第61話 家系図(後編)
これはどういう事だろう。クレオパスはただただ呆然とする事しか出来なかった。
「どうしたワン? クレオパスくん。大丈夫かワン?」
カーロは何が何やら分からないようで——説明していないから当たり前だ——オロオロしている。
仲間外れにするのは良くないのでカーロにも家系図を見せる。そして説明もした。
「改名したのかワン?」
あっさりとそう言われるが、そうなのだろうか。クレオパスにはよく分からない。
とりあえず説明が欲しい。そういう気持ちを込めてエルピダの側近を見つめる。
「きちんと説明するから」
よほど凝視していたのだろう。苦笑をされる。
「その前に、これを見て欲しい」
そう言ってまた紙を渡される。開いてみると、同じような家系図だ。でも年が違う。先ほど見せられたものの一年後のものだった。
見なければいけないのが同じ欄なのはわかる。なのでそうした。そしてまた息を飲む。
『タキス』の名は消えていた。と、いうかホンドロヤニスの子供の欄が完全になくなっている。
では、自分は、と今度はイアコボスの下の部分を見てみる。
そこにはきちんと自分の名前、『クレオパス』が記されていた。でも、師匠と自分をつなぐ線は実の親子を示すものだ。養子ではない。
これは、どういう事だろう。クレオパスはやっぱり呆然とする事しか出来なかった。
「あの……」
自分でも戸惑いすぎていると分かる声で問いかける。
エルピダの側近はその様子を見て苦笑している。
「一番大事な事なんだが、記録上では、もう『ホンドロヤニスの子供』は存在しない事になっている」
確かにこれを見る限りそうなっている。でも、それはある意味では問題ではないのだろうか。
どうしてこんな事になったのだろう。
やはり説明が必要だ。説明すると言ってくれたのだから詳しい事は聞けるはずだ。クレオパスは真剣な表情でエルピダの側近を見る。
「ホンドロヤニスの処刑後にその子供をどうするかという話し合いがあったんだよ。主にメラン一族の者達だったが、事件に関わったという事でシンガス一族からも何人か参加していた」
参加していたのは当主、その姉と妹、そしてそれぞれの長子の六人だったそうだ。
「メラン一族はいろんな階級の者が参加していた。もちろん、イアコボス様も参加していたぞ」
師匠がそこにいたというのは予想は出来ていた。そうですか、とだけ答える。
「机がぐるりと円を描くように並んでいた。その真ん中の空間にホンドロヤニスの子が座らされていた」
あれは異常だった。まだベビーチェアに座っている子供をあんな所に座らせるなんて鬼畜の所業にしか見えなかったと言う。
まるで見てきたかのような言い方をする。そう思ってクレオパスは自分の勘違いに気づいてしまった。
彼は実際に見てきたのだ。
シンガス一族の次期当主の顔は知っているし、当主の妹の一番上の子供は女性だ。つまりそういう事だ。
彼はただの王族の側近ではなく、エルピダの長男なのだ。
もしかしたらエルピダの側付きとして着いてきたというのもクレオパスの勘違いで、シンガス一族当主の使いだったのかもしれない。
それでも、ここで勘違いを訂正するのは話の骨を折る事になるし、クレオパスが無知だという事を晒す事にもなる。
だから心の中でそっと訂正するだけにした。
それでも彼ほどの身分の高い人がわざわざクレオパスに説明しに来てくれたというのは本当にありがたい事だとも思う。
それだけはしっかりと心に留めておく。
それより自分の話だ。そういう話し合いが持たれたという事は、やはり自分は邪魔者扱いされていたという事だ。
「やはり、『ホンドロヤニスの子供』への反応は厳しいものだったんですか?」
自分の事だが、『私の』とは言いたくないので他人行儀な言い方をする。
「そうだな。あんな事もあったし。処刑しろという声も少なくはなかった」
やっぱり、と心の中だけでつぶやく。
「ひどいよな。相手は何の罪もないたった一歳の子供だという事を忘れているんじゃないかと思ったほどだったよ」
「仕方がないですよ。呪いをかけられてしまったようなものです。厄介者になるのも少しわかる気がします」
苦笑まじりにそう言ってみるが、声が上ずってしまった。同情の目を向けられる。いたたまれない。
きつく唇を噛みしめた。
「クレオパス!」
厳しい声で注意される。何を考えているのか彼にはお見通しなのだ。
とりあえず謝っておく。でなければ話にならない。
それに続きが気になる。なので姿勢を正す事で改めて聞く体制になる。
「それで、みんながあまりに酷いものだからイアコボス様がブチ切れて……」
「え?」
今、思いがけない言葉が聞こえた。
師匠は基本的には温和な人だ。間違えても会議の途中で『ブチ切れる』ような人ではない。
ついぽかんとしてしまう。
「それはどういう事でしょうか、バシレイオス様」
驚きすぎて名前を呼んでしまった。
バシレイオスが目を見開いた。そしてクレオパスを一瞬だけまじまじと見る。
その視線の意味はわかる。『知ってたのか』だ。
クレオパスは小さく頷いてそれに答える。心の中では『知らなくてすみませんでした』と謝っておく。
「言葉の通りだよ。クレオパス。イアコボス様はあの状況に本気で怒っていた」
他にも数人が憤りの表情をしていたそうだが、一番最初に動いたのは師匠だったのだそうだ。
「あの時の言葉はよく覚えているよ。『「ホンドロヤニスの子供」がいなくなればいいんだろう?』から始まって……」
『だからこのガキを処刑すればいいんだ!』などと言って反論する人もいたが、すごい気迫で黙らせていたそうだ。
相手は上流階級だったかもしれないのに、中産階級でしかない師匠が噛み付いて大丈夫だったのだろうかと心配になる。実際に大丈夫だったから師匠はクレオパスを手元に置けたのだろうが。
「それで、どうしたワン? なんかいい解決法でもあったんですかワン?」
カーロが心配そうにそう尋ねる。
「はい。あの時、誰にも思いつけなかった事を」
バシレイオスは笑顔でそう答えた。
「実際に何をしたんですか?」
「君を抱き上げて、みんなの前で『この子は私の子、「クレオパス」だ』と魔力に乗せて宣言したんだよ」
「……は?」
口から小さな吐息が漏れる。それもなんだか遠くで聞こえる気がする。
これは現実なのだろうか。それとも都合のいい幻想なのだろうか。
「そんな……事が……」
「あったんだよ。実際に魔術は発動した。だからこうやって記録が書き換えられたんだ。今のお前はイアコボスの実子だというようになっている」
そう言いながらバシレイオスは二枚の家系図を指し示す。そうやって現実を教えてくれているのだ。
それでもまだ本当の事とは思えない。
こんな事があっていいのだろうか。こんな事が起こってもいいのだろうか。
でも、クレオパスは実際、それに守られていたのだ。
「父さんが……」
それだけしか言えない。でも、それで十分のような気もする。
「血の上の事は変わらないよ。でも、お前の名前が『クレオパス』である限り、ホンドロヤニスの最後の魔術の件については何も心配いらないって事は言っておく」
今はその言葉に『はい』としか答えられない。でもその言葉は返すには安易すぎる。だから黙っておいた。わけのわからないまま同意をするのはいい事ではない。
沈黙の中、いろんな思いがクレオパスの中を駆け抜けていった。
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