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また、いつものように仕事を終えて、帰路の途中でドーナツ店に立ち寄りドーナツを購入する。店員さんも常連客だと認識したようで、「いつもありがとうございます。」と丁寧にご挨拶までしてくれたりサービスをしてくれたりもする。
ドーナツ店以外に立ち寄る場所はない。あるとしたら生活必需品を購入しに行ったり食料品店に行くぐらいだが、そういった生活に必要な買い物はすべて休日に終わらせてしまう。
「味気のない生活」というものを、私は送っているように見えるのだろうか。
ここに引っ越してきてもう何年たったかわからないぐらいの年数がたった。気づけば会社の同期どころか部下たちが一斉に結婚をして退職をしていったり産休に入るなどの変化もあった。
女性として、気にしないことはないが、自分がもし結婚をして子どもも授かって、と想像する日もあった。けれど、私はその幸せを疎ましく思うほど、自分の「価値」として重要だとは思っていなかった。
また、踊り場でドーナツを食べる。この姿を見た人は、ほとんどの人こそ「変人」と思われるだろう。特に目の前には中学校がある。この数年間同じように行動して、注意喚起を受けないことも不思議だった。たが幸子さんが以前ここで食べていた時間帯は生徒や教師がいる時間帯。私がいる時間帯は仕事終わりになるので夜になる。もちろん、教師は数人出入りする姿を見たことがあるが、そこまで「危険」だと認知されていないのだろうか。
まあ、変なことは起こさないし起こす気もないが。
強いて言うなら、今日はいつもと違うことがある。それはいつものオールドファッションからエンゼルクリームに変えてみたことだった。
私のエンゼルクリームの意味とは。
私はただ、幸子さんを知りたいがために食べているドーナツ。あえてエンゼルクリームを食べるのには、幸子さんの心境の変化を探りたいという意味も込めての変化でもあるわけで。
なんというか、このエンゼルクリームは私にとって「嘘の象徴」。
自分に「嘘」を固めている証明として、エンゼルクリームがあると思っている。
それはエンゼルクリーム愛好家には失礼な話なのだが、私という存在は「オールドファッション」私を隠すものは「エンゼルクリーム」。自然と定義が完成していた。
それも自然に。幸子さんを知りたいと思っての行動が、自然にドーナツを自分の概念に宛がってしまっていた。
ドーナツは深い。
これも、自分が好きなものだからこその定義。
だけど、幸子さんはどうやって考えていたんだろう。
このドーナツを食べて、このドーナツにどんな思いを込めていたんだろう。
私はドーナツを「私」に当てた。だが、幸子さんはドーナツを「幸子さん」に当てたのではなく、「相手」に当てていた。
ふと、その考えが頭をよぎった。
ドーナツに込めた思いとは。
私は、自分が今まで恋愛に疎かったことはもちろん、対人関係を「興味を持てない対象」として感じていた。
だが、幸子さんを知りたいと切に願ったとき、私はその対人関係の知識が疎く、人を愛すという行為への深みを理解することができない自分をひどく懸念した。
加奈子ちゃんも、聡さんも、父と母も、前の母も、自分が理解する努力さえ怠ったのだ。
それは自分の中での「逃避」。
人を勝手に「価値」「順位付け」してしまった過ち。
自分は概念に偏り、価値にこだわり、自分を守り続けて人を勝手に選別してしまっていた。
それがこうやって踊り場でドーナツを食べて、ようやく気付くことができていた。
なんて傲慢な人間だったのだろう。
なんて自己中心的な考えなのだろう。
人を「許す」行為から、私は逃げ続けていたんだ。
それがたとえ自分の過去とリンクしていたとしても。
ひどく、許されることではない。
後悔しかない人生。今からでも修復したい。でも、勇気がない。
「人を愛す」ことに、私は飢えてしまっていた。
「人を受け入れる」ことに、未解決のまま葛藤し続けていた。
それが、後悔。
大切な人を思うばかりの知り得た、後悔だった。
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