七、優先順位
1
無事、大学の入学式で答辞をすることができた。高校が同じ同級生から賞賛の声を聞くが、私は声をかけてくれた同級生の顔も、名前も知らない。一致させるほど情報もなく、適当に知っている体で返事をごまかしていた。
あの出来事があってから、幸子さんと会うことはない。入学式を終えてすぐ、あの帰路を歩いていた時、幸子さんの姿を見なかった。それからも、大学の講義が始まってからもあの帰路を使っているが、幸子さんの姿は見えない。
それが寂しい気持ちにもなった。けれど、今までとは違い、幸子さんを「捨てる」という選択に即決することができない自分がいた。
幸子さんを「捨てる」。それとも、「受け入れる」。
その優先順位を決めることに、葛藤し続けていた。
気づけば帰路であのアパートを見続けながら、ドーナツを食べて通る日々が続く。幸子さんの部屋のカーテンは閉まったままだ。高校の頃と比べると、同じ時間にその場所を通るということは難しい。だが期待してしまう自分もいた。
自分が思っている以上に、幸子さんは大人の恋愛をしていた。それが純粋に見えたことが、素敵な女性だと思っていた。恋愛を純粋に恋い焦がれている少女のような、素敵なストーリーが出来上がってしまうような、キラキラしたような、そんな偶像を幸子さんに宛がっていた。
だからこそ、葛藤しているのだ。
幸子さんに対する期待を勝手に押し付けていたこと。
でも、幸子さんが私を裏切ってしまったこと。
今までなら、勝手に捨てて終わりだ。関係を持たずにいることも、捨てる勇気もすぐ備わっていた。
だけど。
だけど。
だけど。
幸子さんは、私にとって本当に特別な人になっていたことは間違いない。それは迷っている私にでもわかっていた。
この答えを見つけられないまま、大学生活を終えるのだ。
私は、何年もその答えを見つけることができなかったのだ、いや、答えを見つけようとしなかっただけなのだろうか。
自分が、何を考えているのかわからない。
大学を卒業した。小林さんの事件が起きてからずっと私の学部ではお葬式ムード一色の日々が続いての卒業を迎える。
でも、私は何も思わない。それが昔あこがれていた小林さんだったとしても、抗うことを忘れた人はもうあの頃の人ではないと割り切っていた。
そう、割り切れたらいいのに。
まだ、幸子さんのことで悩んでいる自分がいた。
社会人になり、一年目は研修や慣れない業務を覚えるのに必死だった。それくらい忙しいほうが、自分の葛藤を忘れることができた。
でも、家に帰ると当たり前のように思い出してしまう。
辛い、苦しい日々を送っていた。
仕事を続けて何年も経ち、事務作業にも日々の業務にも慣れ、気づいたら課長に昇進していた。それまでの時間もあっという間だった。気づいたら部下がいて、気づいたら同僚が年をとっていた。日々追い込まれながら懸命に仕事をする自分にも慣れ、会社内の同僚や部下と触れ合うことも慣れてきたころに、信頼を大きく裏切ることが、今日起きてしまったのだ。
あの、人を「捨てる」という感覚がよみがえった。ただ茫然と昼休憩で自分の弁当を食べていた。何も感じず何も思わず、ただ、むなしさを痛感するだけ。
そんな昼休憩の最中、昼休憩の時、携帯に一通のメールが届いた。
「元気してるー?加奈子です!」
以前アドレスを消去してからというもの、ブロックをするという頭はなかったのでメールが頻繁に届いても無視をし続けていた加奈子ちゃんからのメールだった。ある日を境にメールが途絶えたのだが、それも気にすることはなく何年も音信不通が続いていた。
なぜか、そのメールを返信したいと思っていた。
「久しぶり。元気にしてるよ。」
送信すると、すぐにメールが届いた。
「もう仕事してる?よかったら今日飲みに行かない?」
その一報に応答しようとしている自分が不思議だった。今までならそんなことはない。無視を貫き通すだろう。
だが、心境の変化というものなのだろうか。応答しなければという「責任感」が働いた。
「いいよ。どこに行く?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます