいて何処か優しさを感じる声に安心感を覚えた僕は、笑顔でこう答える。


「久しぶり、マスター。」


その声を聞いた彼、マスターは勢いよくこちらへ振り向き、驚いた後に笑顔を浮かべて、


「涼ちゃん!久しぶりだねー!またきてくれて嬉しいよ!」


そう言ってこちらに笑いかけてくれた。


そんな彼を見て、僕はおもわず笑い声が溢れる。

マスターも同じ感情だったようで、笑い声が漏れる。

笑い声はだんだん大きくなって行き、お互い大声で笑い始めた。


ひとしきり笑い終えた後、カウンター席に座った僕は、メニューを眺め、見慣れないものがあることに気づく。


「マスター、またメニュー増やした?これで何度目だよー。」


「まぁまぁ涼ちゃん。これが結構自信作なんだ。よかったら食べてみてよ!」


マスターは笑顔でそう答える。

このマスター、新メニュー開発が趣味みたいなものでよくわからないメニューを作っては僕に試食させてくる。そしてほとんどが外れである。

素直に既存メニューでやればもっと客も来るだろうに。


「まぁとりあえず試してみるけどさ。」


「そういうと思ったよー!じゃあ作るから待ってて!その間に涼ちゃんの話聞かせてよ。」


「話って言ってもなぁ…」


そこで僕は先ほどの出来事を思い出す。

これはいい話の種になるんじゃないか?

そう考えた僕は、その話をマスターにすることにした。


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