6

 

 リビングの扉が乱暴に開いた。入ってきたのは見知らぬ男性だった。

 

 「おじゃましまーす。あれ?なんか知らない子がいる。ちはーっ!」

 

 ギラギラしたエナメルのジャージをまとい、髪の毛は寝ぐせなのかぼさぼさの髪型の男性。中学生の私でも、その風貌にドン引きしてしまった。

 

 「・・・何しに来た。お前は出入り禁止だと」

 「だって陽子ちゃんがいいっていうから。おじさんには関係ないでしょ」

 

 そういうと奥から「ねえ先行かないでよ!」と、声が聞こえた。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 開いているリビングの扉から、懐かしい母の姿が見えてきた。

 

 「ただいまー」

 「陽子。お前いい年して何をやっているんだ!朝帰りなんて・・・。昨日は何をやっていた」

 「子どもじゃないんだから別にいでしょ」

 

 祖父が怒っている。久しぶりに会った母は、髪を茶髪に染めて、見知らぬ男性と同じジャージを身にまとっていた。母の面影はあったものの、家にいたころの清楚な母の姿はなかった。

 

 母らしき人物が、不気味な笑顔を見せながら、視線を私に向けた。母は心底驚いた顔をした。だが、笑顔を作り直した。

 

 「・・・奈子?奈子なの?!」

 

 そういうと一目散に私に駆け寄る。私の横に立ち、私の頭から足元まで見渡した。

 

 すると、私の頭に手を伸ばした。

 

 母は

 

 私の髪の毛を思いっきり引っ張り上げた。

 

 「おい!」

 

 おじさんがその手をはたき、私の頭を押さえた。私は何が起こっているかわからなかった。

 

 「あんたどの面下げてきたのよ」

 

 私に向けた笑顔が、不気味な笑顔に変わった。

 

 「ちょっとまて!お前だって戻ってきてすぐに反省していたじゃないか!そもそもこうなったのはお前に原因があるとわかっていなかったのか!」

 

 祖父が声を上げていった。

 

 「そう。確かに私が原因よ。「さ・ぎ・し」なんて、普通書くもじゃない。いつも私が言い聞かせてたから書いたのよ。それぐらい私でもわかるわ」

 

 リビングに座り込み、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。ふうっと息を吐き、リビングに煙草の臭いが充満した。家で母が煙草なんて吸ったことなんて見たことがなかったので、私の目の前にいるのが「母」だと思えなくなっていた。

 

 「そもそも」

 

 ニヤッと笑う。

 

 「あんたが私にそっくりなのがいけないのよ」

 

 見知らぬ男性が「ぷっ」と噴出した。

 

 「あんたが昔の私に性格も見た目もそっくりだからいけないのよ。家に帰ってきてすぐは「私何やってたんだろう。」そう思っていたわ。でも、そもそもあんたがあんなこと書いてさえいなければ、あんたがいつも通りの生活を送っていれば、こうなることはなかったんじゃないの?」

 

 「お前ってやつは・・・自分を棚に上げるな!」

 

 祖父が声を荒げた。隣で私を抱きかかえてくれているおじさんも、さっきまでの優しい表情が一変して険しい表情になっていた。

 

 「ごめんなさい」

 

 私は、それしか言えなかった。

 

 「わかればいいのよわかれば。あんたが全部悪いの。私から夫も、義則も、全部奪った。本当なら」

 

 立ち上がって、母が私の顔の目の前まで顔を近づけた。

 

 「あんたが「ここ」に、いればよかったのよ。」

 

 見知らぬ男性は、高笑いした。

 

 「はーっマジであり得ない。気分悪いから、外で遊んでくる」

 

 そういうと祖母の湯のみに煙草の吸殻を入れて立ち上がった。

 

 男性と、母が部屋を出ていき、玄関に歩いていった。

 

 「・・・待ちなさい」

 

 祖母がボソッと言った。途端に、祖母が立ち上がり母の元へ足音を立て駆け寄った。

 

 リビングを出た祖母の姿が消えたとたん、「ぎゃっ」という母の声がした。慌てて祖父と叔父と玄関に向かうと、祖母が、母の髪を今にも引きちぎるかのようにして神を引き上げていた。


 祖母の表情は、冷静を装っているように見えたが、静かに、憤りを滲み出すような強面だった。

 

 「あんたが私の娘ということは、今日限りにします」

 

 祖母が言い放った。

 

 「痛い!離して!」

 

 祖母はまだ髪を引っ張っていた。そのまま私の方に視線を向け、「本当にごめんね」そう言った。

 

 「あんたが、奈子が「ここにいるべき」というなら、私が奈子を本当の娘のように育てます。そうすると娘の枠は、もう埋まる。あんたはもう」

 

 祖母の母の髪を掴んでいない左手が、握りこぶしを震わせていた。

 

 「・・・あんたは私の娘じゃない。自分を顧みずに、自分とそっくりだからと言って貶して、自分の娘一人大事にしないような女は、もう私の娘じゃない。荷物をまとめて出ていきなさい」

 

 母は、一気に青ざめた。

 

 「でも」

 「あんたがこの家に帰ってきて、私たちも思う所はいろいろあった。あんたの奈子に対する「謝罪」の言葉を信じて、更生してくれることを願っていたさ。それがどうだい。家に帰ってきてからはろくに働かず家のこともやらず、いい年して昼まで寝て夜は遊びに行き朝帰り。終いには男まで作って」

 「母さん!奈子がいる!」

 

 祖母はハッと気づいて言葉を止めた。おじさんが私の前ということもあってか、祖母の言葉を遮った。

 

 「とりあえず、ここはもうあんたがいる場所じゃない。奈子にふさわしいと思うなら、私たちはこの子を受け入れる。あんたが母親として、最後に奈子にしてあげられることと言ったらこういうことなんじゃないの?」

 

 祖母は、母に諭していた。いや、諭していたというよりも、憤りを見せることすらあきらめているような。そんな様子だった。

 

 「やだ!やだ!なんで!」

 

 母はドタバタと足を踏み鳴らした。泣きじゃくり、駄々をこねている。まるで、大きい子どものようだった。

 

 その姿は、もう母ではない。

 

 ただの腐った大人だった。

 

 今日、あれだけ母に会うことを楽しみにしていたり、緊張していたりしていたのに。時間の無駄だったと。今まで自分がずっとあの時から、母に対して謝罪の気持ちを背負いながら生きていたことが無駄だったと。

 

 私はもう母に対して、何も思えなくなっていた。

 

 子どもでもわかる。あれは大人ではない。ただ自分の欲を追求しているだけの、ただの生きた物体だ。父も、祖父母も、おじさんも、すべての人がこの人の「嘘の謝罪」を信じて待っていたんだ。

 

 その期待を、唸った声で打ち消したんだ。

 

 母に対する魅力や期待、私の過去のしがらみがすべて馬鹿馬鹿しく思ってしまった。

 

 

 「もう、帰ります。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、今日は本当にありがとう。会えて嬉しかったです」

 

 鞄を持って靴を履いた。力尽き、しゃがみこんでいる母らしきものを一瞥し、そのまま横を通り過ぎた。

 

 「待ちなさいよ!なによその目!」

 

 そういうと私の背中を突き飛ばしてきた。慌てておじさんが駆け寄ってくれた。

 

 「あんた母親に向かって」

 「今日から、もうあなたは母親ではありません」

 

 母は青ざめた。おじさんも祖父母も驚いた表情を見せた。今まで反抗的な態度すら示すことのなかった私が、そういうセリフを言ったことに驚いたのだろう。

 

 「もう、母親じゃありません」

 

 隣で立っている男性を見た。父というものがありながらこのような男と付き合っていることさえ憤りを覚えない。母らしき女は、嘘をついて周りをかき乱し、その罪も過去の罪も全部私に擦り付けるのだろう。彼女は「私に似ているから」と、また言い訳をするだろう。

 

 そんな腐った嘘つき女、私の人生にいらない。

 

 「さようなら。お元気で。父には、このことを報告させてもらいます」


 その瞬間、母らしき女は泣きついて私の膝にしがみついてきた。


 「お願い!それだけは言わないで!お願い!お母さんの言うこと聞いて!」

 

 汚いものが、私の足元にいる。

 

 「汚い。嘘つき女」

 

 嘘をついた人に、魅力はない。

 

 掴まれている足を、もう片足で蹴り飛ばした。指を上からガンガンとけり落した。

 

 「汚い汚い汚い汚い」

 

 やっと手を放した。祖父母も叔父も呆気に取られていた。

 

 さようなら、私のお母さん。

 

 そのまま玄関を出ようとする。おじさんが慌てて駆け寄ってきた。

 

 「待ちなさい。おじさん今日暇だから、家まで車で送っていくよ。高速使ってもそんな遠くないし、小さな旅になる。気晴らしにおじさんとドライブしよう」

 「・・・」

 「ハイ決まり!鞄取ってくるからちょっと待ってて!」

 

 おじさんは、いつもの笑顔で話しかけてきた。急いで鞄を取りに行くおじさん。祖父母は私を心配そうに見つめてくる。

 

 「今日は本当にありがとう。また、会いに来るね」

 「ああ・・・。元気でな」

 

 祖母は泣いていた。祖父は複雑な表情を見せる。

 

 「さ、行くぞ!おやじ、おふくろ、ちょっと行ってくるわ!」

 

 おじさんに手を引っ張られ、車で家まで送ってもらった。




 

 帰路は何時間もあった。その道中、おじさんと他愛のない話をしていたが、ほとんど覚えていなかった。

 

 家に着いたのは夜だった。

 家の前で車を止めた。

 

 「おじさんはここで帰るよ。元気でな」

 「本当にありがとうございました。こんな遠くまで送ってもらってすみません」

 「いいのいいの。ついでにこっちの友人に会いに来なきゃいけない用事もあったから丁度よかった」

 「ありがとうございます」

 

 私は車から降りた。

 

 「奈子」

 

 ドアを閉めようとしたら、おじさんが声をかけてきた。

 

 「・・・元気でな」

 「はい。また遊びに行きます」

 

 ドアを閉めると、おじさんは手を振り車を走らせた。


 私は車が見えなくなるまで手を振った。

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