第59話 魔術のことば

 獣人家族から視線が飛んで来るのを感じる。これは同情の視線ではない。そして、結構厄介なものだった。


 原因は先ほどのルーカスの失言だろう。あれに関しては魔力持ちでない者にはあんまり教えるべきではない。


 教えたからと言ってどうなるものでもない。だが、魔術の知識は基本的には魔術師同士で共有し合うものだ。そうすれば今回のような事は防げる。


 どうしたらいいのだろう。先ほどは混乱している事もあり、ミーアの『お願い』につい頷いてしまったのだが、話しても大丈夫なのだろうか。


 そっとエルピダの側近の方を見る。彼なら話していいのかいけないのか指示してくれるだろう。


「話してもいいですよ。この魔道具の会話は当主様も事前にきちんと聞いています。獣人様方に聞かれたくないのであればクレオパスだけに聞かせろと命令が下っているはずです」


 ミュコスの『国王』に当たるシンガス一族当主が何も言っていないのなら問題はない。クレオパスは改めて獣人家族に向き合った。


 とはいえ、どこから話せばいいのか分からない。


「えーっと、何か聞きたい事はありますか?」


 おかげで変な言い方になってしまった。その途端にみんなから、『えーーーーー!?』とでも言いたげな視線が飛んで来る。


「クレオパスさん、とぼけてるの?」


 ミーアが厳しい視線と声で責めて来る。


「い、いや、とぼけてない、とぼけてないから!」


 だから睨まないで欲しい、と心の中だけで叫ぶ。


「で、でも、おれ達には常識的な事でも、みんなにはよく分からないって事だってあるかもしれないし、だから質問してくれた方がありがたいというか……その……」

「に゛ゃぉおーー?」


 慌ててるのが怪しく見えたのだろう。ミーアが低い声でうなった。クレオパスは小さくなってしまう。


「こら、ミーア、そんなにクレオパスくんを責めちゃ駄目でしょ!」


 ミメットがミーアを叱っている。


「『言葉を魔力に乗せる』ってやつだけどさ」


 リルがため息を吐いてから話し始める。


「うん」

「クレオパスさん、いつもそれやってない?」

「え?」


 つい聞き返してしまう。『どういう風にやるの?』と聞かれるとは思っていたが、こう聞かれるとは思っていなかった。


「やってないよ」


 素直に返事する。


「やってるじゃん! 《ゲンガノカビヲトリハライタマー》とか」

「それは呪文だよ! 詠唱だよ!」


 そして何の呪文を言っているのかは大体分かるが、微妙に発音が間違っている。


「どう違うの?」


 リルが首を傾げている。他の獣人たちも分からないようで困った顔をしている。


「意味のない言葉を喋ってるって事?」

「意味はありますよ。ただ、会話には使わないんです」


 カーロの質問に答えると獣人家族は揃って不思議そうな顔をする。会話に使わない言葉があるというのが理解出来ないのだろう。クレオパスからすれば、神聖な魔術に使う言葉を会話に使うなんて罰が当たりそうだと思うのだが、きっと理解などしてもらえないはずだ。


「とにかく、魔術の『呪文』というのはそれ専用の言語で唱えるものなんです。……


 わざと、『普通は』と強調する。


 ミーアが小さくぴくりと震えた。怖い話だと思われてしまったのだろうか。大丈夫だよ怖くないよ、とでも言ってあげるべきなのだろうか。でも、今の流れでそんな事を言えば、『本当は怖い話なのではないか』と曲解されてしまうような気がする。


「普通じゃないやり方もあるの?」


 ミメットが尋ねてくる。


「あるにはありますよ。難しいですけど」

「クレオパスくんは……」

「出来ません。どんなものかは知っていますが、詳しいやり方はまだ教わってないので」


 隠す事もないのできっぱりと答える。リルが『大丈夫なのかこいつ』と言いたげな目でクレオパスを見て来るが気にしない事にする。


「よほど実力がついて来ないと教わらないものですよ」


 エルピダの側近が補足してくれる。ありがたい。


「そうなんですか?」

「はい。実は私もまだ学んでいないんですよ」

「え!?」


 思わぬ発言に、クレオパスも獣人家族と一緒に驚いた声を出してしまった。


「だって私まだ三十代ですよ」


 エルピダの側近が苦笑しながらそんな事を言う。


 どうしてかは分かる。それくらいそれを『知る』というのは危険な事なのだ。

 それでも意外だった。間違いなく上流階級にいるであろう彼が学んでいないはずがないとクレオパスは無意識に思い込んでいたのだ。


「だったら十六歳のクレオパスくんが知らなくても無理はないって事か」


 だが、彼がそれを暴露してくれたおかげで、クレオパスのダメイメージは多少は払拭されたようだ。


「誰が出来るか出来ないかとか関係ないの! リル達が知りたいのはそれが何なのかなの!」


 リルが少しだけ怒ったような声で話を戻す。おまけにクレオパスに向かって軽く威嚇している。


「リル、やめなさい!」

「リルなんにも間違った事言ってないでしょ!」

「クレオパスくんに向かって唸るのをやめなさいって言ってるの!」

「……はぁい」


 ミメットに叱られリルがふてくされている。


 うちの子がごめんね、と謝られるが、リルの言っている事は間違っていない。


「ごめん、リルさん。でもね、それだけ危険なものだって言ってるんだよ」

「危険!?」


 獣人家族が声を揃えてクレオパスの言葉を繰り返した。


「何で?」

「『言葉に魔力を乗せる』の『言葉』っていうのは『普段使っている言葉』という意味だから」


 それだけ言っただけでは分からないのだろう。皆がきょとんとしている。


「それは『ミュコス語』って言葉でって事?」


 ミーアが尋ねて来る。


「まあ、それもあるけど、それだけじゃなくて、自分が普段使っている言葉でって事。だから魔力を持っていれば獣人共通語でも……いや、猫語や犬語でも出来ると思うよ」

「へぇー? すごいね」


 リルはよく分からないようで感心をしている。


「それってどうやるの?」


 ミーアは少し警戒するような口調で尋ねて来る。


「おれも知らないよ。使えないって言っただろ」


 そうとしか答えられない自分が悔しい。


「でも危険だって事は知ってるってさっき言ってたわよね?」


 ミメットはそこを忘れなかったようだ。でも、それは大事な事なので突っつかれるのはとても助かる。だから素直にうなずいた。途端にミーアの目が少しだけ怯えを持った。


「使い方を知らないという事はうっかり発動させるという可能性もあるということです。会話の最中に術が発動してしまったら大変ですよね。喧嘩の時とか」


 それはみんな分かるようだ。一斉にうなずいている。ミーアはやっぱり怖いようで軽く震えている。当たり前だ。


「だから魔術を習う者は必ず親や師から言葉には気をつけろと厳しく言われるんですよ」


 エルピダの側近が補足してくれる。きっとミーアを落ち着かせるためだ。これは本当に助かる。正直、クレオパスはそこまでは頭は回らなかった。


「クレオパスもイアコボス様から教えていただいてる……んだよな?」

「『言葉だってきちんとした術になる。 一つの失言がとんでもない事態を引き起こす』でしたよね」


 その教育は基本中の基本である。その教育を受けてない魔術師は正直関わりたくはない。


 もちろん、クレオパスも物心つくかつかないかの頃から毎日のように言い聞かされていた。


 間違いなく彼の言いたかったのはそれだとは確信していた。それでも頷いてくれたのにはほっとする。


「だから安心していいよ、ミーアさん」


とりあえずそう言ってなだめてみる。だが、ミーアは目線だけで『無理!』と訴えて来た。


「ミーアさん……」

「だってクレオパスさんは教わってるかもしれないけど、ルーカスさん? は教わってないかもしれないじゃない」

「まさか! いくらなんでもそんな事はないだろ!?」

「そんな事わかんないじゃない! 誘拐犯に協力してるんだし」

「当主様が跡取りにそんな大事な教育してないはずないって!」

「クレオパスさん、悪人をかばってるの!?」

「かばってないから!」


 なんだか喧嘩みたいになってしまった。それでもクレオパスはミーアにこれ以上不安そうな顔はさせたくないのだ。だから否定出来るものは否定したい。


 そして、クレオパスも自分の一族の当主がそんなに愚かだとは思いたくないのだ。


 大丈夫ですよね? という意味を込めてエルピダの側近を見る。


「うん。言う事を聞いていないという可能性はあるけど、教わってはいるんじゃないか?」

「そうですよね」


 返答にほっとする。でも、言う事を聞いていない可能性があるというのは少し気になる。


「ただ、もしかしたらホンドロヤニスは教わってなかったかもしれないが……」


 その名前を聞くとついびくりと反応してしまう。込み上がってくる気持ちをこらえるために唇をきつく噛んだ。


「クレオパスさん……」


 ミーアが心配そうに声をかけて来る。


「大丈夫!」


 これ以上自分を案じる言葉を聞きたくなくてクレオパスは必死に彼女の言葉を遮った。


「えっと……それで……ホンドロヤニスが教わってなかったとはどういうことでしょうか?」

「彼の両親は変にプライドが高いというか……なんというか……。その、選民意識の強い人だったから。必要ないと判断した可能性はあるね」


 説明してくれるが、クレオパスには全然理解が出来ない。


「ミュコスの民としてのプライドがあるのならばなおさら守るべきではないですか? 大体、ホンドロヤニスの実家は末端とはいえ、上流階級だったはずです」


 反論すると苦笑される。何故そんな反応をされるのか分からない。


「あの……?」


 よく分からないので声をかけるとまた苦笑いされた。


「いや、クレオパスはまともに育ったんだなと思っただけだよ」


 まともなのかどうかはクレオパス本人には分からない。ただ、彼の言っている事は何となく分かった。そして納得も出来る。


 そんな家で育たなくてよかった。そういう事なのだろう。


 いろんな思いを込め、クレオパスはそっとため息を吐いた。

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