三通目 一目惚れ
名も知らぬ、美しい貴方へ
こうして、手紙を貴方に宛てて書いていることは、なんという不思議。しかし、私はこうすることでしか、貴方に私の心持ちを伝えることは、きっとできないのです。
私は貴方に初めてあった時、その白く、か細い指に心底感心いたしました。スッと差し出された釣り銭を、大事に私に見せるその手に、これまでに無い衝撃を覚えました。貴方のその、ぷくっとした頬に、後ろで束ねたまっすぐな黒髪。首を少し傾け、純粋な目で俯くその表情。「ありがとうございます」と、透き通る声。その全てが、どこか儚さを醸し出している。私は貴方のそのお姿に、一目惚れをいたしました。
しかし、どうも私は臆病で、肝が小さいわけで、あの時私は貴方にただの一言も、綺麗ですねとか、今度お茶でも、なんて気の利いたことはいえなかった。そうして、こうして手紙ならとこれを書いている始末です。どうか、この情けない男をお許しください。
私は今まで、こうして初対面の女性にアプローチをすることなんてただの一度もありませんでした。私はしがない大学の助手ですから、めっぽう女性と会う機会も少ないわけです。なので、一層、貴方に出会った時は驚きました。世の中には、こんなに美しい女性がいるものかと。できることなら、一度、貴方とお話がしたい、そう思いました。
人というのはなんとも不器用で、いざ対面するとその思いは怖じけずいて出てこないのに、こうして家で一人紙と向き合うと、こうもつらつらと言葉が出てくるものです。実際、私は貴方とお会いしても、これほどはっきりと美しいだの、愛しいだのとは貴方に言ってやれないでしょう。どうも、紙の上では自分が大きくなったように感じるのです。しかし、実際に合えば、その虚像は崩れ、私というちっぽけな存在で貴方の美しさに立ち向かわなくてはいけない。ああなんという恐ろしさ。
私は、こんなにも、貴方とお近づきになりたいと願っているのに。
臆病者より
追 やっぱり、私には貴方にこの思いを聞かせる勇気はございません。申し訳ない。名前は伏せさせていただく失礼をどうかご理解ください。そうして、貴方に見惚れる男が一人、いたのだなと知っていただけるだけで私は満足です。貴方は、この手紙以外にも、幾度となくそうした手紙を受け取っていることでしょう。しかし、その男たちの言葉を信用してはいけません。きっと、その男たちも、私のように虚像のまま手紙を書いていることでしょう。私は、途中でそれがやっぱり恥ずかしくなり、筆を止めました。私にもう少し勇気がつけば、今度声を掛けさせていただきます。
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