6

 

 「ごめん、今日講義長引きそう!先帰ってて!」

 

 そんなメールが来るほど、悲しいものはない。いつもの場所、校門前で待ち合わせをしている最中に突然「ごめんなさい」のメールが届いてしまう。

 

 だから、そんなにも謝らなくていいって。

 

 そのままとぼとぼと、帰宅するのだ。

 

 しょんぼりと下を向いて歩く。この道は二人で歩くはずだった道だったのに。そう思いながら悲しみに浸っている。

 

 ふと、目線を下から上に、進行方向にまっすぐ視線を向けると、道端で煙草をふかしている女性が立っていた。

 

 どこかで見覚えがあると思ったら、いつもの踊り場の女性だ。

 

 聡さんと付き合ってから、聡さんと一緒に帰るときにはこのルートを使うことはなくなった。もっと大通りの、いろんなお店がん立ち並んでいる道を遣う。でも、一人で帰るときには、やはりこの道を遣うのだ。どんな時でもドーナツを忘れず、いつものように鞄から取り出して食べる。

 

 すると女性はこちらを見て手を振ってくる。地上に降りた姿を見られていなかったので違和感がある。何かあったのだろうか。

 

 「やっほー!今日はあんたに用事があるんだ」

 「私に?」

 「うん」

 

 女性は煙草を吹かしている。その横で私はドーナツを食べる。

 

 「あんたに話したいことあるから・・・あ、今日はドーナツは食べてないよ。なんとなく、今日はここで話さなきゃいけないって思ってたから。」

 

 女性は続けて話してきた。

 

 「・・・突然だけど、あの男はやめときな」

 「男?」

 「ああ。ほら、あの子だよ。あんたより年上っぽくて、一回一緒に帰ってたろ?あいつ」

 「・・・なんでですか?」

 「ん?女の感」

 「・・・。」

 「嘘嘘!冗談だって。あんたにはあんな男似合わないよ」

 「それはどういう・・・」

 「私、口下手でね。実際に見てみた方がいいと思うんだ」

 

 女性は「ちょいちょい」と手招きをしてきた。手招きされるがまま女性の歩く先をついていくと、いつも、下から見上げている踊り場についた。

 

 「ここからちょっと時間をおいて下を見続けてみな」

 

 女性の指示に従って下を見た。

 

 だが、私は女性が伝えたいことも気になっていたが、実際にこの場所に立てたことに興奮を抑えきれなくなっていた。

 

 普段では絶対に立つことがない場所で、今まで気になっていた女性が立っている場所に私が立っている。そこで何を見ているのかと気になっていた場所に立っている。地上からの景色とはまた違う景色が広がっている。

 

 初めて女性を見た時の場所。それがここ。ここが始まり。地上からでは校門や教師だけしか見えてこなかった場所も、ここからだと校舎の窓や、部屋の窓も見える。奥行きのある部屋も、遠目だが除くことも可能だろう。

 

 いわば、この瞬間は私にとって「見えない答え合わせ」のようなものだ。これほどまで、答案用紙を何回も再確認したいと思ったことはない。だが、実際に立ってみても、確実な答えが、見えてこない。

 

 「来たよ」

 

 女性が口に人差し指を立てて言う。その人差し指が道を指す。

 

 この場所に立てる喜びに溢れすぎて、本来の目的をすっかりわすれていた。女性が指した先を見る。

 

 その指の先には、聡さん。そして隣に加奈子ちゃんがいた。

 

 「あんたが、幸せそうな顔をしていて、私も嬉しくなってさ。見守ってあげようって思ってた」

 

 また、新しい煙草に火をつけた。

 

 「そしたらその次には別の女と歩いていた」

 

 煙草の煙を勢いよく吹かした。

 

 「次の日も、次の日も」

 

 一息吸った煙草の灰が、静かに崩れ落ちた。

 

 「あんた、あんな男は似合わないよ。もっといい男探しな」

 

 女性の言葉に、優しさを感じた。

 

 その人のやさしさに、私は答えたい。そう思った。

 

 携帯を取り出して、メールを打つ。

 

 「聡さん、今何やっていますか?」

 

 携帯をもって返事を待つ。彼は鞄から携帯を戸取り出し、操作をしている。すぐに返事が来た。

 

 「今まだ講義中だよ」

 

 何故か笑いがこみ上げる。「何々?」女性が携帯をのぞき込む。女性もその本文を見て噴き出した。

 

 「男って性懲りもねー」

 「そうですね」

 

 二人で笑った。下にいる彼にばれてはいけない。声を殺して笑う。だが、私は悲しみの涙を流すことはなかった。いや、泣けないのだ。

 

 彼は、私にとって最大の過ちを犯してしまった。

 

 だが、その過ちは「浮気」ではない。

 


 「で、どうするの?」

 

 女性は聞いてくる。彼と加奈子ちゃんの姿が見えなくなって、私は階段を降りながらゆっくりと考えた。

 

 「このままで」

 「え?!いいの?!」

 「いいんです。さっき一緒に歩いていたの友達なんです。友達を傷つけるようなことしたくないし」

 「でも、逆じゃない?それ友達に言った方がいいと思うよ」

 

 確かに現実を伝えることは、友人の将来にとってはいいのかもしれない。でも私には、

 

 「確認したいことがあるんです」

 

 たとえどんな事実であったとしても、黒でも白でもグレーでも。事実の根本はどうでもいい。

 

 聡さん、加奈子ちゃん、私はそこを重視しているわけではない。

 

 私は、嘘をついているか知りたいの。

 

 「彼はもういいんです。あとは友達の真意を聞きたい」

 「そういうことね。頑張んなさい」

 

 二カッと笑顔を向ける女性。

 

 「ありがとうございます」

 

 嘘は、魅力を減退させ、好奇心を抑制させる。

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