愛飢えたゆえの青い春

@Shou_K

第1話

 目の前で人が殴られている場面というのは、正直あまり経験がない。


 放課後の校舎の裏で僕ではない他人が暴行を受けている光景に、自分の無力さを痛感する。


 僕自身、殴られ蹴られる理不尽には慣れ始めていたし、もはやに抵抗する気も沸かないほどある種、自分にとって理不尽とも言える暴力を受けるのは僕にとってどうでもいいことだった。

 もっとも僕が後でのが考えものだが。


 だが、全く関係ない他人が理不尽なを受けるのは別の話だ。

 彼を

 ただ遠巻きで眺めているのなら、今の僕からそんな感情は出てこなかったかもしれない。が、今暴行を受けている彼は僕を庇ってこんな目に遭っているのだ。


 ---僕のせいだ。僕のせいだ。僕のせいで


 頭の中はそんな考えでいっぱいになっていて、他に何をすればいいかとか、彼を助けなきゃ、なんて言う考えは浮かんでくるはずもなく、思考はバグって纏まらない。


「…フッ」


 僕を現実リアルに引き戻したのは、彼の口から確かに出てきた、嘲笑にも聞こえる微かな嗤い声だった。


(何故この状況で…)


 不良達もそれに気づいたのか、少しだけ奴らの手が止まる。


 そのタイミングで待ってましたと言わんばかりに、彼はケタケタと嗤いながら、それでいてゆっくりと立ち上がった。


 少しの間続いた彼の嗤い声は徐々に落ち着いていき、呼吸を整えたところで彼はゆっくりと口を開いた。


「おいおい、こんなもんかよ。あン?

 殴るんなら相手の心をグシャグシャに引き裂く様に徹底的にやんねェとよぉ、相手に付け入る隙与えちまうだろうがよぉ。お前らがやってんのは拙いおままごとレベルだぞぉ?」


 そう言ってギラついた目で奴らをみていた彼は、やがて耐えきれなくなったのか、大声で再びケタケタと嗤い始めた。


(気味が悪い)


 僕が彼に抱いた感想だ。

 こんな目に遭って、普通は奴らにひたすら許しを乞うとか、泣きそうな表情で奴らを睨みつけるとか、負けるのを承知で奴らに殴りかかってみるとか、そういう反応が普通じゃないのか。こんな状況で狂ったように嗤い続けるなんて、普通の神経じゃない。演技でもなければ狂っているとしか言いようがない。彼の表情が演技だとも考えられないし、気味が悪くてしょうがない。


 不良達も似たようなことを思ったのか何やら捨て台詞を吐きながら、足早にその場を離れていった。


 その様子を見届けた後、彼は嗤うのをやめ、こちらを一瞥してからゆっくりと不良達とは反対方向に向かって歩き始めた。


「あの…」


 反射的に僕は彼を呼び止めた。

 どんな状況だろうときちんとお礼を言わないのは人間として失格だと、昔そう教えられた。僕はそれを守らなければいけない。それに彼を


「…なんだ」


「助けていただいて、ありがとうございました。」


「…へぇ」


 そう呟いた彼は、またケタケタと嗤い始めた。

 気味が悪いがするべきことはした。自分もこの場を離れようとした時、今度は僕が彼に呼び止められた。


「お前、なかなか面白いな。」


「…は?」


 言っている意味がよくわからない。

 何故お礼を言っただけで面白がられなくてはいけないのか。


「どういう意味でしょうか。」


 僕は彼に聞いてみることにした。


「おいおい、そんなに警戒しなくてもいいだろ。

 俺は正直なんだ。面白いから面白いって言ったそれだけだ。」


「何故面白いのかを聞いているんです。」


「まぁそう睨みつけなさんな。話せるもんも話せん。」


 睨みつけているつもりはないのだが、僕は自分の思っている以上に感情が顔に出やすいらしい。


「んで、お前を面白いって思った理由だったか。

 簡単だよ、心ん中でどう思ってるかは知らないがともかく、お前は気味悪がらずに俺にきちんとお礼を言った。それだけだ。」


 別にお礼を言って欲しくてやってるわけじゃないけどな、と彼は続けて言った。

 なるほどと納得しかけたが、僕の中には疑問が残った。

 助けてもらっておいてお礼を言わない人間が存在するのか?

 いくら彼が変わっているとはいえ、助けてもらった事実に変わりはないはずだ。


「お礼を言わない人が、いるんですか?」


 僕はこの疑問を彼に投げかけてみることにした。


「そりゃお前、いるに決まってんだろそんな輩。

 俺でもこんなやつ近づきたくねぇもん。

 むしろお前みたいなケースの方が珍しい。

 俺とここまで会話したやつは家族以外でお前が初めてかもなぁ。」


 そう言って彼はまたケタケタと嗤い始めた。


 ひとしきり嗤い終えた彼は、息を整えながら口を開いた。


「お前、名前は。」


「僕は、神崎涼かんざきりょうって言います。」


 とくに拒む理由もないので素直に名乗る。

 これも礼儀の1つだと昔、教わった記憶がある。


「そうか、それじゃあ神崎。お前はなんで俺に礼を言うなんて奇特な行いをしたんだ?」


 この人は何を言っているんだろうか。そんなこと分かり切ってるじゃないか。


「昔親に、そう教わったからです。親に教わったことはこなすのが普通でしょう?」


「は?」


 彼の口元から笑みが消え、表情が険しいものへと変わっていく。

 僕にはその理由が、わからなかった。


「お前、俺に礼を言ってきた行動は親から教わったから。ただそれだけの理由か?」


「それ以外にないじゃないですか。」


 僕がそう言うと、彼は大きなため息をついた。

 僕はを言っただけなのに。


「神崎、お前って親が言ったことは全て正しいって思っているタイプ?」


 僕の頭の中にさらに疑問符が浮かんだ。

 この人はを知らないのか?



『涼、あまり親を。それがみんなやってるよ。』



「僕は親をだけです。だからお礼も教わったことを実行しただけです。」


「神崎お前、親をってことは親の言う礼儀とかをこなす事って思ってる?」


じゃないですか。」


 すると彼は一段と大きなため息をついてこう投げかけてきた。


「お前、親にわがままを言ったことは?」


「ほとんどないですね。ので。」


 親は、ものなのに。何故この人は…


「わかった、もういい。お前があんな目にあってたのもなんとなくわかる気がするわ。」


 彼は、僕に心底興味なさそうな視線をぶつけて彼はそう言った。

 わかる気がするというのはどういう意味だろうか。


「お前が見てる世界が狭っ苦しい、水槽でしか生きられないさ魚みてぇなもんだってのはよーくわかったよ。そんじゃな。」


 彼は僕に背を向けて歩き始める。


「待ってください。」


「なんだよ。」


「まだあなたの名前を聞いてません。名前を名乗ったら名乗り返すのが礼儀では?」


「それもお前がからか?」


 最初の気味が悪いと言う印象は何処へやら。僕はを疑問に思う彼に興味が湧き始めていた。だから名前を聞いておかないと、次に出会った時に僕が


「…如月きさらぎ如月翔きさらぎかける。」


「覚えておきますね。今日は、ありがとうございました。」


 僕がそう言うと、彼は舌打ちを打ってから僕から離れていった。


 さて…


「傷の手当てしないとなぁ。親をし。」


 そう呟いて、僕は帰途についた。


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