3

 授業が終わって、担任の先生に呼び出された。職員室に行くと、先生が「こっちこっち」と、手招きをする。

 

 「先生、ご用はなんですか?」 

 「奈子、最近悩んでることとかないか?」

 

 そう尋ねてくる先生の真意がわからなかった。私何かしたかな。悪い子に見えたかな。自分が悪いように見えたことの心配が頭をよぎった。

 

 「先生、私何か悪いことしましたか?」

 「いや、そうじゃないんだ。お前は勉強も運動もなんでも頑張るとても良い生徒だ。だからこそ、最近悩んでいるかなって、先生気になっちゃって」

 

 ほっとした。先生に良い生徒だと思われていることの喜びを感じた。

 

 「ないですよ。毎日楽しいです」

 「学校もか?」

 「はい」

 「家ではどうだ?」

 「はい、楽しいです」

 「・・・そうか。もし何かあったら先生に言えよ」

 

 先生に「ありがとうございます」そういって職員室を出た。担任の先生が何を真意としてそんなことを聴いてくるのか、意味がわかっていなかった。



 

 「本当に奈子ちゃんは良い子ですよね。加藤先生がうらやましいなぁ」

 「・・・でも、これ見てくださいよ」

 「あ!「将来の夢」ね、懐かしいわぁ・・・・え?」

 



 私の将来の夢は決まっていた。親の言いつけを守る良き娘を演じるために、それが正しい選択だと思っていた。

 

 当時、私は親の言うことの良し悪しが分別できないほどに自我もなく、「詐欺師」と書いていた。

 

 それが、良き子どもの象徴で、価値があると思っていた。



 


 帰宅すると、家から怒涛の声が響き渡った。母と祖母が言い争いをしていた。「ただいま」そういうと足音を立て、憤慨した母が真っ先に私の頬をひっぱたいた。

 

 「この恥さらし!」

 

 母はいつにもまして憤慨していた。力いっぱい張り手を喰らい、玄関の壁にぶつかって倒れこんだ。

 

 「あんたはどれだけ家族を馬鹿にすれば気がすむんだ!なんで学校であんなことを書いたんだ!」

 

 息を荒くして母は怒鳴った。私は何のことで怒られているのかわからずに頭が真っ白になっていた。

 

 玄関から見える廊下で、先に帰宅していた弟がを私に指を指して「バーカ」と口パクで言っている。

 

 「待ちなさい!」

 

 祖母が後から駆けつけてて、倒れている私を抱きかかえてくれた。

 

 「いい加減にしなさい!あんたが奈子に今まで何を言ってきたかがよくわかっただろ!奈子はあんたの言いつけを守って「詐欺師」になるって書いたんだ!あんたが言わなければこういうことにならなかったんじゃないのか!!!」

 

 普段は静かに母に物を言う祖母が、声を張り上げて母を叱責した。母は「うっ」と引いた。

 

 「・・・私のせいじゃありません。全部この子が悪いんです。」

 「あんたが嫌いだと言っている嘘をつくな!あんただってこうなった経緯が自分にあるっていうこともわかっているだろう。ちゃんと奈子を見てこなかった罰だ。恥を知るのはあんたの方だ。・・・この件は、義正に私から伝える」

 

 そういうと、母は一気に青ざめた。父に知られるのが怖い様子だった。


 祖母はそういうと、倒れこんでいる私の身体をゆっくり起こし、私の頭にやさしく手を置いた。

 

 「あんたの嘘は、人のための嘘だ。」

 

 そういってくれて、いつものように頭をなでてくれていた。

 

 「おばあちゃん、ごめんなさい。」

 

 涙があふれ出てくる。私は母にも怒られ、祖母も怒らせてしまった。

 

 ただ、泣いてる私の様子を見て、母も祖母も驚いた様子だった。


 当時の私は泣くことすらなかった。

 

 その時のことはよく覚えている。「詐欺師」と書くことに何のためらいもなく、ただ良き事だと思っていた自分がまさか母や祖母に不快な思いをさせてしまっていたこと。そして「良い子」の行いではないことに耐えきれなくなってしまっていたこと。

 

 それがすべてあふれ出た。ただ、涙を流していた時の表情が、眉毛一つ曲げることのない「無表情」であったと、祖母は衝撃を受けて心配していたという。

 

 「・・・靴を脱ぎなさい。さっさと手伝いを・・・」

 「・・・っ!あんたはいつまで奈子を馬鹿にすれば気が済むんだ!それでも親か!」

 

 また、祖母が吠えた。

 

 「・・・奈子、今日はおばあちゃんとご飯を食べに行こう。ゆっくり話をしよう。おじいさんも会社を早めに上がってもらえるように言っておこう。・・・義則、お前はわかっているね。お母さんと今までお姉ちゃんに何をしてきたか、家で話していなさい。」

 

 廊下にいた弟に、祖母は低い声で話しかけた。廊下で隠れるように見ていた弟は、祖母の怒った表情を見て「・・・はい」と小さく返事をした。

 

 「さ、出かける準備をしておいで。」

 「まっておばあちゃん。外でご飯なら、みんなで行こうよ」

 

 祖母は複雑な顔をした。私は腕で涙を拭いて、笑顔を作った。

 

 「ね、義則もかわいそうだよ。私はいいから義則を連れて行ってあげて」

 「・・・奈子、今日何の日か知っているか?」

 

 祖母の顔が今にも泣きそうになっていた。どうしてそんな顔をするのかわからなかった。

 

 母は、思い出したかのように表情を青ざめた。

 

 「今日は、奈子。お前の誕生日だよ」

 

 私は自分の誕生日だということをすっかり忘れていた。母に祝ってもらうことはなかったし、それも普通だと思っていた。お姉ちゃんだから。弟は誕生日をお祝いすることは当然だと思っていたから。でも祖母は、誕生日を祝おうとしている。

 

 「でも、私お姉ちゃんだから、誕生日は祝うものじゃないんだよ。」

 

 祖母は膝をガクッと落とし、声を上げて泣き出した。


 

 祖父母からは誕生日に「誕生日プレゼント」をもらう。でも、母からも父からももらったこともないプレゼントを、本当にもらっていいものかと悩み、「いらないよ。ありがとう。」そういって断っていた。もらっちゃいけないものだと思っていた。


 「どうしてもおじいちゃんもおばあちゃんも受け取ってほしいな」そういってしぶしぶもらうのだが、そのプレゼントを開けちゃいけないような気がして、部屋の片隅にずっと未開封のまま置き続けていた。

 

 大人になってわかる話だが、私の誕生日プレゼントは父曰く母から「渡した」と報告を受けていたようで、父も仕事で多忙であったことから誕生日の日に「誕生日おめでとう」といわれていた。

 

 「おばあちゃん、ごめんなさい」

 

 泣いている祖母にかけてあげる言葉がこれだけしか思いつかなかった。

 

 「いいのよ・・・だから食事に行くの。誕生日は兄弟なんて関係ないの。お姉ちゃんだからって我慢する必要はないの」

 

 祖母は母をにらみつけた。母はそそくさと台所に戻っていった。

 

 「さ、出かける準備しておいで」

 

 廊下にいた弟は、すれ違った時に私の裾をつかみ、「ごめん」と小さい声で言った。弟も涙を流し、今までに見なかったような優しい目でこちらを見てくる。

 

 「・・・ねえおばあちゃん、やっぱり義則も一緒に連れていこうよ」

 

 その瞬間、弟は「わああああ」と泣きだした。

 祖父母は「しょうがないね」と、いつものように笑ってくれた。

 泣きじゃくる弟の手を引いて「行こう」一緒に部屋にいって服を選んであげた。


 母は、台所から姿を現さなかった。




 

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