2
仕事場のデスクでは、自分に他愛もない話を振りかけてくれる人はいなくなった。私が「能面課長」と呼ばれていることは、どの同僚も部下も上司もみんな知っていることだったらしい。いや、知っているといっても、陰で「言っていた」のだろう。時折視線をこちらに向ける人もいるが、私は気にしてはいない。
ただの仕事・ただの同僚。仕事がなければ出会うこともない人物たち。そんな人達に愛想をふるまうほど、人間は落ちぶれていないと思う。
なら、みんなの思っている「能面課長」になってあげよう。
その代わり、みんなへの興味はないし助けもしない。
若干、自棄になっているような気もしたが、それも深くは考えなかった。望み通り、自分の仕事をこなし、日々定時に上がる。傍らで焦っている部下を見ても、以前なら積極的に協力をしていたが、もう興味のない人には突き放すしかない。
ごめんね。でも、みんながそう望んでいることだから。
携帯を取り出した。
「今仕事終わったよ」
「カンパーイ!今日もお疲れ様!」
加奈子ちゃんは本当にお酒が強い。ものの数分で一杯目のビールを開けてしまった。
私は少しずつ、ビールを飲む。あまり強くはないからだ。
飲んでは仕事のことを話し合う。久しぶりに連絡をもらってからというものの、頻繁とは言えないが加奈子ちゃんと飲みに行くことは楽しいと思えるようになっていた。
同僚の話とか、仕事の内容とか、愚痴のようなものを話し合う。あっけらかんとして話している加奈子ちゃんを見ると、高校の時とやっぱり性格は変わっていないなといつも思う。
そんな加奈子ちゃんが突然、真剣な表情をしてビールを置く。急にさっきまで笑っていた加奈子ちゃんの表情がガラッと変わった。
「奈子ちゃん」
私の目をじっと見つめる。
「ごめんなさい」
加奈子ちゃんは、視線を落として私に頭を下げた。
「え?!どうしたの?」
加奈子ちゃんは、胸の内を語る。
「私、聡さんと別れたの。高校卒業してすぐに」
その言葉を聞いて、加奈子ちゃんは知ってしまったのだろう。
私は、加奈子ちゃんの心境を悟り、それ以上話すことをやめさせた。
加奈子ちゃんは、その場で泣いた。
聡さんが、他の女性と関係があると思い、携帯電話を調べたら私の名前があったという。悪いと思いながらもメールの履歴を調べたら、加奈子ちゃんが付き合っていたころより前に付き合っていたことを知ってしまったという。
他にも進行形でほかの女性と付き合っていたこともあり、ファミレスに呼び出して真相を吐かせたところ、私の知っている四股から二人増えて六股になっていた。メールを見て私が別れているであろうということはわかったが、まさか付き合っていた事実を知らないまま卒業式の時に紹介しようとしていた自分が情けなかったと。もしかしたら自分が付き合っていたから私が別れてしまったのではないかと危惧するが、真実をしってしまってからなかなか顔を合わせることも勇気が出ず、ようやく久しぶりにメールしようと勇気をもって連絡をしてきたのだという。
加奈子ちゃんは、専門学校に通って社会人になって数年間、私のことを悩み続けていた。そして数年間悩み続け、どうしても謝りたいという思いを秘めながら連絡をしてきたのだという。
加奈子ちゃんが、泣いている。
加奈子ちゃんは、悩み続けていた。
「ごめん」
これが、加奈子ちゃんがずっと抱き続けていた贖罪の意識。でも私は、加奈子ちゃんの顔を直視できず、謝罪の言葉を添えて金を置いて店を出た。自分が加奈子ちゃんの顔を見れなかったこと。それは、自分が抱いた加奈子ちゃんへの贖罪の意識に気づいてしまったということ。いや、今まで気づいていなかったわけではない。日々考え続けていたわけではない。その形こそ見えなかったが、「加奈子ちゃん」という優先順位は、私の中では今日まで除去することができなかった「順位をつけられない人」となってしまった。
それが、何故なのかよくわからない。ただ、気づいてしまったこの意識。今、自分がわかること。
私は、なんてことをしてしまったのだろうか。
自分が今までとんでもない人間であったことに気づいてしまった。
私は今まで、「嘘」に縛られていたのだ。
そして気づいたら、この場所にいたのだった。
ここが、何かを教えてくれるような気がしたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます