第55話 勉強しましょう
「ふーっ!」
自室で苦しくなった腹をさする。
今日は何故か夕食の量が多かった。家族の全体量は一緒なのだが、いつもはカーロが食べる量がクレオパスの所に来たのだ。
これは落ち込んだクレオパスを慰めるためのものだと気づいている。ありがたいが、お腹が苦しい。
お腹が落ち着くまで魔術書でも読もうかと考える。勉強にもなって一石二鳥だ。
「クレオパス様、大丈夫ですか?」
前に師匠に送ってもらった魔術書を手に取った時、何故かビオンが話しかけてきた。どうしてこのタイミングなんだ、と少し呆れる。
「大丈夫だよ。ただお腹いっぱいなだけだから」
「いえ……そうではなくて……」
珍しくビオンが言葉を濁す。それで何の話か分かった。どうやら自分に使い魔にまで心配をさせてしまったらしい。
「ビオン、情けない主人でごめんな」
「いえ、それを支えるのが使い魔の役目です。何でもおっしゃってください。もしルーカス様に報復がしたいのならできる限り……」
「おい、物騒な事を言うな!」
とんでもないことを言い始める使い魔を慌てて止める。報復などしたら、身分が低い自分の方が不利になる。
ビオンが安心したようにこっそりと息をついていたので試されていたとわかる。師匠かエルピダの指示だろうか。
「ただ、人殺しをしようとする奴がおれたちの上に立つっていうのはこわいな」
静かにつぶやく。もし、彼が当主になったらクレオパスは適当な理由をつけられて処刑されてしまうのではないか、とまで思ってしまう。
こうやって怖くなるから考えないようにしていた。だけど、いつかは考えないといけないのだ。自分の未来がかかっている。
「……これからどうなるんだろう」
「そこらへんは上層部の判断になってしまいますので」
「うん。そうだな」
申し訳なく言われるが、それくらいはクレオパスでも分かっている。そして、このこれはクレオパスの問いの答えではないが、辛い事は考えたくないのでビオンの間違いにわざと乗っかることにした。
もし、今回の事で自分に出来る仕事があれば何でもするが、今の状況では無理だろう。半人前だというのは辛いものだ。
今出来る事は少しでも魔術の知識を深める事だ。
だから勉強をしよう、と改めて決意を新たにして本を開く。すると今度は扉をノックする音が聞こえた。
「はい」
今度は何だろうと思いながら返事をする。
「にゃー!」
猫の鳴き声が聞こえてくる。これはミーアの声だ。それで通訳魔術を発動していなかった事を思い出した。
ドアを開けると、ミーアが何故か本を何冊か抱えて立っていた。表情にはある種の決意が宿っているように見える。
「ミ、ミーアさん?」
声をかけるがミーアは無視する。そして部屋の中に入ってきてテーブルの上に持ってきた本を置いた。おまけに扉を閉めてしまう。
一体何なのだろう。何だか逃げられない雰囲気を感じる。
「え、えーっと、ミーア……さん?」
「勉強しましょう、クレオパスさん」
「……は?」
つい呆けた声が出てしまう。
「う、うん? 確かに今から勉強しようと思っていたけど……?」
「そうじゃなくて、獣人共通語の勉強しない?」
「え?」
「しよう?」
かわいらしく小首をかしげクレオパスの顔をのぞき込みながらそんな事を言う。クレオパスはつい視線をそらしてしまった。これでは誘惑されているみたいだ。
これはどういう事だろう。前に会話の流れでそういう話になったことはあった。でも、今回のはそれとは全然種類が違う気がする。
了承する前から教科書まで持ってきてるし、と考えながらテーブルの上の本を遠い目で見つめる。
「クレオパスさんって勉強嫌いだっけ?」
「そんなことはないけど、何で?」
「今、なんか『困ったなー』って感じの目をしてたから」
「そんな風に見えてたんだ。ごめん」
思わず謝ってしまう。だが、ミーアの瞳が嬉しそうに輝いたのを見るとため息をつきたくなった。どうやらこの謝罪は了承の返事になってしまったようだ。
「ミーアさんは何でそんなにおれに勉強させたいの?」
ウキウキと自分用の椅子を用意しているミーアに尋ねる。これだけはどうしても聞いておきたい。
すぐに教えてくれると思ったが、ミーアは何故か気まずそうに目をそらした。
「ミーアさん?」
「選択肢は多い方がいいでしょ?」
困ったような表情でそんなことを言う。軽い口調だったが、言葉に入っているものは重い。クレオパスは何も言い返せずに唇を噛んだ。それを見たミーアは慌てたように目をきょろきょろし始めた。
「そ、そんなに重く考えないで。せ、選択肢。選択肢の一つだから。その……」
「おれにここに残れって言ってる?」
「選択肢だから!」
「言ってるんだよね?」
「せんたくし……。ニャゥ……はい……」
何故かミーアの方が涙目になってしまった。これではクレオパスの方が悪者である。責めてしまったのは自分なので本当に悪者なのかもしれないが。
ミーアは持ってきた椅子に座ってクレオパスに向き合った。立って対応するのはまずいのでクレオパスも自分の椅子に座る。
「ごめんなさい。帰りづらいかなと思って。住むんなら魔術を使わなくても言葉通じた方がいいかなって……」
「そっか……」
ミーアの言うことはよく分かる。そうやってクレオパスの心をなだめようとしているのだ。故郷に帰って苦しまなくてもいいと言ってくれている。
人間が苦手なミーアにはものすごく勇気のある提案だということも分かる。
それでもありがとうとは言えない。言おうとすると心の中の何かが押しつぶされるような気がするのだ。
今回の事は何も決着はついていない。自分が抱えなければいけない問題を年長者にばかり任せていいわけがない。人生の夢を諦める事も出来ない。魔術師としては本当に未熟だし、ここで修行を投げ出したら間違いなく後悔する。
でも、今は辛い。本当はこんな辛いことを考え続けたくはない。それでも戻ってきた記憶はまだ生々しくクレオパスの脳裏を支配している。
でも、こんな年下の女の子に気を使わせるのは良くない。
一つ深呼吸をして気持ちを切り替える。
「気晴らしにも、なるかな?」
「きっとなると思う。大丈夫よ」
自分に言い聞かせるとミーアも同意する。そうして手をクレオパスの腕に重ねてきた。おまけに屈託のない笑顔を向けられつい動揺してしまう。
つい無意識に彼女の手を取る。そうして肉球をぷにゅっと押す。
「ニャッ!?」
ミーアが小さく悲鳴を上げた。それで自分が何をしていたのかに気づく。
「あ、ごめん。つい!」
「あたしの肉球……」
「ごめん! ごめんなさい!」
ミーアの動揺した目にとんでもないことをしたと自覚した。ひたすら謝る。ミーアは下を向いている。落ち込んでいるのだろうか。泣きそうなのだろうか。
「厳しく行くニャ!」
「え!?」
どうやって弁解しようと考えていると予想外の言葉が出てきた。何でそうなったんだ、と問いたいが、ミーアの表情を見ているとそんな事を聞ける感じではない。それくらいの気迫が彼女から漂っていた。
とりあえず未成年でも長時間男女が密室で二人きりというのはよくない。なので扉は改めて開けておいた。とりあえずミーアには部屋を涼しくするための換気だと言っておく。
ミーアが教科書を開いたのでクレオパスも気を引き締めてそれをのぞき込んだ。厳しく教えると言われているのにだらけた態度で聞いてはいけない。
「よろしくお願いします、ミーア先生」
冗談めかして言ってみる。ミーアは小さく、でもまんざらではなさそうに微笑んだ。
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